焼印のような思い

先日読んだ月子さんの記事。
身内に対する遣り場のない感情があるのがすごく伝わってきた。
焼印をジュッと押し付けられたような、いつまでも消えない、痛みを伴う傷。
そんな風に思えた。

私の母もそうだったのではないかと思ったことがあるので書いておこうと思う。
毒を撒き散らすかもしれません。


母は7人兄弟の末っ子で、関西の人ではなく実家は他県の田舎だった。
実家には叔父(母の兄)夫婦と息子、祖母(祖父もいたが他界)が暮らしていた。

叔父は透析をしていて、障害者の補助金のようなものはあったのかもしれないが、ほぼ妻が家計を支えていたのだと思う。
普通の事務員だったので、そんなに高給ではなかったはずだ。

祖母は息子や孫と幸せに暮らしているのだと思っていた。

ある時、母の実家が競売にかけられる期日が迫っているという事実が分かった。
母は仰天して叔父に説明を求めた。

叔父の妻は自分の稼ぎは一切家に入れず、全て自分で使っており、叔父一家の生活費は全て祖母の年金で賄っていたことが分かった。

家が抵当に入っているにも関わらず、祖母に寄生していた叔父一家。
祖母が年金を出さないと、恫喝まがいのことまでしていたらしい。
母は血の涙を流していたことだろうと今なら思う。
母は父に懇願し、競売にかからないよう金を無心した。実家はかろうじて残った。

時系列は覚えていないけれど、叔父が父に金の無心に来たのか、謝罪に来たことは覚えている。
それからほどなくして叔父は他界した。
役目を終えたように。

叔父の妻と息子はいつだか覚えていないが、母の実家から出ていった。
というより居られなくなったのだろう。

晩年、祖母は病を患った。
母は泊まり込みで看病に行っていた。
祖母は我慢強い人だったけれど
「(叔父の妻を)家に入れたのが間違いだった」と言っていたそうだ。

当時、私は中学生で、母のことを何だか怒りっぽいなぁと思っていたが、今ならあの頃よりは少しは分かる。

叔父の妻と息子とは全く連絡を取っていないので、生死も知らない。

お読みいただきありがとうございます

ではまた〜