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多羽(オオバ)くんへの手紙─29

(1,647字)

ヤマギワと多羽オオバどちらで呼べばよいのか。
私だけでなく「みんなはどうするんやろ?」という空気が漂っていた。


「オオ…とっと、ヤマギワ。」

思わず言い淀んだ私に「多羽オオバでええで。」と言った顔は、いつもの落ち着く、父に似たそれだった。
どれほどの複雑な思いがあったのか分かるはずもないが、多羽オオバと呼べなくなることに一抹の寂しさを感じていた私は不謹慎にもホッとした。


✳✳✳


「ミスミン、来年からは家に出すわな。学校で会わんようなるもんな。」

新学期の恒例となったおリンからの手渡しの年賀状も、これで最後かと思うと何だか感慨深い。

「ミスミン、高校なったら一緒のバイトしよな。」
「うんうん。やろやろ。」

リンは地元ではなく、電車で通学する高校を受験するそうだ。
私も、電車通学になる高校を受けるつもりだ。

いつでも会える。いつもそこに居る。
そんな日々がいつまでも続いて欲しいと思う反面、たとえ地続きの日常でも
自分だけの道を歩かなければならないという感情もあった。

母の言う「同じように」とは思っていなかったが、
人と違う存在でありたいと願う、独自性欲求はこの頃確かにあった。



***


3学期も進んでくるとクラス全員が揃わない日が増えてくる。
授業もこれまでの復習だったり、皆の苦手な箇所を再度やってみたりと不規則になっているため、学校には行かず塾で自習したりする者もいたようだ。

健康で勉強もしない多羽オオバは休むことなく登校していた。
いつもより人がマバラらな教室では自然と話すことも増え、じっくり観察しながらこれまでを思い返せば、多羽オオバが誰かに対して声を荒げたり、ひどく怒ったり、苛々しているようなところは見たことがなかった。
根っから温厚なタイプなのか鈍いのか、かといって愚鈍なタイプでもない。

同性の友達には口が裂けても言わないようなことをズケズケと言ってやるのだが、多羽オオバは一向に怒る気配がない。
「いらんことしい(余計なことをする人)」な私は、余計な一言で失敗したことなどすっかり忘れて、多羽オオバの沸点に、一瞬だけ火傷しない程度に触れてみたいなどと考えていた。
もしもの時は戸澤コザワの「ジョーダン冗談や〜ん」で誤魔化そう。

多羽オオバさ、何か肥った?ボンタンぽいのに正規みたいなってるやん。」


当時、男子の制服の学ランとズボンは、校則に則ったものを「正規」、不良が好んで着るものを「変型」と呼んでいた。
学ランの変型は、流行りの不良漫画の影響でタンラン(丈の短い学ラン)、チュウラン、チョウラン、ズボンは「ボンタン」と呼ばれていて、ウエストはベルトで締め、太もものあたりがダボダボで裾がスボまっているものだった。

多羽オオバは少しダボっとしたボンタンを履いてはいたのだが、野球部だったせいか、ガッシリした太ももがボンタンの格好良さの肝であるダボつきをほぼ台無しにしていた。

「肥った。言うなって。一応気にしてんねんぞ。ネエちゃんにも言われたし。部活やめてから肥った。けどズボンなんかあとちょっとやねんからええやんけ。」

怒るどころか笑っている。
ネエちゃん」という言葉から、貴代キヨ先生とは一緒に暮らしているのか、会えてはいるのだろうと思うと少し安心した。

多羽オオバは何言われても全然怒れへんねんな。しょーもな。」

「そんなことないけど女には怒らん。」

女に手ぇ上げるなんか最低やぞ。
女には怒らん。



母親や姉から言われていたのかもしれないが、多羽オオバなりの決め事だったのだろう。
私が何をしたところで怒るはずのない多羽オオバの沸点は、全く別のところにあったのかもしれない。


***


女を殴ったりするような男は言語道断だが、たまには感情をアラワにして怒るのが良い時もあることを、多羽オオバは大人になってから知っただろうか。


30に続く