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多羽(オオバ)くんへの手紙

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生涯青春病が書き散らかしています
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2024年3月の記事一覧

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─2─

多羽はいつも男子といた。2人の時もあれば数人でつるんでいることもあった。件の女子2人組に纏わりつかれているのも偶に見かけたが、特に気にもしていないようだ。 向こうは羽田水澄という存在すら知らないのに、いつからか‘’多羽に纏わりつくんじゃないよ‘’と今にも言ってしまいそうな自分のバカさ加減が恥ずかしくまた笑えた。 多羽到。姉と2人姉弟。野球部。以上。 多羽のことは気にはなっていたが、何をするというでもなく中学最初の1年が足早に過ぎていった。 ✳✳✳ 学年も上がりクラス替え

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─3─

貴代先生は、担任が女性の体育教師だったためウチのクラス付きになったようだ。多羽の姉、貴代のいる学校生活に緊張していたのはおそらく私だけだっただろう。 多羽はモテそうなタイプではなかった。 当時はチェッカーズが大人気、不良マンガが流行っていたこともあり、可愛いいか、ちょっと悪そうなタイプの男の子に人気が集中していた。 野球部で坊主の多羽はもれなく非モテであった。女子にはかなり奥手だったようだが、今思えば多羽が好きだったのではないだろうかと思い当たる女の子がいる。 *** 小

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─4─

貴代先生が教室にいることはほぼ無かったが、昼休みにはウチのクラスに戻ってきていた。 仲良し数人で集まってお昼を食べるグループがいくつもあり、貴代先生は日替わりでそれらのグループを巡っていた。 今日は私たちのグループへとやって来た。 お鈴と私、他2人の4人グループの番だ。 「上村さんやんな?ウチの近所の」 貴代先生が複数の地雷を踏みながらにこやかにお鈴に話し掛けた。 私は気が気ではなかったが、本人から聞いてもいないことを説明することもできず黙っていた。 「引っ越してん。今は小

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─5─

多羽の出る試合を一度だけ観に行ったことがある。 お鈴に「坊主はいらん」と一蹴され、別の野球好き2人と観ることになった。 練習試合ではあったが、相手チームには野球の強豪校から声が掛かっているという子がおり、私以外の2人はその子目当てだった。 KK(桑田・清原)が甲子園を沸かせていた時代。 周りの子たちはみんな清原派だったが、私だけは桑田派だった。 この日はたまたまエースが故障で投げられず、本職はサードの多羽が先発だった。 私たち3人はバックネットから見ていた。 ***