梅鶏の捌き方 その6〜玄関の靴は乱れてああ今日も怒らなくてもいいことだった〜
梅鶏です。
自分の歌がどのような思考でできたものなのか自分で説明していくという「梅鶏の捌き方」。
第6回目は、
玄関の靴は乱れてああ今日も怒らなくてもいいことだった
を捌いていこうと思います。
この歌は2021年8月のうたの日の『乱』というお題で次席になった歌で、その年の9月のたんたか短歌でも特選歌として選んでいただいたものです。
まず、この歌を作る時には「乱」という文字を使うところから始まるわけですが、「乱気流」「乱反射」などという名詞もあるわけですが、「乱れる」から発想を広げることにしました。「乱す」ではなく「乱れる」を選んだのは、おそらく受け身な自分の中から出やすい気がその当時はしたのだと思います。
短歌の作り方の一つとして、上の句と下の句の片方に「気持ち」片方に「景」を置くというのがあるのですが、この作り方を私はほとんどして来ていませんでした。単純に上手く作れなかったからです。
なのでこの歌を作る時にはそういうものも挑戦できたらいいなあと思っていました。
「乱れ(てい)る」ものとして頭に浮かんだものが「玄関の靴」でした。
私以外の家族は家では靴を揃えないことが多いのです。おそらく無駄に玄関が広いことも関係しますが。(一畳半はある)
その靴を見るたびに私は家族に対し「揃えようよ」と言いながら若干イラついたりするのです。
靴の乱れは心の乱れ
という言葉を知っている方もいらっしゃるとは思いますが、まさにこの歌はそこから来ているのです。
子供を怒っているときは自分がイライラしている時であることが多いです。この気持ちと玄関の靴の乱れをくっつけることにしました。
上の句の「玄関の靴は乱れて」は「乱れる」で切ってもよかったかもしれないのですが、それだと上と下の繋がりが伝わりにくいような気がしたのと、自分の中での心地良い調べにならなかったのです。
改めて考えると私はよく「◯◯して」とかで下へ繋ぐことが多い気がします。
三句目の「ああ今日も」の「ああ」は音数のことと「またやってしまった」という自戒を表すために用いました。
これで一首が完成しました。
自分の心が乱れているせいで子供をまた怒ってしまったという後悔の歌ですが、フィクションといえばフィクションです。ただ実景をくっつけたような歌なので、嘘くささはないと思います。
こういう風な作り方で歌を詠んでいけるといいなと思いながら未だ上手くいかないことが多いです。おそらくそれは、景も気持ちも短い音数でまとめることができないからだと思います。それができるようになるともっと上手くなるんだろうな。
次回以降の取り扱う歌については未定なので、捌いて欲しいものがあれば教えてください。なければ自分が気に入っているもの、自分の歌の中で反響がそれなりにあった歌から捌いていきます。