梅鶏の捌き方 その4〜みずうみが生まれてしまう水を撒く吾子が小さな虹を作れば〜
梅鶏です。
自分の歌がどのような思考でできたものなのか自分で説明していくという「梅鶏の捌き方」。
第4回目は、
みずうみが生まれてしまう水を撒く吾子が小さな虹を作れば
を捌いていこうと思います。
この歌は2022年のNHK短歌テキスト5月号 #短歌写真部のテーマ「光」でカン・ハンナさん選で採用されたものです。
短歌写真部の最初の回(だったと思う)で結構大きく載せていただき、またNHK出版のデジタルマガジンに載せていただいたり(まさかのカン・ハンナさんのお隣!)、NHK全国短歌大会のロビーに展示していただいたりと記憶にも残る歌となっています。
まあ、こんな話はどうでもよくて、どうやってこの歌を作ったかを語るnoteなので、そのことについてお話します。
先程も言ったように、テーマが「光」ということでスマホに保存している「光」に関係するものを漁りました。新たに写真を撮るということは考えていませんでした。
遡ると一番下の子がまだ2歳くらいの時の写真が出てきました。ホースを持って水をずっと撒いている写真です。
たまたまホースから出る水に反射して虹が出ていたので写真に収めた記憶が蘇りました。
「『光』がテーマなら虹もオッケーじゃね?」
くらいの軽い感じでこの写真を採用しました。というかこれくらいしか良さげな写真がなかったのです。
この写真には当然私の子供が写っているわけですが、横顔であること、今の顔とは全然違うこと等を考え、公開することに大きな危険性はないと判断したのも理由としてあります。
歌の作成について「子供がホースで水を撒いたら虹ができた」ということをいい感じにしないといけないということになるのですが、どう表現すればいいのかが悩みどころでした。
親の立場、子の立場を考えると、親としては
庭がびちゃびちゃになるのでやめて欲しい
子としては
水撒くの、なんか楽しい(虹も出てるし)
みたいな感じだと思います。
そんなことも踏まえながらじっと写真を眺めているうちに
「水を撒き続けたら水浸しになるんじゃないか?」
と思うようになります。写真で切り取られたものの先を読み取ることができました。
水浸しになってしまうのをどういう表現にするか、というときに「大げさに表現したら面白くなるのでは」という考えに行き着きます。
「水たまり」では音数も多くなりますし、当たり前すぎる。音数的にも表現的にも「みずうみ」が最適だと思いました。
表記を「湖」ではなく「みずうみ」としたのは歌のイメージと発表された時の字面を意識しました。
そういうことで「みずうみが生まれてしまう」という形になりました。ここでも私が多用する(してしまう)二句切れとなっています。
二句までが出来上がったことで下の句が出来上がりました。
定型に収めるために「子」とせずに「吾子」としました。
写真の虹は小さい虹でしたのでそのまま「吾子が小さな虹を作れば」としました。音数もぴしゃりです。上手くハマったな、という感じです。
三句目は五音と少ないですが、情報として入っていなかった「水を撒く」がなんとか収まりました。
これで一首が完成しました。
最近はめっきり調子が悪い「#短歌写真部」ですが、写真を見ながらのほうが歌は作りやすいような気がします。
短歌写真部で心掛けていることは、
写真に頼りすぎない
写真がなくても意味のわかるいい歌である
ということです。ほとんど同じ意味ですが。
これはテーマ詠でも言えることで、テーマがあるからそのことを詠んでいるのだろうという歌は避けたいと思っています。歌を見ただけで「これは◯◯のことを詠んでいる」というのがわからないといけないのではないかと。プレバトで夏井いつきさんがよくおっしゃっていることですね。
これからもぼちぼちと捌いていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
次回は「アラビックヤマト」の歌かなぁ。