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どんなお産も自分のもの『お産』を語る会
次男を希望していた「自宅出産」と真反対の「帝王切開」で出産してから
ずっと引っかかっていたたくさんの気持ち。
あれから、2年半が経ち少しずつ少しずつ自分に無理に納得させることなく
「あぁ、だからか」と受け入れられることも増えてきた。
わたしは、自分のお産のことを話したかった。
誰かに聞いてほしかった。
慰められたいわけではない。
むしろ、そんなことしてもらったら逆に腹が立つかもしれない。
かわいそうね、って思われたいわけじゃない。
(因みに、わたしは「かわいそう」という言葉がとても好きではない)
何度か次男のお産の話をする機会はあったが、
まだまだ
ここじゃない
どこだ
わたしを丸ごと受け止めてくれる人を探していた。
去年、久留米の『よかいえ』に行くタイミングがあり
「あ、この人に聞いてもらいたい!そして、どんな感想があるか聞いてみたい」と思ったのだった。
『おにぎりりえこ』さんの存在は知っていたけど、お話する機会もなく
でも色んなところでお見かけするからいつかと思っていた。
おいしいおいしいランチをいただきながら、早口で伝えたいことを話した。
(その日は時間がなかったので。でも、かえってそれがよかった。)
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参鶏湯が絶品。
りえこさん(以下、り)
Mさん(以下、M)
わたし(以下、へ)
り: そっかー。
M: その話、聞きたい人がいると思います!
へ: そうですかねー。
り: へか氏は話したい?
へ: 話したいですけどー、聞いてくれる人いますかねー?
り: おるんやない?やりたいならやったらいい。
へ: (うわ~、どうしよ。やりたいけど、でもでもー。でも、ここでやる と決めないとまた機会を逃す。これは飛び込むしかない。)
や、や、やりますっ!
り: おっけー。じゃあ、やろう。
へ: (ひぇー!決まってしまった。どうしよ。マジでやるんか。)
わたしが「やりたい」か「やりたくない」か。
誰かの気持ちよりも、まずは自分がどうしたいか知ることが先。
言葉では言われなかったけど、そう言われている気がした。
で、わたしは「やりたい」を選んだ。
決める際に
緊張する、誰も来ないかも、とか付随してるものはそこにはいらないんだ。
そして、りえこさんはわたしの話に対して
特になにも言わなかった気がする。共感はあったけど、あーだこーだと何も言わなかったような。でも、見えない大きなもので護られてる感覚。
お産の話って、絶対同じものはないし、とてもセンシティブなものだけど
りえこさんがその場にいてくれたなら、何が起こっても大丈夫な気がする。
清水の舞台からバンジージャンプの覚悟で決めた日程は
まさかの前日の子供のお熱によりキャンセルとなった。
申し訳ない気持ちを引きづっているのを見抜かれて
「あるあるだから気にしすぎないこと。今しないといけないことをしよう」とオロオロするわたしを引き上げてくれたりえこさん。
小さいけれど、主催することの難しさを教えてもらった。
で、年をまたいで2025年1月21日。
何があっても、全てをばあばにお願いするという手筈を整え
いざ、よかいえへ。
何が起こっても大丈夫なように、早く家を出て
電車に乗り慣れないわたしは快速電車に乗ったようで、開始時間の1時間半前に到着したのだった。
最寄り駅からタクシーに乗ろうと電話すると「しばらく帰ってきません」と笑って言われ(笑いごとじゃない)一つ前の大きな駅に戻れたのも早く到着したおかげ。全く焦ることもなくいれたのも早く到着したおかげ。いいことしかない。
無事タクシーに乗り、行き先を告げると、鼻で笑われてカチンときたので「なにがおもしろいんですか?」と言ってしまった。普段、そんなこと言わないのにわたしってばよっぽどムカついたのね。
誰もいない「よかいえ」は静まりかえっていて、
でもお日様がたくさん降り注いでいて、
そうそう。
わたしはこんな静かな時間をひとりで持つことを求めていたんだ。
と気づき、この場所でならそれが叶う、と
しばしのひとり時間を満喫したのだった。
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参加者さんも揃って、さて「お産を語る会」のはじまりはじまり。
今回の参加者さんはお2人と、かわいい赤ちゃん坊やも一緒に。
資料も作らず、何を話そうか頭の中で何度かシミュレーションして
その場で思ったことを、と思っていたら
いざその場になると、話したかったことの半分しか出てこない。
あれ話して
その後、これ話して。
そして、このオチ。
わたしのシミュレーションどこ行った?
いつもなら、反省してうまくいかなかったことをクヨクヨしがちだけど
あたたかい参加者さんと坊やとりえこさんのおかげで
なんとか無事に幕を閉じたのだった。
「語る会」としたのは、わたしが率先して話すのではなくて
話したい人がみんなでつくる時間にしたいと考えていたので
わたしが思ったように話せなかったとしても、参加者さんがなにが気づきやこれからの助けになるものを持って帰られたら大成功としたい。
そして驚くことに、今回の参加者さんはみんな帝王切開での出産だった。
募集の際、なにも縛りをかけなかったのに。
今回はそういう回だったのだな、ふむ。
今回は、2冊本を持って行った。
わたしの激推しの
「ママのための帝王切開の本: 産前・産後のすべてがわかる安心ガイド」
涙なしでは読むことができない
「帝王切開で出産したママに贈る30のエール: もやもやを消し、自分らしさを取り戻す」
「この本に救われたんですよ」と参考程度にお見せしようと持って行ったけれど、
まさかのみなさん帝王切開って!
この巡り合わせって!
ご縁って!
引き寄せって!
わたしは「ママのための帝王切開の本: 産前・産後のすべてがわかる安心ガイド」を全国の病院やクリニック、助産院、お産に関わる全ての場所に1冊はあるべきだと思っているし、置きたいと思っている。
誰だって帝王切開になる可能性はあるのに、開示される情報があまりにも少なくて予想もしない心と体の傷を負うお母さんが少なからずここにいるから。
大切な本だけど、誰かの役に立ってほしいと思って
よかいえさんに寄贈しようと思った。
(寄贈だって!この言葉使ってみたかったから嬉しい)
サインなんかしちゃったりして。
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もうちょい綺麗に書きたかった。。
でもでも、大好きな助産院に置くことができて、
これから誰かの役にたったり、お母さんの未来が救われるかも、と想像するだけで嬉しい。
あの時、怯まなくてよかった。
勇気出してよかった。
ばあばに留守を頼んでよかった。
早く家を出てよかった。
小さい決断の積み重ねが大きな未来をつくる。
「お産を語る会」はわたしのために必要なものだった。
参加してくれた方のおかげで開催することができ
わたしのずっとやりたいことが叶いました!
力を貸してくれて本当にありがとうございます!
そして、今わたしはもう1人産んでみたい気もしている。
こちらの意思決定は関係なしに
全ては赤ちゃんが決めているらしいので
そこは天の神様と赤ちゃんにお任せなのだが。
今だったら、体の専門家やおもしろい助産師さんや
多方面のプロと繋がって、帝王切開ながらも前回を超えるお産になる気もする。
でも、前回の悔しい悲しい想いを次のお産で取り返そうとは思わない。
その考え方がまず違うのだろう。
それはそれ。
これはこれ。
今あることに集中。
こちらのあーでもこーでもを空の上から見ているのか、見ていないのか。