目標はどしっと構えた肝据わり母ちゃん
朝の授乳中にふと頭に浮かんできた。
自分の正しいをどんどん捨てていきたい。
長男も5歳になり、弟が産まれ、怒られることも多くなった。
あぁ、またこんなことで怒ってしまった。
また口出しをしてしまった。
なんであんな言い方してしまったんだろう。
本当にそこには怒るべきことはあったのか。
後で冷静になって考えると、ほとんどない。
というより、こちらのこうでなければ、これが正しいと思うこと、そしてそれが守られないと怒りが湧いてくるということに繋がっているんだと気づき、それならこんなもの捨ててしまいたいと思うようになった。
自分が正しいと思いたいのは誰しも持ってる気持ちだと思う。
でも、これが度を過ぎると良いことってないなあと思うようになった。
愛読している雑誌にも、同じようなことが書いてあって、
あなたもそう思ってるんですね!!もう同感です!と本に話しかけていた。
私はこだわりが強いところもあり、下着一枚買うのにも、他の候補生を並べて、ここにこのデザインいらんなー、とか、この素材いいのにもうちょっとここが開いていたら、とかブツブツ言いながら、その睨めっこに疲れて結局買えずに、ずっと下着が足りないと言っている。
旦那さんは、そのこだわりを理解できないようで、また同じこと言ってるー、もう全部買えば?(はぁ)と言ってくる。
反対に、せっかく買うものなんだからお気に入りがいいやん、このデザインとか気にならん?と聞いても、そんなの全く気にならんし、着てたら見ることもないやん。と言っている。
私は、この面倒なこだわりが結構気に入ってるのよね。
まーた、やってる。あんなも飽きないねえ、と睨めっこの度に自分に話している。
そりゃ、人それぞれやしね。
旦那さんも呆れているようだが、口出しはしないから、私は自由に永遠迷っていられるのだ。
そう、口出しされないから平和でいられる。
こだわりと正しさは近いものがあると思う。
例えば、無農薬の方が体に良い。
ここには、こだわりと私なりの正しさがある。
自分ひとりで解決するものならいいが、家族のものも含まれてくると厄介な面も出てくるわけ。先に書いた、長男の件。
命に関わるようなことは、しっかりと怒らないといけないが、それって全体のどれくらいか。そんなに多くはないだろう。
怒る方もエネルギー使うし、怒られる方も悲しくて嫌よね。
書きながら気づいたけど私エネルギーが有り余ってるのかもしれない。運動して違うところで発散させるのも一つやな。
怒られる長男は、慣れっこのところもあり、右から左に受け流している。その様がまた腹立つポイントでもあるんだけど。処世術をしっかり身に着けちゃって、さすが我が子!やるやん!
親になって5年。まだまだ学ばせてもらっている最中で、自分の当たり前や正しさをぶっ壊していくとなんだかその先は明るくて笑いが絶えないんだろうなと想像しながら、なんか涙がでてきてコメダ珈琲でこれを書きながら暖かいおしぼりでこっそり涙をふく私。