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ジョッキー45º情報刊(年末年始 増刊号)
皆さん、いかが過ごしでしょうか?
ウマママンでございます。
昨年中は、夏の新潟開催頃から始まった
「ジョッキー45º情報刊」をお読み頂き、競馬の師でもあり、このnoteのきっかけとなった「ヤスアジTV」様でお話ししてくれたり、Twitterでも、読んだ皆様から様々な反応や感想を頂き、とても力になりました。
ありがとうございました🙇🙇
2022年度も、引き続き頑張らせて頂きたいと考えていますので、今後ともよろしくお願い致します。
さて、年末年始ということですが
ジョッキー45º情報刊は、内容を少し盛りまして(気持ち10%増)頑張らせて頂きます!
今回のラインナップは、こちら❗
●2022年は、この騎手に「注目」!!
●名馬のストーリー
(金色の暴君、オルフェーヴル)
●スポットライト・ジョッキー
(大野拓弥騎手)
次回は、年明けの中山金杯・京都金杯からのスタートになりますが
まだ出馬表などが見えないので、今回は新しく不定期ではありますが
【名馬のストーリー】として
種牡馬・引退馬に関して取り上げたいと思います。
今回は【金色の暴君】
「オルフェーヴル」を取り上げます!
●2022年、注目騎手は!?
2021年も有馬記念やホープフルS、東京大賞典が終わり
全ての結果が出揃い、リーディングジョッキーとしては、年間199勝を挙げていて、G1レースは5勝と文句の付けようが無いほど勝ちまくっていた
クリストフ・ルメール騎手
が2021年度のリーディングジョッキーとして君臨(5年連続5回目)
その後では、2位が川田将雅騎手(136勝)
3位が松山弘平騎手(130勝)・4位に福永祐一騎手(123勝)で、新進気鋭の横山武史騎手(104勝)が、クリストフ・ルメール騎手と並ぶG1レース5勝を挙げての5位と躍進。
その他にも、様々な騎手が2021年は随所で活躍が目立ちましたが、2022年の活躍が予想される騎手を若手中心にピックアップしてみました!
◎2021年の大躍進は、2022年も継続
横山武史騎手
2021年は、「G1制覇」と「年間100勝」を目標としていた横山武史騎手。
そして、有言実行と言わんばかりの活躍で
G1初制覇の【皐月賞】から、【菊花賞】・【天皇賞・秋】【有馬記念】【ホープフルS】とまさかの年間G1レース5勝。
正に大ブレイクを果たし、一躍将来の競馬界を担う逸材なったのだが
6星占術的にも来年は「安定」という事で地盤固めとして勝ち数の維持・向上をしていくのは予想が付くので、2021年よりかは評価をグイッと上げて馬券にしてみたい。
〇「呪縛」が解けたなら、大化けの可能性大
岩田望来騎手
トップ5に10勝以上の差が付いたが、リーディング6位と躍進した岩田望来騎手。
ここまで勝てる実力を持ちながら、未だに重賞は未制覇という、浜中俊騎手や三浦皇成騎手のような「平場の王様」になりつつあるが
2022年はそれが変わるかも知れない大事な1年。
というのも、岩田望来騎手の重賞制覇に薄らと纏わり付いていたのが
父:岩田康誠騎手の「重賞通算100勝」という記録の【呪縛】
それが2021年の12月に達成された為、岩田望来騎手を縛る要素は無くなっただけに
今年こそ、重賞初制覇。
あわよくばG1初制覇まで狙える騎手なだけに
この1年、特に夏競馬前のG1戦線中に重賞を取れないと、今後の期待にも影響が出るだけに決めて欲しい。
〇ここで自己最多、運勢的にも昇り気味
幸英明騎手
若手枠では無いですが、個人的に注目したかったのは幸英明騎手。
騎手生活28年目の2021年には、自己最多となる年間81勝を挙げ、エリザベス女王杯の初制覇や、初の有馬記念への騎乗などあったのだが、6星占術的な話では
水星人+なので、2021年は殺界の真っ最中。
上手く行かない事の多い中での自己ベストの更新は素直に評価してみたい。
2022年には殺界を抜けるので、この自信と成績からの躍進を期待したい。
△海外帰りからの進化は伸びしろ充分
坂井瑠星騎手
元々の実力は評価されていた若きイケメンジョッキー。
しかし、今年のフランス遠征から帰ってきてからの成長率はハンパない。
今年はフランス遠征で中央では騎乗できない期間があったにも関わらず、キャリアハイの成績を記録。
ローカル戦線での活躍ぶりが目立つだけに
2022年は一気に活躍して、中央で戦う礎にしたいハズ。
運勢的にも殺界を抜けたばかりで、運気も上々なだけに、G1を戦えるような良馬と出会っておきたい。
▲伸び代は未知数なだけに可能性は無限
菅原明良騎手
2020年は30勝止まりだったが、2021年は倍以上の75勝を挙げ、リーディングも11位と活躍を見せた若手騎手。
今年のヤングジョッキーシリーズでは惜しくも2位となったが
それでも成績面では優秀で、2021年には重賞初勝利にG1初騎乗も果たした。
まだまだデビューして3年目の若手なだけに多くのレースに騎乗して経験を積んで欲しい。
☆確実な成長を続ける佐賀の勇
鮫島克駿騎手
目立った活躍は少ない気がしますが、意外にも年々勝利数は伸ばしていて、2021年には
更にその伸びが倍増し、キャリアハイを記録。
重賞勝利が少ないだけに目立たないかも知れませんが、年々成長しているだけに
注目はしておきたい!
ウマママン的に注目したい騎手を上げてみましたが、他にも面白そうな騎手は一杯います!
内田博幸騎手は穴枠として面白いですし、
ルメール騎手や川田将雅騎手なんかは変わらず信頼度の高い活躍をしてくれると思っています!
果たして、2022年の競馬界はどんな話題・活躍があるのか!?
注目していきましょう!!!!!
●名馬のストーリー
不定期開催を予定しています【名馬のストーリー】
引退馬達の活躍と騎手を中心にお送りします。
記念すべき1頭目は、牡馬3冠を達成し
JRA顕彰馬という「殿堂入り」となった一方でジョッキーを振り落とす程の暴れん坊ぶりから「金色の暴君」として名を広めた名馬
オルフェーヴル
2008年、社台コーポレーション白老ファームで母オリエンタルアート・父ステイゴールドの間に産まれる。
母馬オリエンタルアートの初年度産駒として、2006年の朝日杯FSを制したドリームジャーニーと同じ血統という事で
ドリームジャーニーは初年度産駒として小さかったが、ステイゴールド産駒は父似の馬になりやすいので、今回もそうなると思っていたが、
実際にはステイゴールドの血というよりは母馬のオリエンタルアート寄りで
兄のドリームジャーニーと同じ血統で、期待感はあったものの、そこまでの大物感は無かったそう。
馬主には全兄ドリームジャーニーと同じ
「サンデーサラブレッドクラブ」(サンデーレーシング)で【1口馬主】を募集し、
全兄の戦績からも期待値が高いことから
1口150万の募集だったが、約20人
総額6000万まで集まった。
そこで馬名はフランス語で「金細工師」を意味する「オルフェーヴル」の名が与えられた。
競走馬としての訓練を受け、デビューしたのは2010年8月14日の新潟競馬場。
血統的にも、全兄のドリームジャーニーと同じという事から、新潟競馬場でも勝てると踏み、新潟競馬場でデビュー。
そして、鞍上にはこのオルフェーヴルの為にドリームジャーニーにも騎乗していた池添謙一騎手を北海道遠征からわざわざ呼び戻した。
14頭中2番人気を背負うものの、池添謙一騎手の手綱さばきで馬ごみで脚を溜めて快勝したのだが、ここで「暴君」と呼ばれる一端が見えてしまう。
最後の直線で抜け出すと、猛スピードで内ラチ沿いめがけ爆走。
池添謙一騎手の懸命なリカバリーもあり、無事にゴール板を駆け抜けたが、爆走は続き
ゴール後に池添謙一騎手は落馬し、放馬したオルフェーヴルに踏まれ、右手を3針縫うケガを負ってしまう。
この事で、ウイナーズサークルでの口取り式・記念撮影は中止となり、担当の池江調教師は「イレ込みが凄すぎて、競走馬になれない」と思った程の暴れん坊ぶりを魅せていた。
能力の高さを新馬戦で証明したことで、陣営が次走に選んだのは
オープン競争の「芙蓉ステークス」
芙蓉ステークスではスローの流れで我慢しながら4コーナーから驚異的な末脚を見せるが、逃げたホエールキャプチャにクビ差の2着に敗れる。
しかし、オープン競争での善戦から次走は重賞に照準を合わせる。
当初は東京スポーツ杯2歳ステークスを使う予定だったが、主戦の池添謙一騎手が持ち馬の「イイデタイガー」が出走するため
オルフェーヴルは照準をG2の京王杯2歳ステークスに出走する。
東京スポーツ杯に出走したイイデタイガーはこのレース中に予後不良となってしまった為、
池添謙一騎手・池江調教師はオルフェーヴルに「イイデタイガーの分も頑張って欲しい」と想いを込めていたそう
単勝1番人気に支持されるが、ゲートの出遅れから躓き、騎手の気合に対して異様に掛かるなどの幼さを見せてしまい、結果は10着と大敗。
当初はこのままG1で兄弟制覇のかかる朝日杯FSを予定していたが、この敗戦を重く観た陣営はG1の出走を取りやめ
成長のため、オープンして間もない「ノーザンファームしがらき」へ放牧に出される。
放牧中や帰厩後の調教では、敗戦の結果を踏まえて自立心を養うために
集団から離れて1頭での調教をするなどの工夫を凝らされるが、これがオルフェーヴルにとっての1つのターニングポイントとなる。
これらの経験から、陣営はオルフェーヴルに【競馬を教える】を第一に考えていくようになり、3歳馬の2011年には
1月のシンザン記念・2月のきさらぎ賞では2着・3着ともどかしい結果が続いていたが
池江調教師は鞍上の池添謙一騎手に対して
オルフェーヴルで、勝つのは
「ダービーだけで構わない」
という言葉を掛けていたので、鞍上の池添謙一騎手もレースで競馬を教えることに専念し日本ダービーに照準を合わせた。
この【競馬を教える】事が実を結び、花を開きかけそうになったのが
クラシック戦線の参加権を取りに行った
「スプリングステークス」
道中後方からのスタートで、4コーナー付近から進出を開始して、大外一気の末脚を披露しての快勝劇で重賞初制覇。
元々高かった競走能力に加えて、これまでの教育による【競馬の走り方】が分かってきていて、池添謙一騎手もインタビューで
「普段の調教やレースで教えてきたことが身についてきたし、本番も楽しみになりました」
とコメントを残し、牡馬クラシック路線へと進んだ。
そして迎えた牡馬クラシック1冠目となる【皐月賞】
オルフェーヴル/池添謙一騎手のコンビは実力はあったが、皐月賞が震災の影響で本来の中山競馬場では無く、東京競馬場左回りのコースとなり、
兄のドリームジャーニーが左回りを苦手としていて、オルフェーヴル自身もデビュー戦は左回りで内ラチ沿いに激走していて、大敗した京王杯2歳ステークスも左回りという事で、不安視された上、レースでは不利とされた外枠という事もあり、4番人気で出走する。
しかし、蓋を開けてみれば
左回りのコースも難なくこなし、最後の直線で馬群を割って1番人気に3馬身差をつけての完勝劇。
鞍上の池添謙一騎手は「初めて府中の直線が短く感じた」と振り返り
兄のドリームジャーニーが果たせなかったクラシック制覇にレース後は終始興奮しっぱなしだった。
次戦のクラシック2冠目の【日本ダービー】は台風2号の影響で「超」が付くほどの極悪馬場という試練も乗り越え、2着のウインバリアシオンに1馬身3/4差、3着以降には7馬身差を付ける圧勝でクラシック2冠目を奪取。
新潟デビューで、日本ダービー制覇はシンボリルドルフ以来、2頭目で
皐月賞・日本ダービーを東京競馬場で制覇するのも1964年のシンザン以来3頭目の快挙となった
また、日本ダービー制覇に池添謙一騎手は
「ずっと乗ってきただけに、テン乗り組に負けるわけにはいかなかった」とコメントしているが、この年の日本ダービーではデビュー以来
騎手が変わってないのは、オルフェーヴル含め、3頭のみだった。
残すはクラシック最終戦となる【菊花賞】の前哨戦とした神戸新聞杯で成長を見せ付けており、菊花賞本番では単勝支持率58.25%・オッズ1.4倍の圧倒的な1番人気を背負うが、その実力は想像以上で、鞍上の池添謙一騎手は
「乗り味に関しては、デュランダル以上」
というコメントを残すほどで、兄のドリームジャーニーやデュランダル・スイープトウショウに騎乗した池添謙一騎手にとっても正に「未知の領域」に踏み込んだ1頭になっていた。
菊花賞では、ゲート内で暴れるハプニングはあったが、最後の直線では早々に抜け出すとそのまま独走し、終わってみれば2着馬には2馬身半差・ラストは手綱を押さえながらもレコードタイムに0.1秒差の圧勝で2005年のディープインパクト以来の三冠牡馬に輝いたが、ただで終わらないのが暴君・オルフェーブル。
ゴール後、鞍上の池添謙一騎手はお得意のガッツポーズを封印し、暴走に警戒したにも関わらず、1頭になったあと外ラチに向かって暴走し、池添謙一騎手を振り落としてしまい、調教助手に引かれる形でのウイニングランとなった。
このことを、フジテレビ系列で実況していた岡安アナウンサーは、
「こんな三冠は見たことありません!馬上にジョッキーがいません!」
と実況し、話題となった。
ちなみに、父・母・父母が全て国内馬での三冠達成は史上初で、池添謙一騎手は32歳3ヶ月で史上最年少の三冠ジョッキーに輝き、池江調教師も父がディープインパクトの調教師だったため、史上初の親子での三冠トレーナーとなった。
この後、陣営から翌年の凱旋門賞挑戦を宣言する。
そんな史上初、国内産の三冠馬が次なる舞台に選んだのは、第56回有馬記念。
6年振りのクリスマス開催となった有馬記念には、この有馬記念がラストランとなる「ブエナビスタ」や、ドバイワールドカップを制した「ヴィクトワールピサ」をはじめとした「エイシンフラッシュ」・「トーセンジョーダン」などG1馬が9頭。
合計19冠が揃う豪華メンバーに対して、オルフェーブルは並みいる古馬を大外から纏めて捲り、豪快な差し切り勝ちを収め、シンボリルドルフ・ナリタブライアン以来となる「4冠馬」に輝く。
結局この年は、8戦6勝。
スプリングステークスからは破竹の勢いで重賞6連勝でクラシック3冠の偉業にグランプリ制覇という好成績から「JRA賞年度代表馬」・「最優秀3歳牡馬」を受賞し、現役最強を証明したのだが、オルフェーブルは更に規格外の強さを見せつけ、話題を生む。
それこそが、翌年の「阪神大賞典」
凱旋門賞を見据えて、折り合いに対するリスクを承知で、スローペースの見込まれる「阪神大賞典」への出走を決定。
史上3頭目の「4冠馬」への世間・競馬ファンの注目は高く、阪神大賞典では史上最高の単勝支持率75.9%・オッズ1.1倍の人気となる。
陣営からは「凱旋門賞を勝つためには、厳しい試練に勝つことが必要」として、あえて3000mの長距離を選択し
更に、ここまでオルフェーブルが見せてきた後方から早めに捲る力任せの豪快な競馬では無く、神戸新聞杯・菊花賞でみせた好位から抜け出しての勝利を課題として挑んだんだが、有馬記念後にリフレッシュしたオルフェーブルはかなりイレ込んでいて、パドックなどでもチャカついていて、スタート前から折り合い面で不安を抱えながらのスタートとなった。
スタートは五分に切れ、引っ掛かる素振りを見せるが、池添謙一騎手がなだめながら追走し、作戦どうり三番手の好位を追走し折り合いを付けるかと思ったが、1周目のホームストレッチでは我慢が効かず、グイグイと位置を押し上げ、二番手に進出。
落ち着けるために、池添謙一騎手は他馬から離して第1コーナーを回ったにも関わらずオルフェーブルは前に行きたがり、暴走を始め、向正面の入り口では先頭に立つ形となる。
結果、先頭にたったオルフェーブルは「競馬が終わった」と勘違いし、2周目の3コーナーで曲がらずに鞍上を振り落とそうと外ラチに向かって直進。
池添謙一騎手が外ラチへの衝突直前で手綱を急激に引っ張ると、故障を思わせるほどの勢いで後方3番手まで後退するが、内ラチ沿いに走る他馬を見つけると再び競馬を再開し、2周目の4コーナーでは大外から一気に捲り、最後の直線では1着馬に半馬身差の2着に食い込む。
単勝1.1倍で2着と惨敗したが、内容としては最初の1周目は「掛かり通し」・3コーナーでの大逸走・減速してから上がり最速を記録して勝ち負けに絡むという、「怪物ぶり」を見せつけていて、折り合い面の不安を露呈したと同時に、その「能力」を証明する結果となった。
netkeibaさんの方で2012年の阪神大賞典が観れるのでみると分かりますが、色々ヤバイです
次走は天皇賞・春を目標にしたが阪神大賞典での3コーナーでの逸走から平地調教再試験を受け、合格することが必須条件となった。
阪神大賞典の逸走と折り合い面から、調教から主戦の池添謙一騎手が騎乗し、平地調教試験は無事に合格。無事に天皇賞・春に出走。
しかし、ここでオルフェーブル自身の調子が上がらず、天皇賞・春では初の掲示板外となる11着に沈む。
オルフェーブルの「気性難」に主戦の池添謙一騎手は、【騎手を辞めようか】と悩んでいて、陣営からも「凱旋門賞なんて言ってられない」とトーンダウンしていて、とりあえず凱旋門賞の一次登録はしたが
遠征するかは次走の「宝塚記念」での結果で決めることにした。
短期放牧中も調子が上がらなかったが、ファンはオルフェーブルの復活を信じていた。
宝塚記念のファン投票では、2位以下に2万票以上の差をつけた1位となり仕上がり面にかけてはいるものの、陣営は出走を決意。
宝塚記念当日のオルフェーブルは、これまでとは違い、鞍上の池添謙一騎手の手綱によく反応し、歩を進め、最終週で荒れた内馬場をものともしない電光石火のような末脚でG1レース5勝目を挙げる。
この時のインタビューで、池添謙一騎手は涙を浮かべ「ほんとにきつくて…ほんとに良かった。」とコメントしている
宝塚記念を制したことにより、凱旋門賞への出走を決定。
フランスに遠征し、凱旋門賞を目指したが鞍上に関しては池添謙一騎手では無く、クリストフ・スミヨン騎手に乗り替わりとなる。
凱旋門賞でも、オルフェーブルは「暴君」らしい気性難が見え、一時、先頭にたつと、内ラチに向かって逸走をして2着になってしまう。
凱旋門賞からの帰国後、鞍上には再び池添謙一騎手に戻り、ジャパンカップに出走。この年の牝馬三冠を取った「ジェンティルドンナ」と激突。
三冠馬同士の激しい叩き合いは、ジェンティルドンナがハナ差で先着したが進路取りやオルフェーブルが浮くほどの衝突があり20分の審議があったが、結局はオルフェーブルは二着に敗れた。
(左:池添謙一騎手・右:岩田康誠騎手)
この年は、有馬記念のファン投票で1位を獲得していたが、「馬体の回復が優先」として出走を辞退し、4歳馬の2012年は宝塚記念の1勝どまりとなったが、凱旋門賞・ジャパンカップの2着が評価され、4歳馬以上の最優秀牡馬に選出される。
5歳馬となった2013年も目標は【凱旋門賞】でその初戦は、前年の長距離でリズムを崩してしまった事を反省し、当時はまだG2だった中距離戦「大阪杯」を選択
また凱旋門賞などでの敗戦理由ともなった「斜行癖」を治すため、調教でも一頭のみで直線を走る練習を重ねて、実戦に挑むと効果はテキメン。
大阪杯では直線で抜け出すと、斜行することなく突き進み、最後は池添謙一騎手が手綱を緩ませる余裕を見せながらの快勝
大阪杯後は、宝塚記念を目標に「フラットワーク」と呼ばれる馬場馬術を取り入れ、鞍上の指示を折り合い良く走れるように調教を重ねた。
しかし、宝塚記念直前に「EIPH」と呼ばれる「運動誘発性肺出血」を発症してしまう。軽症で十分な治療が行えたが、宝塚記念は出走を取り消し、フランスに直行する運びとなった。
また、オルフェーブルの凱旋門賞挑戦に合わせて、池添謙一騎手もフランスに遠征し、オルフェーブルの為にアピールをして鞍上を確保しようとしていたが、そのアピールも叶わず、2年連続スミヨン騎手に鞍上は譲ることになってしまう
2年連続の凱旋門賞は、5馬身差の2着にまたしても敗れてしまった。
そしてこの年の有馬記念をオルフェーブルの「ラストラン」と定め、ファン投票1位を獲得し、出走。
有馬記念でのラストランに池江調教師は「今回は勝つことも大事ですが、種牡馬として、無事に馬産地に送り出すことも重要」としていて、完成度は80%と明言していた。
しかし、オルフェーブルはラストランでも「最強」を証明する。
4コーナーで先頭に立つと、直線で後続を引き離しダービーでも戦ったライバルのウインバリアシオンに8馬身差をつけた圧勝で、見事なラストランを飾った。
有馬記念の優勝インタビューで、池添謙一騎手は
「オルフェーブルは世界一強い馬だと思います」
とスピーチし、オルフェーブルの魅力を語っていた。
オルフェーブルは引退時点での獲得賞金は15億7621万3000円で、当時はテイエムオペラオーに次ぐ、獲得賞金2位となり、ワールドベストホースランキングでは、世界3位タイとなり、世界的な評価も獲得した。
引退後は種牡馬となり、オルフェーブル産駒として「ラッキーライラック」や「マルシュロレーヌ」・「アンドラステ」・「オーソリティ」
池添謙一騎手が主戦を務める「ラーゴム」など、その血は脈々と受け継がれている。
濃い栗毛の牡馬の走る姿は、正しく「金色」に輝く姿で、走る姿は内容も勝ち方にしてもファンを魅了してやまない【名馬】で、騎手を振り落としにかかり、常に暴走する若き姿は正に「暴君」
しかし、だからこそ凱旋門賞で世界と面と向かって戦える数少ない名馬の夢は産駒たちに任せられた。
オルフェーブルの名は競馬の「歴史」に刻まれることでしょう。
●スポットライト・ジョッキー
今回のスポットライトを当てる騎手は、こちら!
大野拓弥騎手
生年月日 1986/9/8
身長 162.1cm
血液型 B型
星座 おとめ座
出身地 埼玉県越谷市
競馬学校21期生
埼玉県で生活雑貨販売をする「ライフテースト株式会社」の社長の3人兄弟の次男坊として産まれた大野拓弥騎手。
競馬に触れたきっかけは、競馬ファンの父親からで、家族旅行で1週間北海道に行き
牧場巡りで、ノーザンホースパークやメジロ牧場に行き、オグリキャップに会ったり
セレクトセールを観に行くなどしていて、
3人兄弟に「誰か乗馬をやるか?」と聞いたら大野騎手だけが手を挙げ、千葉のオリンピック乗馬クラブに通ったのが、騎手としての始まりでした。
オリンピック乗馬クラブでは、三浦皇成騎手・川島信二騎手と一緒だった。
小学6年生から乗馬の為に、毎週末
越谷市の実家から片道2時間掛けて祖母に車で送り迎えをしてもらっていて、帰りの車中では乗馬クラブでの反省会をするなど真面目な一面が目立っていたそう。
乗馬クラブに通い出すと、自身も馬の魅力にドップリとハマっていき、将来の夢として「騎手」になりたいと思い、競馬学校を受験。
見事、合格して2002年に競馬学校21期生として入学する。
(ピンクの勝負服が大野拓弥騎手)
同期生は、鮫島良太騎手・中村将之騎手がいた
2005年に無事に卒業すると、美浦の杉浦宏明厩舎所属の騎手として3月5日の中京競馬場1Rでデビューするが
スタート直後に馬が躓き、落馬してしまいケガは無かったものの、競走中止となる不運に見舞われる。
しかし、翌週の3月13日の中山競馬場4Rで初勝利を挙げると、ルーキーイヤーに11勝で「民報競馬騎手クラブ賞」を受賞。
重賞初出走となったのは2006年のフローラステークス(G2)で18頭中18番人気のドベ人気だったが、6着まで奮戦する活躍を見せていて
新潟2歳ステークスでは重賞2着まで食い込む活躍をするが、同日に小倉では同期の鮫島良太騎手が重賞初勝利を挙げていて
扱いの違いから勝利の大切さを学んだ。
更には福島競馬場で2回の単勝万馬券を叩き出すなど、技術の成長を見せていて、この年は31勝を挙げている。
2007年にはオークスでG1初出走。
ここでも18頭中15番人気ながら6着と活躍。
しかし、人気薄しか回ってこず、単勝万馬券などを演出しながらも重賞勝利は遠かったが
それでも大野拓弥騎手はファンから注目される「魅力」があった。
2008年には所属先をフリーになり、減量も無くなった為、勝ち鞍は減ったが
2010年の新潟競馬場で行われた3歳未勝利戦で単勝33,150円・3連単は6,711,890円という新潟競馬史上最高払戻額を記録するなどの「穴馬の大野拓弥」として知られ始めていた。
【人気が無いからこそ、リスクも無いので1発逆転を含めた勝負】が出来ると思っていて、その姿勢が結果として単勝万馬券へと化けていた
更に、この2010年には結婚。
2011年1月には小倉競馬場2歳未勝利戦で13番人気のゴールドロジャーで単勝万馬券を作り出した事で、デビューから7年連続で単勝万馬券という新記録を達成し、JRA騎手として最多9回目の単勝万馬券となり、
競馬雑誌の「週刊Gallop」では【7年連続で単勝万馬券を出してる男を知ってる?】で特集も組まれていた。
(重賞の単勝万馬券だけなら、江田照男騎手が最多だが、平場も合わせると大野拓弥騎手の方が単勝万馬券は多い)
そして重賞初勝利を挙げたのは、初出走した2006年から5年経った2011年12月の小倉競馬場での中日新聞杯(G3)で初制覇。
ここでも単勝人気11番人気からの制覇で、万馬券とはならなかったが、単勝オッズ55倍からの勝利だった。
2012年は更に活躍する姿を見せていて
単勝万馬券の記録は途絶えてしまうが、この年の夏競馬では函館記念・新潟記念を制覇して「サマー2000シリーズ」のチャンピオンに輝くと、この年の「中央競馬騎手年間ホープ賞」を受賞する。
そして2014年には自身にも、そして実家からも大きな変化があった年となった。
自身では、中山競馬場の改修のため新潟競馬場で行われたG1レースのスプリンターズステークスを単勝13番人気のスノードラゴンで勝利し、念願のG1初制覇を果たす。
7年前にG1初挑戦から、初のタイトル獲得。
しかも、わざわざ競馬場まで来てくれた奥様や子供達の目の前でのG1初制覇という事で忘れない1戦となった。
そして、実家の方でも大野拓弥騎手を応援しようと父親が事業拡大し、1口馬主として馬主界に参戦。
そして、馬主としての条件をクリアした事から2015年にJRA並びに地方競馬の馬主としてデビューが決まった。
ちなみに、馬主名義は父親の名前「大野裕」で
「大野商事」と間違われるが一切関係ない
ちなみに、Twitterでも「youtan馬主の夢ツイート」としてアカウントもあります。
そして、一族の夢を乗せた1戦となったのが2019年の7月の福島競馬場で
父親が馬主のホクセンジョウオーに、次男の大野拓弥騎手が騎乗して、初の親子でJRA初勝利を掴んだ。
大野拓弥騎手の実家の会社はJRAの馬主になる程の大きな会社でオーダーメイドで競馬のノベルティを依頼できたり、アイデア家具やペットの終活など幅広く活躍
そんな大野拓弥騎手と父親の夢は
親子で重賞初制覇
競馬が大好きでジョッキーを目指すも、夢半ばであきらめてしまった父親の夢は息子にバトンは繋がっている。
だからこそ、重賞を制覇しての口取り式で親子揃って美酒に酔うことこそが、父の願いであり息子の親孝行。
「穴馬の大野拓弥」と呼ばれるからこそ、どんな状況でもアッと驚く一閃を見せて
念願の親子制覇を果たすまで。
大野拓弥騎手のチャレンジは終わらない。
来週のスポットライト・ジョッキーは
鮫島克駿騎手
来週もよろしくお願い致します🙇🙇🙇
~あとがき~
皆様、新年あけましておめでとうございます🎍🎍🙇🎍🎍
今年もジョッキー45º情報刊、並びにウマママン共々よろしくお願い致します🙇
素人の手作り記事に皆様、お読み頂きまして感謝の念で一杯です。
さて、気合入れて元旦早々に公開となりましたが、書く時間の確保が出来ず、公開が遅れましてお騒がせいたしました😥
今年の目標としては、【WIN5の花火を打ち上げる】ので、とりあえず金杯で払戻率の上がるワイドでサクッと当てて好ダッシュを決めようと思います!
それでは今年1年、皆様の馬券ライフが的中祭りで潤い、幸せな1年になる事を心よりお祈り致しております。
お読み頂き、ありがとうございました🙇🙇
~ウマママン~