自己責任論を整理する
自己責任と言う言葉は俺は嫌いだ。それでもことコロナに関しては、そう言わんとすることは分かる。
自己責任論の基本は、"感染が個人の責任であると言いたいこと"にあるのではなく、施設や団体に責任を問うような話ではない、と言うことだ。
言ってしまえば、「当店の駐車場内での事故や盗難に関しては、当店は一切責任を負いません」と言う話と同じだ。
これはコロナのような飛沫感染系のウイルスの基本にならねばならない。
何故なら、もし感染の責任を企業や施設が負うなんて話になれば、誰も責任を負えないからだ。
どんなに感染対策をしたと思っても無くなっていない。
その事実だけで理解してほしいものだ。
結局、スクリーニング検査の結果、不顕性感染を発見することは有っても、不顕性感染を止めることなんて人間にはできないし、そもそも意図的に移しに行かない限り、移るようなものでもない。
だから毎年のインフルエンザ対策が最善となる。
うがい手洗いの徹底、
体調不調があれば休み、医者にかかる、
たったそれだけでいいし、それが人間にできる最大の対策だ。
それ以上は過剰でしかない。
また、対策への信仰は恐怖の裏返しとして根強く今も活きているが、
食品製造ラインの機械だって、異物混入等を防げない。人の手が入るのもあるし、機械も劣化するからだ。
製造ラインのような、目にも見えるものですら完全な制御はできないのだ。
そして何度も言われているが、ウイルスを撲滅させることはほぼ不可能であり、仮にコロナを撲滅させたとて、次の新たなウイルスとの戦いは最早約束されているのだ。
コロナ感染は、人間に責任を負えるものではない。
しかし、それへの対策と称した人為的行為には当然責任が生じなければならない。
国や都道府県は国民の移動を不当に制限した。そしてそれ等は国民の声を受けて制限したし、その流れの最大の加害者はマスゴミである。
これ等は全て、コロナのような天災ではない。
完全なる人災だ。
我々はこの人災による被害を徹底して抑え、
かつその責任を追及しなければならない。
人間にできること、できないことの整理は非常に重要だ。