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東京五輪と精神

五輪開催

ついに、ようやく、なんとか、東京五輪が開催された。

本来オリンピックに、更にはスポーツ観戦にも殆ど興味のない俺だが、ひとまず喜びたい。

開会式については少ししか見ていない。真矢みき等が出ていた奴だけたまたま見た。

何も期待していなかったこともあってか、結構良かったんじゃないの?と言う感想。

特にこの1年強はそもそも開催されるかどうかすら危険視されていて、リハその他が不要な要件(それこそ今もコロナ脳が大切にしているあれ)が課されている中であそこまでやれたのは、正直意外だった。

ここからのこの国の、この国の人々の成長と躍進を期待したい。

そもそも忘れがちなのが、今回のオリンピックはたまたま日本だから開催できたようなものだろう。

これがイギリスやアメリカなら、選手等の不安は更に高まっていただろうし、イタリアやフランスなら中止になってきただろう。中国の場合は政治的に難しかっただろう。

史上初の感染症による中止が免れたのは日本だったからだ。

勿論欲はある。

日本が状況を冷静に捉えて日常を普通に過ごしていたとしたら、もっと素晴らしいものになっていただろう。

それができたのにやらなかったことは国家として大きな失敗だと思う。

これら五輪に限らず汎ゆることに言えたことだが。

さて、精神と言ったのは、ある選手等がどのようなメンタルでいたのかと言う点に着目したいからだ。

と言うのも、どちらも能力は高いのに、開催前に競技以外の面でトラブルに見舞われていたからだ。

内村航平

「僕としては残念だなと思うことは、コロナの感染が拡大し、国民の皆さんが五輪ができないんじゃないかという思いが80%を超えていると。しょうがないとは思うけど、できないじゃなく、どうやったらできるかをみなさんで考えて、そういう方向に変えてほしい。非常に大変なことであるのは承知の上で言っているのですが、国民のみなさんとアスリートが同じ気持ちでないと大会はできない。なんとかできるやり方は必ずある。どうかできないとは思わないでほしい」。

これは昨年の内村選手の発言だ。これはご存知の方も多いと思うが、大バッシングを受けた。この"8割"の方々から今に至るまでずっと、開催そのものが国民的に批判されていた。

国民のみなさんとアスリートが同じ気持ちでないと大会はできない。

内村選手のこの思いは国民には届かなかった。

寧ろ行政までがアスリートの思いを軽視したりもした。

元記事は消されているが、他社の記事を貼ると、

後に熊谷は釈明するも、そんな口先だけの釈明に最早意味はない。政治は言葉であり、言葉に命を吹き込めない以上、本心は所詮はスポーツと言う思いは変わらないのだろう。

勿論、それは何かと比較した結果だろう。

その何かとは、票田である年寄りの気持ちだ。

また彼の発言を擁護する馬鹿もいたが、

ただ、熊谷知事が「所詮」と付けたのはイベントであって、スポーツそのものを卑下した発言ではない。そこは厳密に区分けしないと、アスリートを傷つけてしまう。

こんな区別でアスリートが傷つかないと思える辺り、余程の馬鹿だろう。

「私はあなた方のスポーツをする権利は守りたい!だがオリンピックはさせたくない!」

としか実質言っていないのが理解できない。

こんな馬鹿共が正義面して五輪潰しに躍起になっていた、しかも自国民が。8割も。

そんな現実が内村選手の精神に与えた影響は如何ばかりか。

瀬戸大也

瀬戸大也選手もまたスポーツ以外の面で叩かれた。不倫だ。

これも近年の空気がおかしなことにしているが、不倫はそもそもこの国において家庭内の問題でしかなく、他者が口を挟むべき性質のものではない。

それを今回の場合は週刊新潮が報道したことで社会問題化した。

この騒ぎには妻も参加して火消しに走ることとなる。勿論、本心では腸が煮えくり返る思いだっただろう。

だがそれは夫婦間の話であって、世間様に向かってわざわざメディアを通して意見するなんて異常には必要以上の哀れみを覚える。

家庭内の問題と国民が弁えさえすれば、離婚するもしないも家庭内の問題として処理できただろう問題も、ゲス週刊誌とゲス大衆が関与することで極めて厄介な問題となる。

また、この際改めて男として言っておきたいが、男にとって性とは夫婦による独占的なものではない。ある意味生命そのものと言っても過言ではない(勿論、本当にそうでない人もいるだろうが)。

日本軍が慰安所を設置したのも、単なる娯楽の為では決してない。

男の性欲は生命の危機や過度なストレスを感じると本能的に高まる。

古来軍人はそれをレイプにより昇華してきた。

しかしそれは人道的に許すべきでないと日本では考えられ、職業慰安婦を雇い、有償でサービスさせることで様々な問題(レイプ、性病、堕胎)を回避するようにした。

スポーツもそうだ。極限まで肉体と精神を研ぎ澄ますことによるストレスは相当なものだろう。

そのストレスが性欲に向かうのは男としては必然だろう。

勿論、そのマネジメントをどうするかと言う問題はある。完全に禁欲にする方がパフォーマンスが出しやすい者もあれば、適度に管理した方がいい場合もある。

瀬戸の場合はどうだったか、今更検証なんて馬鹿馬鹿しいことはやるべきとも思わないが、その不倫自体が彼の成績に、精神に影響を与えたとは思わない。

矢張り家庭内の問題へのバッシングの問題だろう。

この問題は本当に執拗で、いつまで経っても追及される。それは言ってしまえば批判する者共が殆ど女だからだろうと俺は思う。女は他人の問題を自分の問題と考える傾向がより強い。だから家庭内の問題であるにも拘らず、それを自分がやられたかのように感じて批判する。勿論、当事者の都合や価値観は無視して。

瀬戸が戦ってきたのはこちらだろう。

競技や性欲なんかではない。社会的監視、不信感の視線だ。

池江璃花子

彼女もまた、反五輪派に利用され、要らぬ考え事をすることとなった。

病気の影響もあったかもしれない。しかし、病気だったら、何クソこんなもん!と逆境に立ち向かい、より力が出せたかもしれないが、

今回彼女に訪れた問題は、五輪の汎ゆるアスリートの努力や意志、メンタル等への配慮、尊敬ではなく、「国民様の健康の為にお前等はオリンピックを諦めろ」と言う卑怯な圧力だった。

彼女も直ぐに悟っただろう。組織委員会側としては、五輪を成功させる為に、彼女の奮起に期待したいと考え、依頼したから彼女も受け入れたが、

愚民共の中止圧力には本当に心を痛めただろうと思う。本当に彼女に得るものは何も無かった。それどころか利用しようとした奴等すら何も得ていない。全員がただ損しただけの圧力だった。

この件の影響は多分にあっただろうと思う。

日本人と精神

スポーツとメンタルは非常に密接であり、これによって汎ゆる判断、動作が影響される。俺も多少は嗜んでいるから分かるが、調子がいい時は何をやっても上手く行くし、悪けりゃ何をやっても上手く行かない。それがゲームの途中からでも起きるものだし、それを終始、しかも試合前から制御するのは非常に難しい。

ましてや国を代表している選手なら、その応援の力はほぼ純度百で影響を与えるだろう。

現場の応援と言う意味では、各国とも無観客故に平等だが、我が国においては既に述べた通り、選手を蔑む声が非常に強かった。

我が国の常識的な考えとしては、今の自分の能力は、個人の才能と努力だけではなく、周りの皆の支えがあるからこそ発揮できる、と言うものではないか?

それが日本人の強さだと言っても過言ではない。

しかし、コロナ以降の腐った部分だけが過度に露出されたこの国において、その強さの基盤は期待できなくなった。

寧ろ強さはコロナに怯える方にだけ向けられた。

開催前から物議を醸したこの3人に限らず、様々な思いを胸に秘めながらトレーニングに励んで来ただろうアスリート達が、最善のパフォーマンスを発揮できるよう、彼等にはより多くの素直な応援の声が届くようにしたい。

我々は我々の精神をどのように使うべきか、少し考え直すべきではないか。


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