本当に制限なく考えたときに、人はどう生きたいかを考えるヒント〜前編〜
前回は亡くなった人が、亡くなった後にどんなことに心残りがあるのかを書きました。
前回の記事⇩
「人はどう生きるのが良いか」は、私が昔から自分のテーマとして持っていることの一つです。
そのヒントとして、亡くなった方の声に耳を傾けるのは一つ役に立ちそうです。
生きているうちは意識がはっきりしていない時もままあり、日々接する媒体から怒涛のように情報が流れてきますから、自分の中から自然と出てくる声や感覚がかき消されがちです。
しかし、意識的に、自分の内面を見つめたり、自己との対話、瞑想などを通して自分自身とのコミュニケーションを図って現実の人生に反映することが日常に落とし込まれている場合は、自分の内面と人生との間の不一致が少ないはずです。
また、中には「自分の直感と感覚に従うことでしか人生を生きられない!」という方がいらっしゃるので、その方はあまり自分自身との対話の時間というのも必要はないと思います。
もし、今自分の人生が停滞しているときには、死ぬ前の後悔を考えることで、今の現実に変化を起こすきっかけになるかもしれません。
題材としては、以前新聞記事で読んだオーストラリアのホスピスで働く看護師の方が、死を間際にした人々から聞いた5つの後悔をご紹介します。
後悔1.自分自身に忠実に生きればよかった
後悔2.あんなに一生懸命働かなければよかった
後悔3.もっと自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった
後悔4.友人関係を続けていればよかった
後悔5.自分をもっと幸せにしてあげればよかった
以上の5つの後悔です。
もとの記事を取っておいたはずなのですが、今手元に見つかりません。
実際はもう少し書かれていたと思います。
それでも、以上の5つの後悔を読んでみてどう感じるでしょうか。
まだ、今その瞬間を感じていないときは、未来の自分を想像して、その上で、未来から過去に遡って後悔することをイメージするのは少しやりにくさがあるかもしれません。
それでも、今この瞬間に後悔しそうなことをなんとなく感じることはあると思います。一つずつ少しだけフォーカスしてみたいを思います。
後悔1.自分自身に忠実に生きればよかった
人に合わせることは、その人との関係を円滑にします。
組織の中で、自分の意見は二の次にして、みんなに同調することで物事が進むこともあります。
そのときはそうすることが良いことと思えても、どこかに自分一人が犠牲になっている感じがするものです。そのときには気づかなくても、自分を出さない、人に合わせてばかりでは、犠牲感が募って行きます。
いつか、自分の意見を言ったり、自分のやりたいことをやろう、そう思って時間が過ぎて、その頃には時間と体力とエネルギーがなくなってしまうこともあります。もしかしたら、自分のやりたかったことすら忘れてしまうかもしれません。
(後編に続きます。)