諏訪の小袋石にて。②
(①からの続きです。)
実際に、小袋石に着くまでの斜面の道には、磯並社、瀬神社、穂股社、玉尾社の四社の石祠があります。いずれの祠にも四隅に御柱のように木が立てられており、各祠に神を下ろし、そして守るための結界の役割があるように思います。
各祠にて挨拶をしながらゆっくりと山道を登っていくと、目の前に小袋石が現れました。
これまで幾つかの巨石を日本各地で見ましたが、ひとつの岩でこれほどの大きさと存在感を放つのは見たことがありませんでした。
小袋石の周囲には、他に同じような巨石があるわけではないので、周囲の木立の中でこの岩のみがその場に何かの意思を持って存在するようにも思えます。
小袋石の下から下方に向かって溝が出ていて、そこを小さな小川のように水が流れています。
このような溝があれば、大雨が降った際には水量の増加によって川のようになり、その幅も広がったり、また、山の上方からの土砂や岩などによって巨石の位置も変わりそうですが、見たところ動いたような感じはしません。
諏訪大社上社前宮は、諏訪信仰発祥の地とされ、現地の郷土誌にもこの小袋石の近くにある「磯並社」が上社の始まりという記述があるようですが、実際に現地に行ってみると、それらのことがより感覚的に理解できると思います。
神社が神社として建物をもつ前の、自然に対する、もしくは自然の背後にある巨大なエネルギーや何かの大きな存在の気配に対しての畏怖や信仰の形を表すのに、この巨石は適していたのではないかと思います。
諏訪大社の神事や磐座信仰を踏まえて、この目の前の巨石の前に立つと、神をここに降ろすということも自然なことのように感じてきます。今回はここで依頼されたことを実行しました。
さらにインターネット上の情報を調べていくと、この小袋石のある場所にも意味があるという記述があります。それはこの小袋石が、中央構造線(※1)と糸魚川静岡構造線(※2)の交わるポイントにあるというものです。
(※1)日本列島の地質を南(太平洋側)と北(日本海側)に二分する断層
(※2)ユーラシアプレートと北米プレートの境界
また、別な説では、小袋石はユーラシアプレート、北米プレート、そしてフィリピン海プレートの交点(あたり)にあるというものです。
もし小袋石のある場所が、中央構造線と糸魚川静岡構造線の交点または3つのプレートの交点だとすると、それは要石として大地の動きを抑制する役割を担っているものなのかもしれません。
実際のところ、地質学上では西から伸びてきた中央構造線は、糸魚川静岡構造線まできたところで、糸魚川静岡構造線の東側にあるとされるフォッサマグナ(地溝帯)の領域では消滅しているとも言われているようです。もう一つの考えである、3つのプレートの交点の上にあるという説についてももう少し調べてみたいところです。
ただ、「小袋石」を調べることによって、この巨石が日本の重要な要石の一つのような役割がある可能性、諏訪信仰、日本最大級の縄文遺跡とストーンサークルなど、幾つものテーマが日本の中央とも言える場所に横たわっていることに不思議さを感じながら、次の目的地へ向かいました。