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金の鯉 銀の鯉

ひいおじいちゃんは、自分の庭をこよなく愛していた。そして、風流な人だった。

家の居間からは、池と和風庭園が眺められるようになっていた。冬になると寒さをしのぎながらも、庭の雪景色が楽しめるようにと、雪見障子に変えて暮らす。

ボーン、ボーンと時を告げる柱時計。火鉢には、いつも鉄瓶でシュンシュンとお湯が沸き、きちんと整頓された空間で、静かに時が流れる。


私は小さい頃、熱を出すと、母のいる仕事場ではなく(我が家は自営業で商店を営んでいた)、別宅のひいおじいちゃんの家に預けられた。

小さな私が熱にうなされ、目が覚めると、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが優しいまなざしで、私を覗き込んでいる。

私は、その二人の顔を見て、安心してまた眠りにつく。

ひいおばあちゃんが、額に冷たいタオルを交換してくれたり、食事を口に運んでくれ、ひいおじいちゃんがそっと足をさすってくれる。

この家に来ると、まるで私はお姫様のようだった。

そして、二人はどんな時でも私の視界の中にいるものだと思っているので、いつも見えるはずのふたりのどちらかひとりでも姿が見えない時は、少し不安になった。


ある冬の日、いつものように熱を出し、ウトウトして目が覚めると、ひいおじいちゃんが私の枕元に何かをそっと置くのが見えた。

体をそっとそちらに向けると、そこには、黒い丸盆の上に可愛い2匹の雪ウサギが乗っていた。新雪の白い体に、耳はつややかな南天の葉っぱで、ウサギの目は、真っ赤な南天の実だった。

余りに可愛くて、うれしくなり、うっとりとその雪ウサギを眺めていると、ひいおじいちゃんは今度はそっと雪見障子を上にあげた。

私が横になっているところから、雪見障子の向こうに見えたのは、3つの大きな雪だるまだった。

一度熱を出すと、1週間から10日は熱が出たり下がったりを繰り返すひ孫のために、ひいおじいちゃんは寝ている体勢からも私が見える位置に、大・中・小の雪だるまを作り、雪に触れることのできない私のために雪ウサギをお盆にのせて、家の中へと運んでくれる。

ほとんど声を聞いたことがないくらい無口で厳格なひいおじいちゃんは、とても優しく、情緒ある人だった。


そんなひいおじいちゃんが認知症になり、大量に買い物をする時期があった。

庭はすでに整っているにもかかわらず、庭に入りきらないほどの大量の庭木が大型トラックで届いた。

そんなある日、新潟から大量の錦鯉が届いたことがあった。ひいおじいちゃんは、錦鯉が好きで、すでに家の池にはたくさんの錦鯉が泳いでいた。

家族は困惑していたようだが、ひいおじいちゃんはいつになく上機嫌で、大量の鯉となぜか鯉屋さんらしき人を引き連れ、帰ってきた。ちなみにその鯉屋さんらしき人は、そのまま家でご飯を食べた後、そそくさと帰っていった。

その届いた大量の鯉の中に、いままで見たことのない、金と銀の2匹の鯉がいた。私は珍しいその鯉に夢中になった。家族は、遠巻きでその様子を眺めていたが、とても美しいその鯉を私とひいおじいちゃんは二人でずっと池のほとりで眺めていた。

その鯉は、すぐに私たちのお気に入りになった。

認知症になっても、行動はその人のベースの上に変化していくので、本当の願いや興味というのは基本変わらないように思う(脳の損傷や病気のケースによってはまた別だと思うが)。

ただ、本当の思いを隠して生きてきた場合、本来の欲求が出ることもあるのではないかと、3人の認知症を患った家族を看て、私は感じている。

私のひいおじいちゃんは、認知症になって、買い物の欲求の制約がはずれたが、庭木や錦鯉など、美しいものや自分の感性に合うものを買い求めた。

私がもしそうなったら、私は何を制約なく求めるのだろう?末恐ろしい・・・。


余談だが、私やひいおじいちゃんの他に、池の鯉に興味津々の者がもう一人いた。それは、私の2つ上の従兄だった。

彼は、夏休みなど長期休みになると、叔母の実家である我が家へ来ては、かならずひいおじいちゃんの大切にしている池の鯉にちょっかいを出し、そしてかならず池に落ち、そしてかならずひいおじいちゃんに怒られ、杖で追い払われていた。笑

色々な方法を試し、どうにか鯉を捕まえようと試みては、その度に最後は池に落ち、ひいおじいちゃんに見つかり、お叱りを受ける。

私にとって、無口だけど優しいひいおじいちゃんは、彼にとっては、怒られたことしか印象にない人だという。

そんな好奇心旺盛で、探求心の強い子どもだった彼は今、立派な研究者になっている。ひいおじいちゃんの大切な鯉も、それに一役買っているのではないかと、ひそかに思う私である。



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