嬢ちゃんばーちゃんとクリスマス
おばあちゃんには、社会性なるものが欠如していた。
呉服屋の長女として生まれ、
高校を出ると、東京の呉服屋さんへ『行儀見習い』に出たものの、呉服屋のご隠居さんご夫婦に可愛がられ、歌舞伎に食事にとお供させてもらい、そのまま結婚。
社会に出ることなく、家庭に入った。
そこで贅沢なるものを覚え、
のちに家計の計算もできないため、
大いに苦しむことになるのだが、、、。
東京で暮らし、
母がおばあちゃんの実家の跡取りになるため
家族みんなで信州へ引っ越してきた後も、
お店の経営や地域に関わることは祖父が、
親戚付き合いやお店のお客様のお付き合いはほぼ母がやっていたため、
おばあちゃんの社会性は若い時とあまり変わらず、
周りからは密かに『嬢ちゃんばーちゃん』と呼ばれていた。
面倒くさいことは周りの人に回し、
かなりのマイペースで自分の世界を持っていたおばあちゃん。
自分の娘である私の母が居ないと何もできないと言っていいほど、朝起きてから寝るまで母の名前を呼びつづける。
「お母さんが目覚めると、私の名前の大安売りが始まるわね。」と母が言うぐらい、親子逆転しているように私には思えた。
そんなおばあちゃんだが、
母は「いつも思い出しては、『お母さんには敵わない。』と思うことがあるのよ。」と話してくれた事がある。
それは、母が小学生の頃にさかのぼる。
当時、母たち家族は祖父の仕事の関係で、東京の京橋に住んでいた。
銀座も近く、クリスマスが近づくと、姉妹でワクワクしていたという。
クリスマスになると、
ハーシーのチョコレートやココアが届き、
テーブルにはいつもと違うご馳走が並ぶ。
その年も、学校から帰ると、クリスマスマスの準備が整っていて、テーブルには美味しそうなご馳走が並んでいたそうだ。
すると、どこからか慌てて帰って来たおばあちゃん。
母たち姉妹に、「そのお皿を持って、着いていらっしゃい!」と言う。
ご馳走が盛り付けられたお皿を持って付いていった先は、数件先のお宅だった。
おばあちゃんはそのお宅の方に一声かけ、そのお家のテーブルに食事を並べ、家に戻ったという。
小学生だった母たち姉妹は、
楽しみにしていたクリスマスだったのに、
なぜかご馳走もプレゼントも一瞬にして、
全部消えてしまった。
何が起こったのかわからず、
母たちは悲しくなったという。
すると、おばあちゃんは
「◯◯さんのお宅ね、事業がうまくいかなくなって、倒産してしまって、家も明日には明け渡さないといけないんですって。あなたたちは、明日も食事ができる保証があるけど、あの子たちは明日食事ができる保証がないのよ。」と言ったそうだ。
その年のクリスマスは、本当にひと皿もテーブルに残っていなかった。
母は思い出し笑いをしながら、
「自分の家の子たちのために、ひと皿くらい残してくれたっていいじゃない。でもね、そのひと皿も残さず、人様に差し上げる事ができる母を、その時、誇りに思えたの。その時のことを思い出すたびに、あーーー、この人には敵わないって、今だに思うのよ。」
おばあちゃんの愛は、計算式では出てこない。
正しい答えや、正しい行動かどうかもわからない。
だけど、私もその話しを思い出すたびに、
このおばあちゃんの遺伝子が自分の中にもあると思える喜びと、
そんなおばあちゃんと過ごせたことを誇りに思う。