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川端康成の世界~6月の読書記録『川端康成異相短篇集』

昨年12月の読書記録で、川端康成の『白い満月』ついて書きました。

こちらの記事がご縁となり、檸檬音度様より『高原英里編 川端康成異相短篇集』をご紹介いただきました。ありがとうございます!

こちらの『川端康成異相短篇集』には、小説16篇、随筆3篇がおさめられています。私が特に好きだったのは以下の3つです。『白い満月』もやっぱり好きなのですが、過去に読んだことがあるので今回は除外しました。

まず『心中』。
文庫本の見開きで2ページしかない超短編。なのに、怖い。

(お前たちは一切の音を立てるな。戸障子の明け閉めもするな。呼吸もするな。お前達の家の時計も音を立ててはならぬ。)

『心中』より引用

後ろを振り向いちゃダメ、振り向いちゃダメ、振り向いたらどうなるか………。
結末の3行は(そうだよね、そうなるよね)と予想は出来るけれども、怖くて振り向いてはいけないような作品でした。

続いて『離合』。これが一番好みでした。
嫁入りを控えた娘・久子に会うために地方から東京に出向いた福島。妻とは別れてだいぶ時間が経っている。久子は、父親である福島が東京にいる間に、信州に住む母親も東京に呼び寄せたいと言い、電報を打つ。娘の久子が勤めに出たあと、福島の前に、妻・明子がひとりでやってくるのだが…。

「遠い、遠いって、なんで遠い近いをお計りになりますの?私にはみんな近いようですわ。私のいる国はそんなに遠くありませんわ。いつもあなたや久子の近くにいますわ。」

『離合』より引用

お察しの通り、妻・明子はすでにこの世の人ではない。
個人的に疑問だったのは、なぜこの話の表題が『離合』なのかということ。他の短編は作中に登場するものから採用されていて、わかりやすくタイトルになっていることが多い(『白い満月』『犬』『弓浦市』など)ので、少しひっかかっていました。
あとがきにて『離合』について編者の高原英里氏が『異と常の並存した、あるいはシームレスな感じに読める』と解説しておられたのを読み、この「シームレス」という言葉がめちゃくちゃ腑に落ちました。
離合とは、離れたり、集まったりすること。その境目がないということか。

続いて『死体紹介人』。タイトルからして不穏。
顔を合わせたことのない女性の同居人・ユキ子が急死。朝木新八は、この女性は内縁の妻だと偽って大学病院に解剖の材料として提供する。すると、ふるさとから死んだユキ子の妹・千代子が訪ねてきて、姉の遺骨が欲しいと言い出す。遺骨がないことに困った新八は、火葬場を尋ね、死んだ売笑婦の姉の骨を拾っている女・たか子から遺骨を分けて貰い、ユキ子の骨だと偽ることにする。その後千代子と新八は婚姻届を出して夫婦となるが、千代子は姉と同様病にて急死し、またしても新八は千代子の遺体を大学病院に提供する。そんな中にたか子がやってきて、新八と、千代子の遺体の前で愛を誓いあう…という話。

新八はたか子からハンカチを奪い取ると、千代子の顔を隠しに立って行った。
通夜人足のいびき声がすさまじい氷雨の間から聞こえていた。その声も、また死体も、二人を燃やす炎の役をつとめるのだった。

『死体紹介人』より引用

気味が悪いを通り越して、正気の沙汰ではないと思う。けれど、先ほどあげた『離合』と違って、生と死がきっぱりと隔絶されているようにみえる様が面白いと思った。

ウィキペディアによると、川端は父にも母にも幼くして死に別れたうえ、その体質を受け継いだのか本人も病弱であったらしい。さらに小学校に入ると祖母・姉を亡くし、次いで中学生の時に祖父を亡くし、ついに孤独の身になったという。つらい。

以前、私が学校現場に勤めていたとき、国語科の先生と川端康成の話になったことがあった。
私が「川端は地位も名誉もあるのに晩年になって自ら命を絶ったことがよくわからない(川端はノーベル賞を受賞したあと自殺している)。」と疑問をぶつけたところ、先生は、しばらく押し黙ったあと「………僕には、書けない苦しさはよくわかる。」と小さな声で仰ったことがあって、その言葉が十数年たった今でも印象に残っている。

実際のところ、川端がなぜ自ら命を絶ったのかは遺書がのこされていないのでわからない。
繊細で純粋で孤独な哀しみを、文筆に凝縮させていたのだろうか?

『川端康成異相短篇集』を読み、彼の生い立ちを知ってしまうと、幼いころから川端の視界の端に、ぼんやりとした「死」の感覚があったのではないかと思わずにはいられない。

継ぎ目のない生と死の世界を生きる途中で、ふと、自分から道に迷ってしまいたい、という気持ちがあったのかな…などと、ひとりで思ったりしています。



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