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あいさつ、<AO理論>の概要
この作品は、いわば僕が何者であるか、をできるだけ正確に自由に説明したものです。表現方法はいかにも昭和中期の文章表現ですし、いわゆる学界でアカデミックな議論を経ているわけでもなく、オリジナルな造語や概念が展開されます。
自己紹介や<変歴>にも挙げましたが、周囲の多数の人達を巻き込みながら、随分と自由に生きてきました。その「自由」、僕が追い求めた自由は、誰もが共有できるし、そして誰かが実践できたら、社会は良い方向に変わってゆくという信念があります。
こういうと「政治」を連想されるかもしれませんが、僕はこれまでに選挙に行ったことがないです。それから、「自由」にしても、僕はお酒も飲みませんし、ギャンブルもしませんし、スキーも行きませんし、男女交際的なやつでウヒウヒ、のようなノリもないです。蓄財にも興味がないです。「自由」にしても「政治」にしても、よくいわれている「自由」「政治」とは異なり、<あるべき自由>や<あるべき政治>のことをいっています。
僕のいう自由というのは、選択肢のことです。そして政治とは、あの一時的な選挙祭りや、はるか上空で為されている議会制民主主義とやらではなく、自分たちがもっと生活に密着した範囲で営んでいる部分から生まれるもののことです。
日本を批判的にみる方々はよくいますが、僕の立場からすれば、批判というのは前時代的なやり方で、よりよい選択肢を提案するのが優れたやり方です。倫理的にも、特に中高年世代の人が日本たたきをするのは、数多くの先代の方々に失礼だと思います。今の日本は、他国と比べていくつもの優れた面をもつ、素晴らしい国の一つであるのは、数値的にも世評的にも歴然としている事実です。そしてこれを創ってこられた数多の先代の方々には、深く敬意を払いつつ、よりよい次へ進んでいかなければならないと念います。
この作品は、2024年11月、NPO法人日曜大学で発表したレジメを基にしています。一連の発表もこの日曜大学であり、もう30年ほどにわたって議論がなされてきました。したがってこの作品は手作りの小さな大学で創られていったものです。日曜大学の参加者、研究家のみなさまには深く感謝いたします。
<概要>
今回の発表は、僕の思想<無差別選択主義>が、
民主主義の変質やZ世代にも対応できるかを
発表するのがメイン(第2章と第3章)です。
第1章はこれまで発表のまとめを
行っています。
目的は、
幸せの増進のためには自由を増すこと。
それは、選ぶこと、選ばないことで
特別視されない社会的選択肢が
増大すること。
そのためには、
三つのイデオロギーを現代化する
必要があります。<第1章の第1節>
この理論が正しいかどうかに関しても
検討しなければなりません。
それは哲学的な議論や
過去の社会理論も含めて
<第1章の第2節>に展開されています。
<目次>
第1章 アナルコ=オプショナリズム
(略称:AO)
第1節 三大イデオロギーの超克
現在、なんとなく「これは良いこと」「これは正しいこと」とされているイデオロギーを三つ(資本主義、民主主義、人権主義)あげ、AO理論がこれらを超克することを目的の一つにすることを説明する。
第2節 AO理論の背景
「価値観論」「成熟社会段階論」「社会的決定論」
AO理論が正しいかどうかに関し、哲学的な価値論や判断論を「価値観論」として総括する。また、現在の社会が歴史的にどのような状態にあるかについては、「成熟社会化段階論」を説明し、AO理論が他の国にも適用可能な理論であることを説明する。続いて「社会的決定論」では、複数の選択肢から合理的な選択を行う方法について説明する。その際、あらゆる社会思想、社会科学が目的におく幸福の増進についても、「幸福から幸福感への転換」を説明する。
第3節 前提の変質
「我々の世代とZ世代」「昭和と令和」「身近なところでの決定」
前節で述べたような理論的背景は、新しい時代や問題に対応できるのか、その問題提起を行う
第2章 強弁制事なかれ主義の跋扈
第1節 議会制民主主義は一部の者を除き、生活とは関係ないのではないか
第2節 投票以外にも政治的活動や決定方法はあるのではないか
第3節 強弁制事なかれ主義は民主主義を崩壊させるか
第3章 Z世代という捉え方とその対処
第1節 そもそも各世代へ名前を付けてきたことに意味はあるのか
第2節 Z世代の特徴を示す若者は、どこにいるのか
第3節 我々(昭和)とZ世代(令和)という構図はどこで成立しているか
(順次、字句訂正や整理し直しなどを行っています)