国家を創る権利について
「個人には国家を創る権利がある」これは僕の主張の一つです。
まじめに言っています。
しかし、国家の考え方が大きく違います。
この世界にはいろんな国家があります。
文化のことではなく、国家の承認のことです。
領土なき国家、国民なき国家、
多くの国が承認していない国家、
名称だけの国家・・・・
国家は、
<国家か、そうではないか>の
二分法ではなく、
国家度数というものがあります。
国家度数高い国は、みなさんが
典型的に連想する先進国です。
でも世界には、そうではない国が
たくさんあります。
これは「国家創造研究会」の途中経過発表です。
<はじめに>
国家とは何か。モンテビデオ条約における4要件を満たしていれば国家で、そうでないものは国家ではないのか。しかし、それは誰が認めるのか。
そもそもある地域を国家か国家でないかという二元論でとらえることはできないのかもしれない。国家は我々が思い描く国家、つまり「完全な国家」から、いくつかの要素が抜け落ちた国家、そして国家的な存在、というようにレベルがある。ここではこれを国家度数と称して以下のように尺度化する。この国家度数の尺度は原則として1から12へと進もうとする段階構成を取るが、現実には、逆方向やその段階を望む場合もある。
通常、我々は国家というものを、レベル9の段階以降のものとして捉えてしまっている。しかし、現実に成立している国家は我々が思うような段階からかなりかけ離れた国家も存在する。我々はそれを知らないだけである。
国家というのは上記のように段階的に、連続的な存在として捉えるべきものであり、その国民がどの段階を以て最適だと感じるかによって国家創造のレベルが決定されるであろう。独立できるのに独立しない地域もあれば、国家として承認されているのにその実体がない国家も存在する。
国家の創造・・・。不可能なように見えるが、現代においても十分に可能性があるかもしれない。