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短大生たちに教えてもらったこと

もう今はなくなってしまった学校、大阪女子短期大学。今もある大阪女子ではない。藤井寺にあったほう。
たしか2010年頃から、そこで僕は生徒たちに、数学と小論文を教えていた。毎年120人くらいだっただろうか。併設されていた高校も女子校だったし、先生も女性の方が多かったので、知らない生徒たちが遠くから指をさしてきて「あ!男だ〜」とやられたりしていた。

それはさておき。
教えていた数学とは算数のこと。当時「分数のできない大学生」というフレーズが話題に上がっていたが、彼女たちの中には、分数の足し算と掛け算を忘れてしまっていた生徒もいたし、1割引という計算ができない生徒もいた。ほんとに、たくさんいた。これを教えるために僕がいた。

一方、教えていた小論文とは作文のこと。課題(趣味について、イヌとネコはどっちが好きか、とか)に沿って原稿用紙に一枚、文字を手書きで書き連ねるのはとても難しそう。漢字も間違い多いし、スマホを使わせても間違って写したりする。

ある日の課題は「地球があと3日で終わります。あなたは何をしますか」というもの。
大阪南部エリアの、分数もできない短大生たちは、何を書いた人が多かったか?

それは「感謝」だった。

・今までケンカばかりしてきた弟にありがとうを言いたい
・お世話になった家族のみんなにありがとうって伝えて、そして手をつないで最期を迎える
・家の花壇のきれいな花とか、それをずっと育ててくれたお母さんにありがとうをいいたい
・遠く(具体的な地名)にいて会えないけれども、小さい頃お世話になったおばちゃんとおじちゃんにお礼をいいにいく

などなど。
4年ほどやって500人ほどの生徒がサンプルなので、感謝を内容にして書いた生徒達が特別なのではない。あの短大生たちのうち、7割近くは、このような感謝ネタだった。

「作文だからいいこと書こうとしてるんちゃうの?」という僕の質問に、
きょとんとしながら
「先生、みんなそうだと思うよ〜」
と応える生徒たち。

もう、これさえあれば、こんな精神があるなら、分数とか割合とか、もうそんな些細なことはどうでも良いのでは?・・・そんなことに初めて気づいて反省した。

学力の低下とやら問題視している学者センセーたちは、知識の一部だけを見て、人間として最も大切にすべき部分の成長を見てないのでは?・・・そう思った。

就職は大阪都心部とか東京とかがいいの?と聞いたら、「いいえ。地元で育って地元にお世話になったんで、戻って働いて何か返したいです」と口々にいう生徒にあふれていた。
Fランという言葉を使うやつら、全員シベリアへ送れや!・・・・そう思った。

ちなみに同志社大学では「自分がやり残したこと(人それぞれ)をする」が圧倒的に多かった。
名前はいえないが、とある大学では「犯罪的行動」が多かった。
「最後になったらそんなやばいことするんか?」と聞いたら、その大学でも「えー、みんなそうやん〜」と返ってきた。

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