見出し画像

3 アパート一棟20部屋を借りてみた

今となってはもう2004年頃のこと。
面白い物件だけを取り扱う不動産屋があった(名前は日本林業)。もしかしたら、僕にだけそういう物件を紹介してくれていたのかもしれない。

ノーベル賞湯川秀樹さんの近くの激安一軒家、敷金が激高だが家賃が激安(5000円だったと思う)の大きな屋敷などなど。

とある日に紹介してもらったのが、京都市一乗寺にある古すぎるアパート。部屋数はなんと20部屋。家賃はなんと6万円。これはもう、引っ越して借りるしかない!即断即決。

当初はまだDVセンターが少ない時期だったので、先駆けてDVセンターをやろうという計画もあった。しかし、マンパワーが足りなさすぎ。結局、僕とTくんはDVセンター、駆け込み寮契約を諦める。
で、普通に住むことに。実家があるTくんは住むのは無理と言うので、別のパートナー住人を急遽探す。

風呂はなかったが、銭湯が近くにあってそんなに困らない。友人のF田くんが2階10部屋、そして僕が1階の10部屋を借りて住む。部屋はたくさんある。どの部屋で寝るか迷う。廊下をキックボードで移動したり、落成式典をみんなで何回もしたりした。

ここに住みたい、という需要があるのでは?と思って電気代ガス代水道代込みで月5000円で口コミしたら、すぐに人が集まってきた。僕が住む部屋がなくなってしまうほど。

それで僕は、湯川秀樹さん旧宅の近くに引っ越し。自宅のお風呂を開放する。

その後、寮の名前はボンボン荘と名付けられ、スペインから絵描き夫婦が住み込んだり、怪しすぎる男性(いつもトイレを汚すとか)が移り住んだり、よくわからない面白い人々がいた。

京料理の職人志望者が長崎から僕の家に来て住み付き出したので、毎月一回、試食会と称してボンボン荘で料理企画をしたり、映画の撮影にも使った。他にもいろいろイベントをやったのかもしれないが、すべて忘れてしまった。
まあ、とにかく、予約待ちが出るほどに人気で、賑わっていた。寮長が役割を分担し、掃除に集金に支払いまで、上手く運営されていた。そのうちにシャワールームまで自作で作られた。畳部屋のシャワールーム。使っていけば、先はどうなるか分かりきっているが、それがまた良い良い。

しかしいつの頃からか、寂れてくる。僕自身、足が遠のいてしまったし、誰が住んでいるのかさえ把握しなくなってきた。
一時は男女比半々だったが、住む女性がいなくなって男子寮化し、そして部屋を倉庫代わりに使う人も多くなって住人数が減ってきて、卒業とともに学生がいなくなって代替わりがおらず、住んでいた住人達の高齢化も進んだ。

で、2022年。とうとう契約を解除したようである。ようである、というのは、当初の契約者である僕なしで済んだということで、どうやったのかは知らない。同窓会をやろうやろうと言いながら、一向に話が具体化しない。このまま記憶さえも風化してしまうのだろうか。

そういえば、最初に払った敷金とか保証金とかどうなったんだろう?まあ、もう昔のこと。みんないい思い出だよね〜


いいなと思ったら応援しよう!