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忙しい人のための「お金の流れで読む日本の歴史」②〜飛鳥時代・すごいぞ古代日本〜
文字数:1793文字
所要時間:約3分
どうも、うまちゃん先生です。
本日は、前回の記事の続き「お金の流れで読む日本の歴史」の第2弾です。
第1弾はこちら
前回のあらすじ
物々交換をやっていた人々は、便利なお金を発明した!
時代は飛鳥時代、日本で最初の通貨が誕生したのだ!
今から1500年ほど昔。飛鳥時代といえば、豪族の時代。みなさんも、学校の授業で聞いたことがある超有名な豪族といえば、「蘇我氏(そがし)」でしょう。
まぁ!なんて悪そうな顔なんざましょ!
この蘇我氏が繁栄した理由は、一言で言うと既得権益(きとくけんえき)なのです。もともと蘇我氏は、朝廷(今で言う政府)の財政に深く関わっていました。その頃の財政は「斎蔵(いみくら)」「内蔵(うちくら)」「大蔵(おおくら)」の3つに分けて管理されていました。
・斎蔵(いみくら)…儀式用の道具を保管する倉庫
・内蔵(うちくら)…朝廷の官物を保管する倉庫
・大蔵(おおくら)…全国からの貢ぎ物(税金)を保管する倉庫
当時は現代ほど、国民による物の売り買いは盛んではありませんでした。よって、国のお金のほとんどが、税金として朝廷に没収されるのです。
そこを管理する蘇我氏!一体どんな甘い汁をすすったのやら…。事実、蘇我氏は職権によって私服を肥やして行きました。
絶大な権力と経済力を誇った蘇我蝦夷(えみし)のとてつもない豪邸の話が今も伝わっています。
外国からの使者(今で言う大使ですね)を自宅に招き、馬一頭と鉄の延べ棒20本をプレゼントとして贈ります。さらに、自宅の敷地内には来客用のホテルがあり、どんちゃん騒ぎもオールオッケー!敷地内には大きな池があり、その池には小さな島も浮かんでいたとか。
ヤベー豪邸‼️
そんな豪邸を日本各地に持っており、財宝を保管する倉庫や、武器を保管する倉庫なんかもありました。そんな状態が4代にわたり続いたのです。
その絶大な経済力から、日本最古の歴史書「日本書紀」に記されている唯一の一般人が蘇我氏なのです。蘇我氏は日本最古の大金持ちといってもいいでしょう。
そんなチート級金持ち、蘇我氏を倒すべき立ち上がった英雄がいたのです!
中大兄皇子、中臣鎌足の二人です!
蘇我氏は645年の大化の改新により、中大兄皇子、中臣鎌足によって、暗殺されました。
国の財産や税金は、権力者が独り占めにしてはいけない!国民のために使うべきだ!
そんな熱い発想から、大化の改新以降の制度は作られました。
・土地は豪族のものではない!全ては国の領地とする!
・田畑を国民に貸し出します!その代わり税金払ってね。
・政府の重要なポジションは世襲制だったけど、廃止!有能な人に任せます!
・戸籍をちゃんと整理します!
これは現代の僕たちから見ても、かなり思い切った改革です。現代ですら、世襲制の国や企業は多々ありますが、1500年近く前にそれをなくそうなんて発想があるのがビックリですね。
古代も現代も、実は社会は同じような悩みを抱えてるのかもしれません。
さらに驚くことに、この時代には制度としての「社会保障」まであったのです。
大化の改新後、日本の税制度は「租庸調制」が採用されました。
・租(そ)…米
・庸(よう)…労役または布
・調(ちょう)…地域の特産品
をそれぞれ税として納めることになっていました。祖は「その年に獲れたお米の3%」を収めることになっており、決して高いものではありませんでした。いや、よく考えたら今の消費税(10%)より、かなり良心的だぞ!?
しかも、そこで納められたお米の大部分は、地方の役所に「賑給(しんきゅう)」として貯蓄されていました。
この「賑給」が神制度なんです。賑給は、お年寄りや貧困者のために「米・塩・布」などを支給する制度だったのです。
大化の改新における大改革は、本当に民衆ために考えられた物だったのです。
実は今まで日本では、民衆の怒りが爆発して、政府を倒すようなクーデターが起きたことは一度もありません。
革命が起きる時は、ある程度の地位にいる人が主犯格なのです。
それは裏を返せば「民衆が我慢の限界を迎えるほど、古代日本の政治は悪くなかった」と言うことなのかもしれませんね。
さて、意外にうまくいってる大化の改新後の日本ですが、大きな事件が起こります!!
アレが海を越えて日本にやってくるのです!日本は混迷の時代に突入していきます。
次回、乞うご期待!
うまちゃん先生でした。
アディオス!
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