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諦めたくないこと!!

約2400文字です。根気のある人、よろしく!!

やりたいこと、たくさんある!
諦めたくないこと、たくさんあるハズだ!
だけど、やりたいことと諦めたくないことは夢という点においては共通しているが同じ概念ではない。やりたいことは全ては叶わない。やりたいことの中で、諦めたくないことだけが叶う。諦めたくないものと言うのは、必ず叶うようにできている。と、思う。

「叶うようにできる」と言う部分にはたくさんのコメントがつきそうなもんだが、いつ叶うかなんて言うのは私にとってそこまで重要でない。というより、いつかなんて不確実なことは思考できないものだ。私が重要だと感じるのは、今現在が叶うことに近づいているかどうかだけだ。そう!つまり、努力しているかどうかだけが評価基準ということだ!努力の定義は難しいので、努力をもっと広く捉えて何かしらの行動とする。もし、いま何かやりたいことを叶えるための行動をしているならば、やりたいことが叶う可能性の確率を変化させ続ける。その確率はきっと好転し続けるだろうと思う。だって、やりたいことのための行動なのだもの!確率の上がり幅はゆっくりかもしれないけど!確実に叶う確率が上がり続ける!それは、いつか叶うことを意味する!だから、私にとって「諦めない」というのは「叶うようにできてる」なのだ。必ず叶うみたいなもんさ。

そして、話(やりたいことの中で、諦めたくないことだけが叶うということの話)を戻して、やりたいことってのは、本当に無限にあってありすぎて、大変だ。どれもお金と時間と体力がいる。そして、それ以外にも、やりたいこととやりたいことがケンカしたり、する。例えば、独占的なもの。住む場所や職業など、1つに決まるものだ。住みたいと思う場所Aがあっても、それ以上に住みたい場所Bがあったり、住まなければならない場所Cがあったりすれば、それは住みたい場所Aは棄却されることを意味するだろう。つまり、たくさんあるやりたいことは雑に並べてあったりして、同列に扱われるのかなと思うが、そうではない。実際のところは、もっともやりたいことから順に実に綺麗に順序が付けられているものなのだ。

これは、意識的にそうなのだろうか?私の場合は、少なくとも今の感覚としては、無意識にもそうであるも思う。だって、お金が1万円しかなければ、1万円しか使えなくて、無意識に勘定して1万円でできることだけをするからだ。あと10年しかないなあと思って、無意識にあと10年でできることだけをするからだ。

このことは、現実のある部分がやりたいことに対する不可能の存在を示唆している。その意味は、やりたいことの前に可能の範囲がすでに決められており、やりたいことが不可能な理由で評価される状況にあるということだ。違う言い方にすれば、やりたいことにはおおよそ「やりたい理由」がある気がするが、その「やりたい理由」が「不可能の存在」によって無視される状況にあると指摘したがっている。したがって、その不可能の存在に従えば、やりたいことの全てを諦めることが可能になる。

1万円あればできることも、1万円しかないからやめておこうと言えるということだ。この場合の不可能の存在は、別のことに1万円を使って1万円がないと言うことだ。具体的に言った途端、明白に言っていることがめちゃくちゃなことがわかる。さっきからずっとめちゃくちゃなことを言っている。しかし、無意識にめちゃくちゃになりがちなもんだ(少なくとも私においては)。

現に、私がこのnoteを書き始めたとき、私は無意識にやりたいことをやりたい意欲より可能か不可能かという、その実現可能性に重きを置いて物事を判断しているのではないかと自己回帰して不安になった。

その一方で、上で言ったことはリスク管理とも言えるだろう。その場合、リスク管理という意味で、ある確率を心配したり、現実をよく考えることは絶対的に重要であるはずだ。しかし、上で説明したように見方のひとつとしてある不可能性があるときに、それな全てとなって、可能性を全て奪うことは嫌だなと思った。

散々御託を並べているが、言っていることはやりたいと言う割に言い訳をごちゃごちゃとして結局やらないと言う話である。だから、絶対にやると決めたこと(やることを諦めていないこと)しか叶わないと言う話だ。当たり前である。しかしながら、そこにはある一定の無意識が作用しているのではないかと疑ってみた。それがこれまでの説明の内容である。

無意識下のうちにやりたいことを諦めようと、現実的に手短に手軽にもっとも納得せざるを得ない理由をつけることに対して、意識下でそんなことは嫌だと言った。また、その理由をしょうもないなどと感じた。この感覚の根底にはきっと大体のことはできると言う感覚が存在しているだろうと思う。つまり、ある不可能性に支配されたくないと思うことや、しょうもないなどとバカにすることは、可能だという全能感の裏返しでもあるとも言えるのだろう。

今日、言いたかったことは、諦める理由を適当に付けたくないということです。
諦める理由と諦めたくない理由の天秤をかけずに諦める理由の絶対的な内容によって従いがちです。それは「諦めたくない」は「叶うようにできる」に反します。きっと、私の中で決められる諦める理由というのは、諦めたい理由で、つまり、それは「叶わないようにできている」を意味します。

これから生きていく中で無限ではなくとも長く一瞬である有限の時間にやりたいことを詰め込んで人生の体感速度を遅く遅く遅く、そして走馬灯が尺切れになるよう時間をやりくりしたいものだ(詰め放題で袋を延ばしたりするプロだったおばあちゃんのように!)!

(米)諦めたものというのは、最近受注販売していたイルカTシャツを注文しなかったことです。しかし、見出し写真ではわからないと思いますが無事ゲットできました(にっこり)!かわいいイルカくんです。彼はセラピストです。


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