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ひとりなのに独りではないと感じられた、元麻布の夜。

人生には時折、道に迷い込んでしまったような境地に陥ることがある。

その頃私は、結構長く付き合った男性と破局して、おそらく少し弱っていた。
そしてそれを認めたくなくて、自分はこういうのには慣れているというふうに装い、自分にもそう言い聞かせることで乗り切ろうとしていた。

その人に出会ったのは心破れた人たちの集まる交流サイトだった。そこでは様々に心破れた人たちが、その境遇からいかにして回復するかを語り合っていた。あるいはその心境に時間の許す限り自分を浸して好きなだけ自分たちの悲しみに酔いしれることで時間を稼ぎ、回復までの時間を待っていた。

私の投げかけた基本的な法的事項の質問に的確な回答を返してくれたあと、その人は個別にメッセージをくれて私たちは少し個人的な話をした。
私より一回り以上も年上のその女友達のことを、私はなんとなく「姉さん」と呼んでいた。
陽気で気さくで世間智にあふれた彼女は、当時の私の細々とした悩み相談に乗ってくれただけでなく、気楽に心のうちをさらけ出せる存在でもあった。そしてそれは、私が思っていたよりも孤独だったのだという自覚にもつながっていた。
困ったときに相談できる友達には恵まれていると思っていたが、そのときの私のハートブレイクの破れ加減はそれまでの女の人生のヤマ場で味わってきたものとは大きく違っていた。
まわりの友人に打ち明けて心ゆくまで涙を流せば少しはすっきりしたかもしれないが、当時の私はなぜかそれができなかった。

今思うとあまりに心破れていたので、それを認めることが怖かったのかもしれない。認めたら、自分が今感じている孤独がほんとうのものになってしまいそうで怖かったのかもしれないと、今になって振り返ってみると思う。

姉さんはそんな覇気もなくさみしさと人恋しさに縮こまっている私を、夜の街に連れ出してくれた。
10代の頃からナイトクラブに出入りしていたという、筋金入りの夜遊びマイスターがエスコートしてくれる夜の街は、私には見たこともないことだらけで、打ちひしがれた私の心にやさしく寄り添ってくれた。
いつも会うなり「今日はどんな気分?」と聞かれて、元気ないとかまあまあとか力なく答える私に、じゃあ今夜はあのお店に行こう!と毎回そのときの気分に合ったナイトライフを企画してくれた。

若いころからずっと夜の街に入り浸っていて、六本木はもう素行の悪いガイジンだらけだからというのが当時の彼女の口癖で、もっと品のある落ち着けるところがいいよね、といつも彼女が案内してくれるのは麻布近辺のお店が多かったように思う。
夜の街どころか、昼間でさえもあまり都心に足を踏み入れることのなかった私には、六本木と麻布の違いもよく分からなかったが、確かに姉さんの連れて行ってくれるお店には危険そうな人がいたことはなかったし、音楽も轟音というよりBGMのように流れていて、ひとときの大人の休息の場のような空間だった。

そして毎回、姉さんがいるといつも誰かしらが寄ってきて、あら○○ちゃん来てたんだ~、久しぶり!と顔を出したかと思うと、私たちのブースにドリンクを片手に移動してきて、気づけばそんな姉さんの旧知の人たちに囲まれて賑やかにすごすのが常だった。
少しだけ人見知りをこじらせていた私は、私からするととても遊び慣れた大人に見えるその人たちに少しだけ緊張したが、姉さんが何か話してくれていたのか、いつもそれらの人たちは優しく温かいまなざしで見守ってくれていた。
ここにいる間は、姉さんと一緒の席で座っている間は、誰にも何も気を遣わずに自分のままでいていいんだと、回を重ねるごとにだんだん私にとってその時間は緊張するものでも気後れするものでもなくなっていた。

明け方まで過ごしたあとは、いつも姉さんの選りすぐりの弟分のような男性が私を家まで車で送ってくれていた。
姉さんが何か話してくれていたのかもしれないが、送り届けるついでにお持ち帰りされてしまうなどということもなかった。
一度だけ、ごく控えめな様子で「蝶子ちゃんって、今彼氏とかいるの…?」と聞かれたことはあったが、私の表情が曇ったことから察してくれたのか、それ以上踏み込まれることはなく済んだ。
やっぱり姉さんから私のこと何か聞いてるのかなと思ったのを覚えている。

そんなにお世話になったのに、姉さんとはその後連絡を取るのに使っていたPCがダウンしたのを機に、いつの間にか疎遠になってしまった。
でも私は今でもときおり彼女のことを思い出す。
私がひとりの夜を持て余して、どこでどうしていたら無事に時間が過ぎていくのかわからないような気持ちで過ごしていたあの日々に、やさしく寄り添ってくれたことを。

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