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「環境」がもつ意味とは

自由進度学習に取り組んでいるとなかなか協働性が生まれづらくなることは実践している方であれば感じたことはあると思っている。

学習が進めば、最後は個に帰結していくので協働性が生まれないことは仕方がないこと、協働性は他の学習や場面でセットできれば良い、と割り切って考えることもできる。

そう考えている割合の方が僕は高いし、個に帰結する事実は間違いなく自分の教室の中でも起こっている。

でも、だ。

学校の役割とか、一緒に同じ教室の中で生活して、学習しているのだからなんだかちょっと寂しくもなる。

協働的に「させる」のではなく、必然性と自発的をキーワードにどうやったら協働性が生まれるのかを考えたい。

その時に大切になってくるのが、自由進度学習の文脈では度々登場する「環境設定」だ。

先生も言ってしまえば「環境」なので、「環境」の守備範囲はかなり広めだけれど、

例えば、教室にある一つの大きな机。

ここに今日は5人の子どもたちが集まって学習していた。「先生と一緒に学びたい」と言って集まってきているのだけど、最初は先生に向いていたベクトルが、僕が途中で他の子のカンファランスに行くこともあり、途中で友達に向いてくることがわかった。近くにいるから聞きやすいのだと思う。

例えば丸磁石。

ある子が6×5を手を使って友達に教えようとしていたので、大量の丸磁石を渡してみた。

少し経ってから見に行くと6の塊を作って水筒に貼り付けて、塊ごとに下に下ろして教えていた。

この「大きな机」「丸磁石」をセットすれば協働性が生まれるものでもなく、その時の子どもたちのテンションや時間帯、教室の雰囲気も大切になってくることは言わずもがなだけれど、それらに環境をかけ合わせることは、必然的な協働性が発現されるためには必須だろうと思っている。

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