年の瀬に
今年2024年は何が何だか良く分からない年だった。目まぐるしくていつも目の前のことだけをやってきた。そして気付いたら今年も終わり。
でも取組んできたことは有難いことにいつの間にか形になっていた。種から発芽してずっと地面の中にいて、ある日気付いたら外の世界にぽっと出たみたいなそんな唐突感。
社会人になってずっと大きな組織で働いてきた私が突然事業を始めることになったのが、ほぼ2年前の2023年1月だった。その時はまだ何をやるかすら分かっていなくて、あれこれ想像だけの世界で事業内容を書いたのを覚えている。
それから間もなくして、父が開催しているオンラインスクールに参加して、そこで個々人が自分で決めたプロジェクトを進め、周りの方達にもアドバイスを送り合うことになって、ある日突然今の事業の核ともなるコンセプトを閃いた。それは祖父から受け継いだ家の一部をリノベーションして、外国人に貸し出すというものだった。
私はかれこれ7年近くカナダに住んでいて、今借りている家は3軒目になる。それで、この家のここはいいなぁとか、ここがこうだったらいいのになぁと借りる家に対する色々な思いがあった。僅かな期間だけ、オーナーが完全に投資目的で貸している家に住んだこともあって、もちろんオーナーにもよるので一概には言えないけれど、その空間には全く愛が感じられなくてすぐに出ることになった。それで、私のように外国人として日本に働きに来られる方向けに、そこに住む方が幸せに暮らせる賃貸を作ろうと思い立った。
そのアイディアにイイネを頂いた私は、最初の関門 What? を掴んだ。ただ、今思うとHow?についてはその時点では何も考えていなかった。自分の家すら建てたこともなく、とりあえず何のリサーチもせず、設計士を人伝で雇った。
最初のうちは、彼らが私の要望を取り入れながら理想の家を造ってくれるはずと勝手に期待していたのだが、徐々に何かが違うと思い始めていた。それで、9ヶ月くらい経った時に、その確信は決定的なものとなった。
それで、私がやるしかないと思った。デザインと言っても色々なものがあるが、家の場合はそれを3次元の世界で実現するのが、最終形。机上の空論では終われないので、マテリアルが重要になるし、その組合せも色も形も大事。人がそこにいてストレスのない気持ちの良い空間とする必要がある。そこまでのディテールは誰にも考えてもらえなかった。それで、主導権が私に完全に移った。そして本当に流れのままに、ただただ目の前にあることだけ無我夢中で進めてきた。日没にも気付かずに朝から晩までデザインを考えたり、調べ物に没頭したり、マテリアルの研究もした。少なく見積もっても一年間はゾーンの中にいたと思う。
その過程で、私の中では普通だと思っていた、とことん調和を求める気持ちやセンスはどうやら他の人に必ずしもあるわけではないと気付いた。さらに、インターネット上の膨大な情報に深くダイブして、これだと思える輝く原石のようなものを見つけることは、私にとってこの上ない喜びなのだが、友人に話すと、面倒だから、私のような誰かにやってもらいたいと言う。それで、これはもしかして私にしかできないのかもしれないと手応えを感じるようになった。
とはいえ、完全にリモートでやる大変さもあった。各種方面とのコミュニケーションはもとより、何せ、肝心のマテリアルが手元にない、現地の光で色も確かめられない、色や素材の組合せがどう見えるのかも、最後の最後に蓋を開けてみるまで分からなかった。
マテリアルは日本からの出張者や家族に運んでもらい、見飽きるほど触って並べて重ねて比べた。色については、家の中をサンプルを持ってぐるぐる回りながら、方角を合わせてみたり、光と色の関係について書かれた記事を読み漁ったり、カナダのショールームに出かけて、似たようなものを大きな面積で見たり、カラーメーターを買ってサンプルをスキャンしてRGB値を出して、それに近い日本塗料工業会の色を探したりもした。
契約は気付いたら6本になっていた。部分的にどうしても細かくマテリアルやデザインを決めたかったところは、直接契約にした。それらの、敢えて言わせて頂くなら、ほぼ個人でやっているような業者は基本的に全部インターネットで探した。導かれるままに、技術はもちろん人としても素晴らしい方達が集まって下さって、現場監督の方にもどうやって探したのですか?と驚かれた。
同時に、それまで全く知らなかった業界の慣習とされるものの不透明さに心底嫌気が差した日もあった。波風を立てたくないのに、言わないといけないことがあり、何日もメールを開きたくなくて、メールボックスの蓋が鉛のような重さに感じたこともあった。でもそこを乗り越えないと実現しようとしているところに辿り着けないことも分かっていた。それで、私なりに筋を通して、彼らが出してくる数字に沢山質問をして、誠心誠意取り組んできたつもり。相当面倒だと思われたに違いない。でも、終わりが近くなってきた今、お互いへのリスペクトが生まれた(と少なくとも私はそう感じている)。異質なもの同志、それぞれの専門性がありぶつかって、彼らも私も丸くなって一緒に川を流れているよう。
とにかく数えきれないくらいの沢山の方達の支えなしにはやってこられなかった。最後の方は現場に出向いてくれた父とスカイプで繋いで、解像度の低い画像を見ながら、これを決めてこれを決めてと言われるがままに、もう後は天にお任せの気持ちでほぼ目を瞑って決めたようなところもあった。
それで完成も近づいた今、現地を初めて訪れて、その場の心地よいバイブスを感じて安堵というか何とも言えない、冒頭に書いたような突然地上に芽を出したような気持ちになっている。
現場監督の方が、こういうデザインはハウスメーカーにはできなくて、そこにやり甲斐を感じるんですと、目を潤ませながら話して下さった。工事用の蛍光白熱灯が放つ光でその方の目が文字通り輝いていた。その瞬間、その空間一帯が大きな愛に包まれて、私の心にもその振動が波のようにぶわぁと伝わってきた。こういう方達が一生懸命、画竜点睛でいう”竜の瞳”を担当して下さったんだなと改めて感じいって、私も涙目になった。
ここまで書いてもう終わりかのようだが、まだ終わっていない。エンドロールはまだで、大事な仕事が残っている。最後の振り返りはもう少し先に取っておきつつも、この一年の最後にお世話になった皆様への感謝をせずにはいられなくてこの文章を残しておきたかった。
今年はいつもにも増して、感謝の年だった。そこには愛しかなかった。有形無形のサポートを皆様本当にありがとうございました。皆様良いお年をお迎えください。