白刃2
【宿願】
目が覚めると、早朝だった。ゆっくりと糒(ほしいい)を口にし、水で少しずつ嚥下していく。脇差を近くに引き寄せて目を閉じ、今日の段取りを再度確認する。夕刻、この屋敷で行われる観月会のあと、夜の厠に立つ斉昭公を刺殺し、塀を乗り越えて夜陰に紛れる。その後、協力者である赤城の町屋へ逃げ込む段取りだ。赤城と知り合ったのは僥倖だった。あれは、桜田門外の変後すぐの卯月のこと――。
筆頭家老の木俣清左衛門の自宅へ訪れたのは日が沈んでしばらくたってからのことだった。事前に訪問の意は伝えてはいたものの、彦根藩の存続が揺らぐような事件が続き、江戸と彦根を行き来しながら藩主が亡くなったあと始末に奔走していたころだった。木俣家老は、直弼公が部屋住みの頃より支えた家来であり、父・貞徹が浦賀で亡くなった折も少なくない金子を持って見舞いに訪れてくれた。下男に名前を告げると、書院に通される。挨拶もそこそこに本題を切り出した。
「木俣様のようなかたに、直接このようなことを申し上げるのは失礼を承知のことです。脱藩し、町人の姿に身をやつし、斉昭公の首をあげたく存じまする」
家老は、言葉を聞いて少し驚いたようだったが、「左様か」というなり、黙り込んだ。
「もちろん、本日こちらへ寄せていただいたことは上の弟、寛蔵よりほかに知りませぬ。決してご迷惑はおかけしませぬゆえ」
永遠(とわ)に思える沈黙の後、木俣家老はゆっくりと口を開いた。
「今、彦根藩は若様を盛り立て、何とか井伊家が続くように舵を取っている最中じゃ、徳川斉昭公が亡くなられたとあっては、彦根に疑いがかかるのは必定」
「明日より私は、彦根藩とは無縁。また、佐野へ行く算段をお願いできれば、あとは、決してご迷惑をおかけいたしません」
「佐野へ行って何とする」
「父が昵懇にしておりました彦根藩士がおります。こちらへ行き相談をしたいと考えております」
佐野藩は、水戸藩の西二十四里。歩き通せば一日の距離だ。
「あい分かった。手形はすぐに用意しよう。一度江戸へ入り、そこから佐野へ向かうがよい。くれぐれも他言無用じゃぞ。すぐに髪結いと町人の旅装、手形を用意しよう。それと……」
と言って差し出されたのは、床の間に飾ってあった白木の脇差だった。
「これは、万一のことがあれば腹を切ろうと思って用意しておった短刀じゃ。わしとて、主君を奪われて口惜しくてならんのは同じ。しかし、今は彦根藩存亡のとき。この刀で藩主の無念をはらしてくれい。もし敵方にわたっても無銘ゆえ調べても足はつかん」
伏して刀を拝領した。
「それと、これも佐野へ持ってまいれ。そして、佐野の植野村にいる赤城新兵衛というものに見せよ」
傍らの文机を引き寄せると、二枚の文をしたためた。一枚は村山、もう一枚は赤城宛となっていた。
翌朝、町人髷に結い、商人の旅装に身を包んで彦根藩を出た。二つ下の弟に「今日より兄はいないものと思え」と伝えた。詳しくは語らなかったが、聡明な寛蔵のこと、おおむね気が付いているだろう。「兄さん」と何かいいかけたが、頭を振りその夜は父母の思い出を語り合うにとどめた。
翌朝、武士の身分を捨てたことも、何の疑問も持たず、一番下の弟の手を引いて、町人姿の私を、中山道、鳥居本(とりいもと)宿まで見送ってくれた。
そこからは、体を動かすのみでとんとん拍子に進んだ。佐野で貞徹の息子と名乗った折、細かいことは聞かずに村山は話を聞いてくれた。そして家老の手紙に目を通し、「水戸にまで仕事に出ている植木職人がちょうど若い働き手を探していました。そちらに紹介しましょう」と申し出てくれた。また、ここで出会った赤城は、三〇がらみの元彦根藩の武士だった。今は自分と同じように町人の姿に身をやつしており、今回の件の手助けを一手に引き受けてくれた。
紹介された宇平という庭師は、岩船町を拠点に下野から常陸まで手広く庭仕事を手掛けており、常に人手を欲している状態だった。村山の紹介とあって何の口も挟まずに雇い入れてくれた。そこで下働きをしながら時期をうかがったが、機会は意外に早く訪れた。
働き始めて三カ月、秋の中秋の名月を愛でる会に先駆け、水戸の老公が隠居屋敷の庭の手入れを依頼してきたという。これを逃してはと考え、赤城と綿密な打ち合わせを行った。
宇平の元で水戸の庭の手入れをしている時に、下男などからさまざまなことを聞き及んだ。観月会には多くの客人が来ること、酒が入ると老公は夜中に何度も厠へ行くこと、水戸藩内部が分かれて対立しており守備にあまり多くの兵をさけないことなどだ。
いずれの話も興味深く、また役に立つものばかりだった。一五日の観月会の夜の決行は、夜に厠へ立つだろうという読みと、不特定多数の人が大勢集まる場を経て警備が手薄になり、また、自分への嫌疑が少しでも軽減されるだろうという考えで選んだものだった。
仕事はほとんどが下働きで、各種職人の補佐だったため、園内を自由に動けたことも大きかった。厠の位置の確認や、事前の脇差の持ち込み、逃走経路の想定などもじっくり時間をかけることができた。
そして庭の作業の最終日、赤城と示し合わせて水・食糧と着替えを用意し、宇平には実家の母が病で倒れたためしばしの暇乞いをした。大きな作業の区切りがつくこともあり、少し引き留められはしたものの快く受けてもらえ、心づけも手渡された。
床下での潜伏も残り半日。午後になり、少しずつ屋敷の中が慌ただしくなり始めた。多くの人の気配がし、あちこちから物音が聞こえる。人が集まってくる気配がする。
夕刻になり、縁側には多くの気配が降った。酒が入ったのか、歌いだすもの、それにあわせた鼓の音、三味線などが聞こえる。やがて、人の気配が減り屋敷は静まり返った。雲が少ないのか月が明るく庭を照らす。まずは、すべての荷物を地面に埋めた。続いて今まで屋敷の奥の床下にいたが、濡れ縁側に少しずつ体を動かした。脇差も鞘を払い、鞘そのものは埋めた。
外の様子をうかがう。かしましい秋の虫の音以外は何も聞こえない。虫の声は彦根も水戸も変わらないのだと益体もないことを思う。
真夜中、子の刻は過ぎた。
と、渡り廊下を踏む足音が聞こえた。離れの厠へ向かっている。
煌々とした月明かりの下、老人が一人で歩いている姿が目に入った。
「斉昭公だ」
間違いない。一度庭師を集めて細かく指示を出したときに顔を見ている。白木の脇差の柄を強く握りしめた。
額から汗が伝う。首に巻いていた手拭いで口を覆う。
厠の中に入ったことを確認して姿勢を低くし、近くまで体を寄せた。中では人の動く気配がした。
扉が開いて、紗の着物を着た老公が出てきた。全く警戒はしていないようだ。
一歩、二歩――。ゆっくりとした足取りで廊下を歩きだした。
何も声を出さずに近づき、思い切り脇差を左脇腹に差し込んだ。最初に少し抵抗があったのは肋骨に当たったのだろう。しかし、その後は、箸を豆腐に入れるようにすんなりと刃が中に入った。
感覚としては、老公の右の首元から刃先が出るかと思ったが、出てはいない。手元に見えるのはほんの三寸ほど。その白刃が満月の光を反射して光った。刀身のほとんどが躰内に入った計算だ。
「と……」
目を見開いてこちらを見た。もちろん声などかけない。万に一つも証拠を残さないためである。
手首に力を入れ、少し刀を回した。できるだけ内臓を傷つけることが目的だ。傷口が広がり、血が刀をつたって流れ右手を濡らす。心待ちにした敵討ちだったが、頭の中は至極冷静だった。
脇差を老公から抜き、後ろに見える池に放り込んだ。斉昭公は右ひざをついて両手で傷口を押さえている。そして、「戸田! 戸田を……」と叫び喀血をした。
磨き上げられた廊下に血が点々と落ちるのが、煌々たる月明かりの元で見えた。それをしり目にすぐにその場を離れる。人の声がし始めた気配を背中で感じながら、壁際の茂みに隠した梯子を立てかけ、壁を越えた。
丑三つ時の水戸の町を駆ける。角を曲がったところで、横たわっていた物乞いが茣蓙をはねのけて追いかけてきた。赤城だ。
「そのままついてこい。三町ほどだ」
隠れ家には、他にも一人商人風の男がおり、青木と名乗った。
「首尾は?」
「心の臓に脇差を突き立ててまいり申した。さすがの斉昭公といえど、生きてはおりますまい」
「うむ。ご苦労だった」
懐から巾着を取り出して目を閉じて掲げ、「殿、敵を討ち申した」とつぶやく。赤城は、深くうなずいた。
「これから、名を変え、身分を偽り、蝦夷へ行ってもらう」
突然の申し出だった。
「これはご家老からのご提案だ。このままだと、お主、命を絶つだろう」
図星だった。宿願を果たした今、脱藩した彦根に戻るわけにもいかず、このまま山中で腹を切るつもりだった。したがって、屋敷に忍び込み、老公を刺すまでは綿密な計画を立てたが、それ以降は白紙のままだった。
「これにいる青木は、蝦夷、松前の近江商人だ。今日からお主は大東と名乗り、松前屋の下働きをしてもらう。老中はいずれ折を見て近江に帰れるよう取り計らってくださるそうだ」
もう一度、彦根城の天守を望みたい。ふと心の中に新たな願望が芽生えた。
「かたじけない。ご迷惑をかけ申す」
「そうと決まれば、今日はゆっくり休むがよい。この数日ゆっくり寝てもおらなんだろう。奥に床がのべてある」
(滋賀県文学際に投稿したものを改稿)
〈続く〉
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