鉄の華(くろがねのはな)9
試射の二日後、「今宵、江戸から客人が来るんだが一緒に話を聞いてくれないか」と藤兵衛が云う。仕事がひと段落したのち、汗を拭いて着物を替えてから、再度国友藤兵衛邸へ向かった。
陽が落ちてから、屋敷の門を叩いたのは、年のころは我々と同世代か少し上。鼻は大きく、白髪交じりの太い眉の下に輝く眼光が印象的な男だった。
「年をとると、足腰が弱って街道もつらいわい。息災にしておったか」
「篤胤先生もお変わりなく」
男は、「医師の平田玄瑞じゃ」と名乗り、藤兵衛は私を、「公私にわたって支えてくれている辻村佐平治です」と紹介してくれた。二人で囲炉裏端へ案内する。
「このような田舎に篤胤先生をお迎えできるとは光栄です。なにもございませんが、どうぞごゆるりと」
「すまんな。明後日には京へ着かねばならん。ゆっくり話もしたいところだが……」
藤兵衛は、江戸にいたころ、この平田篤胤先生の下で随分と世話になったのだという。篤胤は、国学者であり、神道家であり医師でもあった。医者の時は玄瑞と名乗っていた。江戸随一の知識人で、多くの著作を世に問うてと説明された。今回の上方訪問にあたり、尾張の熱田神宮から京へと向かう途中に国友村へ寄ったのだという。
食事には、近江の地酒、鮒ずしなどと並んで、藤兵衛の好物の鰻の塩煮もでた。江戸にはないものらしく、篤胤はうまいうまいとすぐに平らげてしまった。
「これは鰻じゃが、かば焼きではないの。山椒がピリリときいて酒にも米にも合う」
江戸では、多くの鰻屋が出て酒と醤油につけたものを炭火で焼くかば焼きが流行しているという。
「私たちは塩煮と呼んでいます。鰻をさばいて骨と内臓を取ったものを塩と山椒で煮たもので、日持ちがするんですよ。そのままでももちろんおいしいですが、米の上にのせて、番茶で茶漬けにするのが我々の馳走で」
「琵琶湖では鰻が獲れるのか?」
「ええ。琵琶湖だけでなく川でも獲れますし、余呉湖でも竹筒を沈めて獲るんです」
「もう少しもらえるか」
藤兵衛が声をかけると、すぐにお代わりが運ばれてきた。
「塩煮という割には、色が黒いの。かば焼きとまではいかんが」
匂いだり、手の上に載せたり、舐めたりして実に興味津々だ。
「実は、味噌のたまりを入れておりまして」
「たまり……なるほど醤油の原型じゃな」
うれしそうに、お代わりも食べ終えて、篤胤先生は「佃島というのがあるじゃろ」と話し始めた。
隅田川の河口に干潟を埋め立てて漁師を集めた地域があり、佃島と呼ばれている。家康公の時代に作られたもので、そこの顔役から、水産物に手を加えた保存性の高い食べ物はないかと相談されていたらしい。今回の上方歴遊の多くの目的の一つに、その解決が含まれていたが、何やら着想を得たらしい。
「この塩煮を参考に佃島で試しのものを作ってみてよいか」
「どうぞ、江戸土産になるようなものができるとよいですね。名前も、佃島を髣髴とさせるものにしてはいかがですか」
「それも面白い」
このあと、藤兵衛は八日後に控えた羆狩りの話をし始めた。要所で二三年前の出来事や羆の強靭さを述べ、私もできる限り補足する。すると篤胤先生が書物で見た異国の武器について話し始めた。その中で、心に残ったのは、懐手にした右手で顎を触りながら深く人の言葉を聞こうとする態度と、次の言葉だ。
「金属の加工はまだ見ぬ先がある。特に鉄には、まだまだ成長の余地があるように感じる。いわば花で云えば蕾じゃな。主が咲かせてみせんか」
その後も二人の話は尽きない。明日に備え、一足先に失礼させてもらった。
(長浜ものがたり大賞2018に投稿したものを改稿)
(続く)