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日輪を望む5―一貫斎魔鏡顛末

 秋の初めに始まった鏡の鋳造は、湖に白鳥が訪れ、伊吹山の頂が白くなる季節になっても、一向に出口が見えなかった。日々の仕事、村の生業のため気砲を作り続ける我々の工場の横で、朝から晩まで鋳型に銅と錫の合金を入れ、固めたものを取り出して研磨する。

 五日に一度は又兵衛が訪れ、それまでの結果やできたもの、磨き具合を確かめていた。彼曰く普通の銅鏡ならとっくにできているらしい。しかし、一貫斎はあくまで錆びにくさにこだわった。それは、部品をいちいち取り出して再研磨する手間と、さらには磨くことによって反射の具合が変わってしまうことを恐れてのことだという。

 つまり、自らの手を離れてしまえば、同じ調整に戻すのが難しい。それほど鏡の調整は至難ということだ。

 しかしながら、合金は割れやすかった。二種の金属に火を入れる温度、時間、さらにはそれを冷やし固める長さや状態など、条件は数多あり限りがない。傍で見ていると、永遠に完成ないのではないかと思うが、一貫斎はすべてを記録し、それをもって一つずつ方策を模索していた。

 金属を扱うのは、お手の物ということもあり、なんとか鋳造法は見つかった。錫一に対して、銅二の割合だという。

 次は研磨だ。ここからは、又兵衛の協力なしに進められない。一貫斎は、荒砥から本砥まで教わった。残すは、水銀での鍍金だけで、習得の速さは教える方が驚くほどだった。

「これである程度分かるはず。後は研磨で反射の精度は上がりますが、反射望遠鏡は組み上げられると思われます」

 すでに合間を見て部品は作ってあった。もちろん調整の余地は大いにあるが。

「すまんな。鍍金も習ったが、水銀を用いた後は、閉め切った場所では中毒の可能性もあると聞いている。取り急ぎ、研磨して、凹面鏡の拡大の具合を確かめる」

「左様でございますな。一貫斎様が書き移された図面しかございませんので、ここからは試行錯誤。それで月が見えるようになれば、この国で初めての反射望遠鏡の完成ですね」

「月輪だけでなく、日輪までも見えた。日輪を見るときは、ガラスに煤をつけて黒く曇らせたゾングラスをはめて見させてもらった。完成の暁には、そうしたこともしてみたい」

 山からの風が建物を揺する。冬将軍もそこまできているようだ。

「一つ、私の話も聞いてやっちゃもらえませんかね」

 研磨の具合を見ながら、又兵衛が切り出した。

「交換条件か」

「いや、それほどのことは思っちゃいません。長い作業の手慰み代わりです。ただ、これまでの話で思い出したんですがね。一貫斎様は神鏡や魔鏡というものをご存知ですか。うちの師匠の奥方様が……」

 そういって、話し出したのは、又兵衛の修業時代。能登にあったという鏡工場の話だった。頭領は数人の工人を抱え、忙しく仕事をしていた。鋳造から、すでにあるものが持ち込まれて磨き直しをするなど広く手掛けていた。
あるとき、この工房に墨染の衣をまとった遊行ゆぎょうが足を運んだ。何宗の僧というのではなく、山伏崩れにも見えた。寒さの厳しい晩冬のことだったという。

 鏡を造り、持ち込まれた鏡を磨く中で、供養が必要なものもある。そうしたものは、夏越なごしの|祓と大晦日の年二回、近くの旦那寺に持参して経をあげてもらうことになっていた。

 そうした曰く付きのものは、工房の端、神棚の近くに丁寧に保管しておく決まりになっていたのだが、その年はそうしたものが立て続けに持ち込まれたため、その場所の多くを占め作業場に迫っていた。年末を過ぎてからのことで、夏までは結構な時間がある。また、冬場は鏡磨きがうまくできるということで、工房は猫の手を借りたいほどだった。

 そこで、渡りに船とその遊行に供養を頼むことにした。

 たまたま、その遊行も鏡を持っていた。祭壇を組み、供養をするために数日逗留することになった。その間に、「厄介になっている間、他にできることはないか」「薬草の知識もある」と申し出てきた。すると、又兵衛の師匠、頭領が妻を診てくれないかと持ち掛けた。たしかに、おかみさんは昨年末から病みがちだった。遊行は治療の名のもとに、白い粉を処方、そこから、この鏡工房が崩れるのはあっという間だった。

 この僧侶が、自分の宗派だという仲間を引き込み、この家を乗っ取ってしまった。気骨のある頭領も、この僧侶の言いなりになり、おかみさんもすっかり信頼しきっている様子だった。

 特に、心酔のきっかけとなったのは、物の吉凶を神仏に問う「鏡問かがみどい」という儀式だった。

 祭壇を立て、祭文を奉り、言問いをする。その答は、鏡に反射した光に映し出されるという。それも一つではなく、複数浮かび上がるという。

 しかし、後で考えてみれば、その問いは問う僧に有利になるものばかりだった。しかも、反対した門弟や反抗的な態度をとる者は、次々と換気の悪い部屋で磨鏡を任され、体調を壊していった。

 結局又兵衛は、表立って反対もできず、独立することを師匠に認めてもらい、工房を後にした。

 独立資金を稼ぐために村々を回る中で気がついたのは、様々な経路で重要な噂話や流言が耳に入ることだった。そうした村で聞いたのは、自分の工房がすでにかの宗教に飲み込まれていること。

(滋賀県文学際に投稿したものを改稿)

                           〈続く〉

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竹内宇瑠栖
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