ある詩人のイディオレクト8
【そして風になる】
平成九(一九九七)年。細川雄太郎は地域文化功労者表彰を受けた。これまでの取り組みが評価された形だ。
長野で倒れてより細川は、病がちになり、長年住んだ日野の実家を離れ、病院で過ごす時間が長くなった。
娘や、息子の嫁がたまに細川を実家に連れてくると、必ず「ここで息を引き取りたいものだがなぁ」とひとりごちた。
この翌年、二月二一日に細川は急性循環器不全でこの世を去った。享年八四。
稀代の童謡作家として名を成すものの、復員後は地元にとどまり、後進を育てることに心血を注いだ。地元に童謡の会を立ち上げ、有志の雑誌の編集を頼まれれば引き受け、請われれば講演のために全国を飛び回った。
葬儀はしめやかに行われた。その焼香の列の末席に佐藤がいた。長く、心の内を語りかけようと思い、なるべく迷惑の掛からない後ろを選んだのだ。そして心の中でつぶやいた。
「結局、私のほうが長く残ったか。日本を明るくする詩をたくさん書いてくれてありがとう。後進は、さまざまな分野で芽を出しているよ。細川、イディオレクトという言葉を知っているか。個人言語とも訳されるが、その人個人の感性を表出した言葉だ。貴君は、これを自分だけにとどまらず、故郷を思う同人たちにも広めたんだと思う。まさに、細川語だな。もうすぐ私もそちらへ行く。そのときにたくさん話をしよう」
二月の空は青く、詩のモデルとなったナツメの木は、細川の実家のすぐ前で、来たる春に向けて、剪定を終えていた。主のいなくなった家は、がらんとしている。しかし、残ったもの、残されたものは、目に見えるものだけとは限らない。日野の商人町に早春の風が吹いた。
(滋賀県文学際に投稿したものを改稿)
〈了〉
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