【第15話 纏わりつく不吉】
「おぉ、君がクロエ君か。亜矢から話は聞いているよ」
「鼻の下伸びてるわよ。お父さん」
ゲシッ
亜矢が父にひじ打ちをくらわせる様子を、笑って見ている少女------
彼女こそ、亜矢が紹介し黒咲家の大黒柱である茂にスポットで雇われた《人材》である。
「イテテ…ハハ、まいったな。いきなりクロエ君にお恥ずかしいところを見せてしまった」
「い、いえ!楽しいです」
「まったくもぅ。いらっしゃいクロエ」
「こんにちは、亜矢ちゃん」
クロエは少々、緊張した様子だ。服装も、Tシャツにカーディガンを羽織り、七分丈のダメージデニムにスニーカーという、いつものロリータ系ファッションとはまったく趣の異なるもの。
動きやすさを重視した《仕事着》ということか…
ところが------
「では早速だが奥で亜矢と着替えて、車に乗ってもらえるかな?」
「はい!…あ、あれ?この格好じゃ、まずかったですか?」
「あのねクロエ、実は今回の仕事は-------」
-------
亜矢とクロエは、茂が運転する大型SUVに揺られ目的地を目指す。
二人が身に纏っているのは-------超ロングセラーゲームの主人公とその弟のコンビを彷彿とさせる、肩から足までを一枚布で貫くデニム…いわゆる《つなぎ》と、頭に乗せた《キャップ》だ。
「ねぇ亜矢ちゃん!これすごくかわいいね!」
クロエはそんな作業着ファッションが新鮮だったようで、いたく気に入っている。
「サイズが無かったから急遽用意したのよ。クロエ細いからー」
「亜矢ちゃんだってぇ」
二人はなぜこんな格好をしているか。
それはもちろん仕事のためであるが、茂はデザイナーであり基本はオフィス作業だ。
にもかかわらず作業着に身を包んで車に揺られ《現場》を目指しているのは、茂が年に一度ほどの頻度で受注する特殊なデザインワークの存在に起因する。
「さ、着いたぞ二人とも」
目的地へ到着すると三人は車を降り、荷物を担いでその " 仕事場 " に向かう。
その先でクロエの目に飛び込んできたのは…
《壁》だ。
石造りの、大きな壁。
「ここが…?」
「-------ウォールアート、って知っているかい?」
茂がクロエに質問する。
「えっと、名前はきいたことありますけど…」
「そう、その名のとおりのことさ。壁に、絵を描くんだ」
------
茂は依頼主と打ち合わせたというスケッチを二人に見せた。
「ここは外国人が多い観光地なんだ。訪れた観光客が写真を撮る際、壁面をバックに撮ると自らの背に《翼》が生えたように写る…今回はそんな翼をメインとしたアートが、ここに描く絵さ」
「なるほどー、素敵じゃない」
「私も写真撮りたい!」
「完成したら記念に撮ろうじゃないか、私のサイトに載せる許可ももらってるしね」
そう言って茂は微笑むと、日々の筋肉トレーニングで鍛え上げた筋骨隆々の両腕でペンキの入った缶を持ち上げた。
「さて二人にはね、私がフェルトペンで描いた後を追って、これで色を付けて欲しいんだ」
「え!?私みたいな素人がそんな大事な作業…」
「もちろん、ある程度は慎重にはなってほしいがね。だが、ウォールアートはその製作過程すらアートになるのさ」
------そう言うと茂は、そこで一つお願いなんだが…と前置きして、言葉を続ける。
「作業の様子をここのスタッフが撮影して、CMに使いたいそうなんだ。君のような容姿の少女が製作に携わってるというのは、それだけでCM効果がある。どうかな、クロエ君」
「高校入学前なので、それは全然かまわないですけど…出来上がったとき私が塗ったところだけ粗悪になったらと思うと…」
「大丈夫よ、クロエ」
亜矢が言葉を発し、クロエの頭にポンと手を置く。
「私が横できっちり指導するわ」
------クロエの目がキラキラと輝き、亜矢を見据えているのがわかる。
亜矢には勝算があった。
と言うのも、デザインセンスが無かったり手先が不器用な者を無理やり父の仕事にあてがったわけではないからである。
亜矢はこの数ヶ月、クロエと行動をともにするなかで気づいていた。
クロエの非凡な才能を------。
亜矢ほどではないが、クロエにもデザインやアートの才能があり、手先もそうとうに器用だ。
これなら、父の仕事現場でも作業によっては通用するはず…亜矢はそう感じていた。
「さぁ、始めようか」
「「はい!」」
------
「------へぇ…あの娘か」
壁面に絵画を創作する三人組を、ビルの屋上から双眼鏡で視認する一つの影があった。
『…そのはずだ。今日の内にいけそうか?』
「駄目だ」
『なに?』
「もっとギャラリーが必要だ」
『ちっ…それなら、実行までその女の尾行はお前がやれよ』
「ふん…相変わらずポンコツだな。うちの信号探知システムときたら。だからCPPなんぞに新入りを取られまくるんだ」
『そう思うなら、今日動いたらどうだ。いつ他の組織がくるかもわからんぞ』
「他の組織の奴が来たら、そいつを殺せばいいだけだ」
『…まぁいい、頼んだぞ』
プチッ
「フン…」
数分後。
ビルの周囲を飛行していた鳥が煙を上げて落下した。屋上には不気味な鼻歌が響いていたが、それを聴いた者はいない------
------
「クロエ、そこはもっとダイナミックな色使いでいいと思うわ」
「わかった!」
つなぎを身に纏った美少女コンビは着々と作業を進めていく。
驚くべきはやはり、クロエの才能だ。
その繊細で緻密、かつ一定のスピードを維持するハイレベルな作業ぶりには、亜矢も茂も感嘆していた。
「こんな才能が隠れていたとは…うかうかしていては次世代に抜かれてしまうな」------茂は脚立の上でペンを走らせながら、そんなことを呟く。
三人は、ときに黙々と、ときにはしゃぎ---主に二人の少女が---ながら、作業を続ける。
------
「------よし!ペン入れ完了だ」
二日間に渡る作業は、大詰めを迎えた。
メインデザイナーである茂によるペン入れが終わり、あとは亜矢とクロエによる彩色が終わるのを待つだけだ。
翌日以降も、茂には多種のカラースプレーを使用してよりアートの完成度を上げていく作業はあるものの、三人で行うのはここまでとなる。
亜矢とクロエはこの二日間、太陽の下での作業にもかかわらず一切の弱音を吐かず、むしろ楽しんで完遂せんとしていた。
製作過程の撮影を担当したスタッフも、これだけいい画がたくさん撮れればCM効果は抜群と大喜びだ。
そして、そこから約一時間後------
「「できたぁーーー!」」
少女たちの元気な声が響き渡った。
いつの間にかその場に姿を現していた茂の依頼主が謝辞を述べる。
「いやはや、最高の出来ですよぉ〜黒咲さんありがとうございますホント」
「いえいえ。明日以降も手は加えますがね、おおかたこんなところですが修正依頼などは…大丈夫そうですね?」
「モチロンでござんすよぉ!アートは最高なうえこんなカワイイ娘たちの製作風景も撮れましたしね、全くもって感服する仕事ぶりですのん」
「…なんか喋りかたヘンね」
クロエが小声で亜矢にそう言いクスクスと笑う。
「コラ、お客様にそんなこと言わないの…プッ」
亜矢はクロエを叱るも、自らの肩も小刻みに震えていた。
------
三人は黒咲家に戻り、塗料まみれのつなぎを着替えた後、応接の間に集合した。
「二人とも、昨日今日とご苦労だった。ほんとうに素晴らしい仕事ぶりだったぞ」
「いえ!すごく楽しかったです」
「コレ系の仕事は結構好きなのよ。って言うかクロエがあそこまでやれるのはちょっと想定外だったわよね。スゴイわ、クロエ」
「えへへ」
「うむうむ。そこでだ、依頼主から別の注文の約束もとりつけたことだし…給料を増額して払おうじゃないか」
茂の提案を聞き、亜矢とクロエは嬉しそうに顔を見合わせる。
「昨日と同様、このあとクロエ君を自宅へ送り届けるからこの場で手渡しでも危険はないと思うがどうかな?必要ならば口座へ振込むが」
「わぁ、ありがとうございます。じゃあ、今日頂いてもいいですか?」
「うむ」
茂は足元に置いてあった自身のバックから封筒を取りだし、クロエの前へと差し出した。同時に、自身の娘に対しても同じ封筒を渡す。
「二人とも、ほんとうにありがとう」
「こちらこそありがとうございました!」
「お父さん、ありがとう。ま、また手伝ってあげるわ」
------その後、茂と亜矢はクロエを自宅に送り届けた。クロエの自宅前で茂はクロエと固く握手を交わし、是非また手伝ってくれと言葉をかけた。そして、亜矢とクロエは…
「亜矢ちゃん、これでプレゼント…買いにいけるよね」
「えぇ。次の土曜でどうかしら?」
「うん!あ…その次の日、日曜日だよね…パパとママが入学の準備のために一緒に会ってくれる日だ…」
「ほんとう?ベストタイミングじゃない!土曜に行きましょう、お買いもの」
「うん!」
今回の黒咲家での仕事で得た報酬で、クロエの両親へプレゼントを買いに行く約束をし、その日は解散した。
空気を伝いどこからともなく聴こえる鼻歌を、三人は微かに知覚しながらも意識の外へ排除していた…
------
ツカツカツカ------
「…あーもぅ!」
私は駅の構内を、限りなく走行に近い速度で歩行しながら目的地を目指す。
タクシーを拾おうか迷ったが、待ち合わせは渋谷駅前だ。
どうせ周辺の道は混雑する。このまま電車に乗ってしまったほうが早いと判断して私は小走りで改札を通り抜けた。
私がこんなに焦っているのは、いわゆる《ナンパ》に時間を取られてしまったから。
都内をうろついていればナンパは日常茶飯事で、あしらうのもうまくなったけど、今日ほどしつこい男は初めて。
最終的に私が罵詈雑言で罵っているというのに、軽く三十分は食い下がってきた。
結局、近くの交番に駆けこむハメになってそこでも時間をとられてしまい、約束の時間には到底間に合わなくなってしまった。
「ごめんね、クロエ…!」
そう小さく呟きながら、渋谷へ向かう電車へ乗り込んだ。
焦る気持ちを懸命に抑えながら、私は手元の端末でメッセージを開く。
未だ返信がない…
私は待ち合わせ時間に遅れてしまう旨を伝えるために、既に複数回クロエにメッセージを送っている。
それに対する返信がないことが、私の焦燥感を一層焚き付けた。
ひと駅ひと駅が、長く感じる。
渋谷以外に止まらなければいいのに…そんな滅茶苦茶なことを考えながら、電車に揺られる。
「次は〜渋谷〜お出口は、左側です」
…ようやく、待ち望んだアナウンスが聞こえた。
私はドアの前に立ち、扉が開くと同時に誰よりも早く改札へと移動する。
改札を抜け、人混みを縫うように約束の場所へ…
外の世界へ出るともう日没が近く、辺りは薄暗くなってしまっていた。
クロエと合流できるのか、より一層不安が募る。
私は走りだしていた。
すぐ近くにある、いつも目印としている銅像へと向かって。
ものの数秒でその場所へ辿り着くと------
そこにクロエの姿はない。
「そんな…クロエ…どこにいるの?」
私は必死に、突出した美貌を持つ少女を探す。
今の私は一目見てわかるほど悲壮感の溢れる顔だと思う。
でも、そんなの関係ない。
とにかくクロエと合流して、遅れたことを謝らないと今日は始まらない。
------そんなとき、私の腰の両側に誰かの手が置かれた。
「…!」
変質者の類かと直感し後ろを振り向くと、そこには…
「亜ー矢ちゃん!良かったー来てくれたぁ」
ぴょこっという表現が似合いの動作で、私に顔を見せて声をかける少女。
その愛おしい存在こそ、私が今必死で探し求めていた人だ。
「クロエ!」
私は思わずクロエをギュッと抱きしめてしまった。他人の好奇の目を気にすることなく。
「あ、亜矢ちゃん、どうしたの」
「ごめんね、遅くなって」
「いいの。私もね、忘れものしちゃってメッセージできなくて…」
「え?」
…私は、ホッとした。クロエは、いつも私とメッセージをやりとりしている携帯用端末を家に忘れてきたらしい。
「そうだったのー、クロエ怒ってひとりで行っちゃったかと思ったわ」
「そんなワケないよぉ!亜矢ちゃんったら」
クスクスと笑うクロエを見て心の底から安堵した私は、今日の本来の目的へと話題を移す。
「じゃあ、お買いもの行こうかしらね。クロエのお父さんとお母さんへのプレゼント!」
「うん!ありがとう亜矢ちゃん------」
------
二人の少女は、巨大百貨店に入り商品の物色を始めた。
ビルの階層は十。
入口のインフォメーションで、目当ての物がありそうなのは二階から六階の間だろうとあたりをつけ、順繰りに回っていく。
「------亜矢ちゃん、これどうかなぁ」
「あら、カワイイじゃない」
「ほんと?ママはこうゆうのが好きだと思うんだ♪パパのもお揃いにしようかなぁー」
四階のとある売り場で、二人はこんな会話を繰り広げていた。
すると…------
ズドンッッッッッッ
「「キャー!!」」
少し離れた場所で、低い爆発音と甲高い悲鳴があがる。
「な、なに?、今の…」
「亜矢ちゃん、怖いよぉ」
二人は、いや、このビルに何千といる人間のほとんどが、状況をまったく理解できない。クロエはギュッと亜矢の腕にしがみつく。
ズドンッッッッ
ズドンッッッッ
ズドンッッッッ
爆発音は一度で終わらなかった。
しかも…徐々に二人の少女の方に近づいてくる。
「逃げましょう!クロエ!」
亜矢は、即座に危険と判断する。クロエの手を引き、駆け出した。
しかし。
ピッ
何やらレーザーのような光が二本、亜矢とクロエの横をかすめ------
ズドンッッッッ ズドンッッッッ
「「キャー!!」」
今度の悲鳴は…亜矢とクロエが発したものだ。
亜矢が走りだした通路の先の店舗で爆発がおこり、吹き飛んできた商品が二人めがけて飛んでくる。
二人は避けようとしたが爆風でバランスを崩し、床に身を叩きつけられる。
「ク、クロエ…大丈夫…?」
「痛いよぅ、亜矢ちゃん」
なんと、起き上がったクロエは額から血を流している。爆発で飛んできた物が当たったのだろう。
「〜♪〜♪〜♪」
亜矢がクロエを心配する中、フロアでは突然、不吉を孕んだ不気味な鼻歌が響き渡った。
そしてその歌声の主であろう影が、歩いてくる。
その影は、このフロアで人が最も多く集まっている場所で立ち止まり…叫ぶ。
「くかかかかか…苦悩…痛み…恐怖…心地良いぞ!もっと泣き叫べ!愚民どもが!!」
視認できたその姿は、一言で言うなら------醜悪。
背は低く、全身は痩せこけているにも関わらず、腹だけが異様に出ている。頭髪は禿げ上がり、焼け野原のようだ。乱杭歯の口元からは涎が垂れ、目はニタリと笑っている。
…ダッ
立ちすくむ、あるいはへたりと座り込む客の群れの中から、一人の男が走りだす。この恐怖の現場からの逃走を試みたのだ。
その刹那------
ピッ
この状況を創り出した醜い男と、逃走を試みた男との間が、レーザーのような光で結ばれる。
そして。
ズドンッッッッ
ビチャッ
逃げようとした男は、内 臓 を 撒 き 散 ら し て 四 散 し た。
「おいおぉい…こんな楽しい《ショータイム》なのに、どこへ行くんだ?逃げるくらいなら天国へ連れてってやるさ…………地獄だったらごめんねぇぇぇ!?アハハハハハハアハァハァハ」
「「「「イヤーーー!!」」」」------今日最大の悲鳴が、フロア全体に響き渡った…
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