【第5話 E-SigLabo】
目を覚ますと、時刻は午前九時を回っていた。
今日が平日であったなら完全に寝坊による遅刻が確定している時間だが、幸いにも今日は土曜日だ。
…昨晩りさセンが俺の家を訪ねてきた後、俺は再び真夜中のプログラミングにいそしんでいた。
寸暇を惜しんで開発を続け、遂にma★naが目標としていた水準で完成し、眠りについたのは午前四時だった。
今回、開発期間が長かったため喜びもひとしおであるが、まずは気になる予定を済まそう…と考える。
朝の身支度をして、りさセンから渡されたメモに書かれた住所への道のりを確認して、俺はバイクに跨った。
通常、冬場はエンジンのかかりが悪いが、バイクマニアである父の手入れが常に行き届いているためか一発でエンジンがかかる。
都内では、この時期であればまだ雪の心配も少ない。
バイクを走らせることおよそ一時間、目的の場所に到着した。
どうやら大学のキャンパスのようで、りさセンのメモには”五号棟”へ行くように…と書かれている。
大学構内の案内図を確認し、五号棟へ赴くとそこには------
明らかに敷地内の他のものとは違う、金属質で円柱形の建物が姿を現した。
面積も高さも、明らかに他のものよりも大きなその建造物は、円柱形のその周囲をぐるりと鉄格子のような柵で囲まれており、”関係者以外立ち入り禁止”の札が立っている。
俺はその鉄格子の一部に、りさセンが昨晩言っていた”タッチパネル”らしきものを発見したので、指をおいてみた。
…すると、タッチパネルのバックライトが点灯すると同時に、画面の上部に”Pass?”という簡素な文字列と、下部にソフトウェアキーボードが表示される。
俺はりさセンのメモに書かれた数字の羅列を打ち込み、”Enter” のボタンを押すと、 ”OneTimePassを受け付けました。このPassは今回の認証で消滅します” と表示され、その直後------
ガシャンという音と共に長方形に切り取られた鉄格子が円柱形の建物に向かって倒れはじめる。
そして鉄格子は、俺の立つ位置と円柱形の建物を橋渡しするような恰好に着地した。
すると今度は円柱形の建物の方に、倒れた鉄格子と同じ大きさであろう長方形の切れ目が入り、こちら側に倒れてくる。
やがて、俺の立つ位置と円柱形の建物の内部を繋ぐ道が出来あがり、建物内に向かって矢印型の光が走った。
俺はその建物の中へ足を踏み入れた。すると今俺が通ってきた道は、自動的に壁に戻った。
壁が完全に閉じた瞬間、建物内にパッと灯りがともり------
外壁と同じく金属質の、がらんとした広場の中央にまたも金属質なサークル状のテーブルが置かれ、中心には女性が立っている。
俺はそのテーブルへ近づき、女性に声をかけた。
「あの、すいませ...」------言いかけたところで、俺は言葉を止めた。
眼前に立つ女性---と俺が思ったもの---は、無機質な表情と、身体の各部にLEDランプが灯る、所謂”人型ロボット”であったのだ。
「アナタノ オナマエ ト, ゴヨウケン ヲドウゾ」
いかにも合成といった音声で、女性の容姿を備えた人型ロボットは俺に尋ねてきた。
「え、えーと...冴木新といいます。高橋理沙さんと言う方に招かれてここへ来たのですが」
「サエキアラタ様 デスネ. タカハシリサ研究員ヨリ,承ッテオリマス.------E-SigLaboヘヨウコソ」
------E-SigLabo…?
そしてりさセンが研究員…一体どういうことだ?
俺は、受付のロボットの発した言葉に驚愕しつつもそのロボットに促されるままに、入ってきた方向とは反対側の壁に向かって歩いた。
すると、壁の前にはもう一つ小さな円柱が、天井を貫いていた。
「タカハシリサ研究員ハ,八階ニイマス.コチラニオノリイタダケレバ一瞬デトウタツイタシマス」
なるほど、これはエレベーターってわけか。全ての物が円柱形で統一されているが、基本的には一般的な建造物と大きな違いは無いのかもしれない…。
俺はエレベーターに乗り込み、流暢な動作でお辞儀する受付ロボットに見送られ、りさセンがいるという八階を目指した。
エレベーターは、受付ロボットの言葉通り一瞬で八階へ到達したことを告げる電子音を鳴らし、その扉を開いた。
俺の目に飛び込んできたのは------
「おい!E-3のタンク、反応出てるけど誰かログとってんのか!?」
「インドで新しいE-PSIerが放ったであろう信号の反応を衛星がキャッチしました」
「研究員志望の若い子が三階に来てるらしいよ、対応ヨロシクね~」
白衣を着た男女がドタバタと走り回って大声を上げている光景だった...
その他にも、ある者はデスクに座りにやにやした顔でPCの画面を凝視し、またある者は険しい表情で試験管のようなものを見つめている。
「ここは一体...」
俺がぼそっとつぶやいていると、円柱形の部屋の中央付近から白衣の女性がこちらに気づき駆け寄ってくる。
「新君!」
その女性は、白衣を着たりさセンだった。
「来てくれたのね。ありがとう」
「こ、こんにちわ。りさセン先生、ここは?」
《E-SigLabo》と受付ロボットは言っていたが…
「ええ、紹介するわね。ここは------」
「------E-SigLabo、E-PSIerの信号専門の研究所でCPPという組織が管轄する機関よ」
…聞き慣れないアルファベットの羅列が耳に飛び込んできた。
「CPP?」
「えぇ。正式名称は Central to ParallelProcessing っていうんだけど、長いから通称で呼ばれているわ。昨日あなたと話をした、E-PSIerにより構成される組織の中でも、最大規模を誇る組織の一つよ」
「…なるほど。りさセン先生は、そのCPPが管轄するこのE-SigLaboの、研究員をやっているってわけか。学校では話せないわけですね」
「えぇ。念のため言っておくけどね、校長からの許可は得ているのよ。ただ…同僚とか生徒には秘密にしているわ。まぁ立ち話もなんだから、座りましょう。六階がミーティング用のスペースになってるわ」
俺はりさセンに連れられ、再度エレベーターに乗り込み六階へ移動した。円柱形の広場にたくさんの円形のミーティング用テーブルが並ぶ。それらの間に、壁や仕切りは存在しない。
八階のようにドタバタと走り回る人はいないが、沢山の研究員らしき人が各テーブルで議論を白熱させているようだ。
「さ、座って。給湯スペースでコーヒーを入れてくるわ」
「はい」
りさセンが給湯スペースとやらにコーヒーを入れに行く間、俺は一人でミーティング用テーブルに座って待っていたが、その間に何人もの研究員らしき人間に声をかけられた。
その内容は全て「おッ、キミもE-PSIerだね」という内容で、彼らの腕には例外なくあのりさセンが俺をE-PSIerであると特定したブレスレットが着けられていた。
「お待たせ」
「あ、ありがとうございます。あの、りさセン先生。今俺何人か研究員の方に声をかけられたんですけど、全員俺がE-PSIerであることを知っていました。腕にはりさセン先生が昨日見せてくれたブレスレットも…」
「一応、今日の本題はそれだったわね。これは、ここで開発した”E-SigSensor”っていう名前のアイテムよ。この青色の珠がそれ。普段はピンク色だっていうのは言ったわよね?まあ他の白い球の部分は、別に単なるブレスレット用の雑貨で作ったものなんだけど。身に着けやすいからこの形にしてる人が多いわ。たまにネックレスにして首からぶら下げてる人とかいるんだけど、見づらくないのかしらね」
「このE-SigLaboでは、そういうE-PSIerに関わるアイテムを色々開発してるってことですか?」
「そうね。基本的には、E-PSIerの使う信号《E-Sig》について研究してる場所なんだけど、E-PSIerの絶対数が少ないから、識別用アイテムは必須ってことで色々と開発してるわ。このE-SigSensorほど小型のセンサーはずっと無かったんだけど…先日ようやく開発が終わって、配布されたの」
そういえば俺は先ほど八階を訪れたときに《インドで新しいE-PSIerが放ったであろう信号の反応を衛星がキャッチしました》という言葉を聞いた。衛星を使用して信号をキャッチすることまでできるのか…
「でも、E-PSIerは熟練しちゃうと信号のコントロールにも長けるから、常に垂れ流すようなことはもちろん、特定の相手以外に傍受されるような送り方もしなくなるわ。だから、私たちが見つけられるのは、E-PSIが開花したばかりで信号コントロールの術を知らない、新米E-PSIerだけよ」
なるほど、と思った。昨日、俺の自宅でりさセンに尋ねた内容の答えは、ここまでで得たといっていい。しかし、俺には既に新たな疑問があった。
「そう、なんですか。ところで、さっき言ってたCPPっていう組織…どんな組織か教えてもらえますか」
「もちろんよ。あなたをここに呼んで、本当に私が本題にしたかったのは実はそっちなの」
「世界には様々なE-PSIerにより構成される組織がある、って話は昨日したわよね?その "ビジョン" は、組織によってまちまちなの。それこそ世界平和やら、世界征服やらを目指すっていう壮大なビジョンを掲げる組織だってあるわ」
「E-PSIの持つチカラ、可能性は物凄く大きいから、手段として有用すぎてビジョンも乱立するの」
「じゃあ…CPPの目指すところは、どこなんですか?」
「それは…」
りさセンはいつも笑顔が張り付いている顔つきを、真剣なものに変えた。
「《複数の現実世界の創造》よ」
------…俺は、驚愕した。
りさセンが所属するE-PSIerの信号の研究所。その親である、”CPP”なる組織の掲げるビジョン…
それが「複数現実を創り出すこと」だと...?
壮大すぎるが故にどこから、何から訪ねてよいかわからなかった。その俺の逡巡を見抜いたのか、さらにりさセンは言葉を続けた。
「具体的には、複数の現実世界の創造は、E-PSIerの集団で様々なE-PSIを組み合わせて使用することで実現されるわ。世界を創り出し、存続させるのに必要なチカラを持つE-PSIerそれぞれに、明確な役割を与えてE-PSIを発動してもらうの」
「集団でE-PSIを…そんなこともできるんですか」
「可能よ。E-PSIは個人で使うよりむしろ集団で使うほうが高い効果が出ることが多い性質があるわ」
「待ってくださいりさセン先生。もしかして、既に複数現実の創造は実現されている…?」
りさセンは俺の問いに対し、首を横に振った。
「今は最終段階…ってところかしらね。でも、詳細な情報は正規のCPPメンバーにしか伝わらないの。私たちのような管轄組織の人間には限定的な情報しか伝わってこないのよ」
「なるほど…」
「それでね、新君」
急にりさセンが声のトーンを一段階落とす。
「あなた、CPPのメンバーになる気は無い…?」
俺は、その言葉を予想していなかったと言えば嘘になる。E-PSIerにより構成される組織、その下部だとしても、所属するりさセンが俺をここに呼び出してまで話をする理由はほかに考えられないからだ。
E-PSIerの組織はりさセンの言う通り世界中に乱立し、その目的も規模も様々だ。E-Sigを操る術に長けていない俺は、一方的にその存在をキャッチされ、これから幾度となく勧誘を受けることになるだろう…
当然、その中には先日亜矢を誘拐したような悪しき組織も含まれる。
それらの悪意に対抗するには、aliasの戦闘能力にのみ頼るのではなく、俺自身が組織に所属することで対抗することが得策ではないだろうか…
しかし、りさセンの所属する研究所を管轄するCPPという組織が、どのような活動をしているか。りさセンの話からだけでは分からない。
何せ、掲げるビジョンが壮大すぎる。
複数現実の創造…そのための活動に俺とaliasがどのように資することが出来るのか。
即断することが出来ないでいる俺に、りさセンは再度言葉を発した。
「もちろん、今日すぐに答えを出してとは言わないわ。まだ前回の勧誘の悪いイメージも抜けきってないでしょうし。それに私も推薦者としてCPPにあなたを紹介した後に、どんな選別過程を経るかはわかっていないの。だから、もしかしたらあなたがCPPに所属することは無いのかもしれないわ。ただ…」
「ただ…?」
「あなたの発するE-Sig…波長がものすごく短いの…このE-SigSensorは波長が短いE-Sigの近くにいるときほど青みが増すんだけど、こんなに真っ青になる信号を出せるE-PSIerは、熟練者でも少ないわ」
「波長が短いのと、長いのでは何が違うんですか?」
「最近の研究でわかったんだけどね。E-Sigの波長が短いE-PSIerは、ひとことで言うなら”バーサーク”のような状態に入りやすい、つまり能力精度が異常に向上しながらも、周囲の状況に全く意識が向かなくなるっていうか…」
「…それって… 一人で戦い抜くのは難しい、って意味ですよね」
りさセンはふぅっと息を漏らし、言葉を発した。
「さすが新くんね。アタマの回転が速いわ」
「例えばね…戦闘なら、バーサークの状態は眼前の敵を屠るには最高のパフォーマンスを発揮する代わりに、すごく安易なトラップに簡単に引っかかったり、傷を癒すことを忘れて戦い続けて力尽きるってことが多発するわ。だからこそ、あなたの安全のためにも、仲間が周囲にいる状況を常に維持した方がいいと思うの」
「りさセン先生が、E-SigSensorを見てすぐ俺ん家を訪ねてきたのには、そういう理由もあったんですね」
「E-Sigの受信自体はそんなに珍しいことじゃないの…そもそもE-PSIerは都市部に集中してるから。でも、この青みのE-Sigを発しながら、一人でいるのは危険だと思ったのよ。かわいい教え子だしね」
「E-PSIerが都市部に集中?」
「あぁ、それは、E-PSIの開花トリガーに電磁波が大きく関わってるからなんだけど…すごく専門的な話になっちゃうから、またの機会にね」
「はい…」
それから、三十分ほどE-PSI・E-PSIerについて、対話を重ねた。
「色々と教えて頂きありがとうございました。今日は、これで帰ります。少しだけ考える時間をください」
りさセンにそう伝え、俺はE-SigLaboを後にした。
------
俺は家に帰ってくるなり、aliasを呼び出す。
「やぁ」
「alias、俺の意思を通じて話は飲み込めていると思う。CPPという組織への推薦の話…どう思う?」
「うーんそうだねぇ…組織からの勧誘はこの前の一件でいいイメージが無いけど、りさセンさんの言うことで激しく共感できる部分はあるよ」
「…バーサーク…ってやつか」
「うん。この前の誘拐犯との戦闘で、このままじゃヤバいって瞬間があったんだ。そのときに意識の中で、誘拐犯への強烈な殺意と特攻のイメージが強く湧いた。加えて、なんとなく自分の中にスイッチがあるような感覚がしてね。試してみようかと思ったんだけど…ちょうどそこでキミが倉庫の扉を開放する策を実行したのさ」
「そんなことがあったのか…」
「恐らく、それがバーサーク状態ってやつへの切替タイミングだったんだと思う」
「なるほど」
「あの日、敵は一人だったから、きっとバーサーク状態になっても問題は無かったかもね。でもりさセンさんの言う通り、そこにトラップがあったり、それこそ別の場所から狙撃手が狙っていたりしたら、看破する余裕は無くなるかもしれない…」
そこまで語るとaliasは、小さく微笑んでこう言い放った。
「ま、それでも僕はどんな相手にも負けるつもりはないけどね」
「ふっ流石だな。だが組織に入って周囲に仲間がいることでリスクが大きく排除されるなら、それもアリだよな…いつも真っ向から向かってくる敵だけとは限らない」
「そうだねぇ、CPP自体は悪の思想で動いているとは感じないしね」
「複数現実の創造か…集団でE-PSIを使って実現するって言ってたけど…一体どんなものなのか、想像もつかないな」
「うん。どちらにしても、虎穴に入らずんば虎子を得ず…って感じだよ」
------aliasと話をして決心がついた。りさセンにCPPへ推薦してもらおう。
今日は土曜。
明日またE-SigLaboを訪ねても良いが、確か、りさセンに貰った入口のパスは”OneTimePass”で、次に今日と同じものを入力しても認証が通らない。
りさセンとは月曜日、学校で顔を合わせるはずだ。
りさセンは研究員であることを学校では伏せて活動しているようだったので、学校でこっそりと新しいOneTimePassをもらって、またE-SigLaboで話をしよう------
v.1.0