ホーチミン散策。 (え、歩いたの?!)

夕方になりなんとなく涼しかったのもあり、grabは使えるようにしてきたけれどもタクシー乗るほどでもない、しかしバイクは怖いので結局歩いてしまった。ゆっくり街も見れるしね。
しかし歩道はバイクがみっちり止まってるし、車道もバイクがみっちり走っているしで、歩きにくすぎてしょうがない。
多分みんな近場でもバイクに乗るんでしょう。徒歩1分のところにもバイクで10秒で行くんでしょう。だから歩行者のこと考えた設計になってないんだわん、と思いつつも、バイクの皆様も歩行者は避ける前提で運転してくれているので、さほど危なくはなかった。日本の我が家の近所の夕方~18時の殺気立った運転手しかいない週に3回轢かれそうになっている道路とは訳が違った。

というわけで検索しても延々と”SNSで映える!”的なことしか出てこないタンディン教会です。
調べたところ1876年に建てられたホーチミンで最古の教会らしい。
こちらのブログが古い写真も載っていて参考になりました。(というかこのブログすごい。最終更新2015年。うむ。この頃のブログって非常に読み応えのあるブログが多かったよね〜)

ピンク色になったのは1957年、今の配色になったのは1976年とベトナム統一後ですね。
ヴェトナム語wikiやタンディン教会の公式サイトによると、
フランス・ナント出身のドナティアン・エヴェイアール神父(Donatien Éveillard 1835-1883) が1861年にベトナムに赴任し、1874〜1876年にこの地に教会を建てた。
神父はシャルトルの聖パウロ修道会から修道女を呼び、タンディンに孤児院と寄宿学校を設立し、1880年までに約300人が在籍した。
また、宗教出版社を設立し聖学校の子供達に印刷・出版の職業訓練を施した。
神父は1883年に亡くなり、教会の祭壇の前に埋葬された。
後継者であるルイ・ウジェーヌ・ルヴェ神父(Cha Louis-Eugène Louvet 1838-1900, 通称:ンゴ神父)の頃には教区民が2000人に急増し、教会の拡張のために宝くじを開催し資金を集めた。新しい校舎や聾唖学校が設立され1908年までに4人のフランス人修道女と10人のベトナム人修道女を招聘。
宗教出版社では「安南語-フランス語辞典」など重要な学術出版物を多数出版。
1928〜29年、インドシナ初のベトナム人司教となるジャン・バプティスト・グエン・バ・トン神父(Jean-Baptiste Nguyễn Bá Tòng 1868-1949)の元で修復され、アイコンになっている正面の約52mの鐘楼が建設された。
1957年の改修で現在のサーモンピンク(内側はイチゴ色とクリーム色)に塗り直され、それ以来何度か改修が行われています。

とのことです。
ピンクになった理由はわからず。マラッカのオランダ統治時代の建物のような色なのでなんかフランスと関係ないのかな?とか宗派が特殊なのかな?とか思っていたが、特にそういうわけではなさそう。
で、この時期はベトナムのお正月「テト」の前なので、教会にもテトの飾りが!!
やーほんとにねー、アジアの教会大好きだ!!!
このアジアナイズされ感!!
イエス様もお正月を祝っていらっしゃる。
クリスマスツリーには赤と黄色のランタン!!更に辰年だからだと思うけど、龍が巻きついている!!
可愛すぎかよ〜〜

そう、そんな感じで教会だけでなくどこもかしこもテト準備で飾り付けられているのだった。
ホーチミンはいつもこんなにせわしないのかもしれないが、師走的な状態で更にせわしないのかもしれなかった。
老若男女が民族衣装を着て映えスポットで写真を撮っているし。
木にネジで黄色い花がくくりつけられているし!(なんの花だろう?!と近づいたらまさかの造花。しかも木に直接ネジ留め。まじか!)
確かに歩道はあってないようなものだけれども、バイクの人みんなヘルメットしてる時点でとても文明的に見えるぞ。
党のポスターのところにはなんかレーニンの絵とか描いてあるけど。
すげー、ロシアでもこの風景はないわーーww 本当に21世紀も中葉に差し掛かる時代なんでしょうか。SFの中にいるみたいよ・・・

頑張って歩きましたが、ノートルダム教会は工事中で入れないし、2本の尖塔も覆われていてまるでクアラルンプールのタワーのようだし。
(でも後ろ側の古いレンガは見えて、とても良かった・・・)
サイゴン郵便局は巨大なホーチミンの肖像あるし(めちゃくちゃ観光地)

コーヒー豆がいろんな種類が売っていると聞いたコーナン(日本のホームセンターのコーナン)へ。
めちゃくちゃ種類あるし、クレジットカードも使えて助かりました!
ここで何種類か色々な産地の豆を購入。
マルーのチョコレートや他のチョコレートも結構売ってました。
ユニクロもあるビルでめちゃくちゃ綺麗で人いなかったので、ソファーで一休みしつつ、
夕暮れのサイゴンを今度は人民委員会庁舎の方へ。
やー、ライトアップもされてて綺麗ですな!

フランスのインドシナ統治は過酷だったイメージしかないので、ベトナムでフランスがどう扱われているのか非常に気になっていたところではあったのだが、
2024年現在のホーチミンでいうと、もはやフランス風なものは植民地主義の悪の象徴どころか、全て戦利品に見える・・・!!
上海フランス租界で異国情緒たっぷり☆とか言うと、やりたくて異国情緒たっぷりなわけじゃねーから!!占領されてたから!!と未だに炎上するのに、このサイゴンの近代建築の、
フランスから分捕りました、オホホホホ感・・!!
(10年前に来てたらそうは見えなかったかもしれんけど)
なんなのこれ?!
台湾総統府は今も使ってて、朝鮮総督府は96年に壊されているのだが、
ベトナム人にとってはどういう経緯で残ってるのか、また調べてみようと思いました。

そして夕食はミシュランとったフォー屋さんで牛肉のフォーを。
付け合わせのミントが美味しすぎて、新たな味覚開拓です。
うーん!やっぱり本場は米粉がそもそもレベチですな!!
雲南省の米粉よりうまい。
ベトナム料理は、海外では元難民の方(海外に逃げられなかった人よりは比較的裕福で舌が肥えている)がやっているので、どこの国で食べても絶対外れがないと言われ、それまでドイツや日本で食べていたけど(韓国のベトナム料理屋はなぜか外れを引いてしまった)、やはり本場は美味しいですね!!
出汁も麺もスパイスも、香味も・・なんだろうな。ペロリと完食してしまいました。

夜はなぜかホーチミン氏がバオ=ダイから政権を託される(8月革命?)のアニメがやっており、アニメを見たり・・・。(シュールすぎる)
そのあとキューバ革命に参加したベトナム軍の番組が始まってカストロ議長やゲバラを見たり・・・。(日本では絶対放送しないから楽しすぎるw)
バックパッカー街の割には静かな裏通りの宿だったので、ぐっすり眠りについたのでした。








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