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時間が積もったがゆえの何かしら

晩秋である。

栄枯盛衰で言えば、衰えの季節か。夏の思い出を抱きしめながら、ちらつく冬の寒さと枯れに怯えつつ、現在の惰性の豊かさにすがる頃。

例えば、

より年長の人間が、例えばその「雑多な過去」を「人生経験」と読み替え、今ひとつ値打ちのはっきりしない「経年により蓄積された何か」を、カウントでき(かつ覆ることない)単純な年数で評価しながら、その裏で、こっそりと延命のための煙幕を張る、そんな茶番がある。

おっと。

過去時点でのいち出来事や、時間の長さで。或いは「誰々を知ってる」というような関係性で。そんな実態のわからない「っぽさ」の後光による雰囲気で、要するに「錯覚資産」で。自分の影響を、ひいては交渉力を保てたらいいのにな。そんな軽薄な誘惑がある。

やめろやめろ。

しかし、真に内実が伴っているかは、それこそ〝時の試練〟を前にしては、はっきりとボロを出してしまうだろうか。どこか渋い感じになっちゃうか。何より本人が自ら気付いて、内から冷めてしまうのではないか。

あとは、この先どれぐらいその「寒さ」に耐えてゆくつもりなのか、耐えてゆけると思っているのか、というぐらいの話で。

えー、こほん、こほん。

晩秋である(2回目)

他人事ではない。

今年で早社会人も10年目。本来なら僕も、同じ干支の新人だとかを持つ頃合いらしい。若手グループも最後尾。もうはっきり言って、はっきり言えない感じのポジションを担う今日この頃、そんな世界線もあったろうか。僕は途中で組織的なものから降りてしまったので、何とも言えない。

今や、どうか。

おいそれと簡単に測れないようなところに逃げ込んで、また、単純な物差しで測らない人たちの中に溶け込んで、言葉少なに自己紹介。ゆらっと10年、ふわっと前職、さらっと今の具体的なこと。年齢に応じた「っぽさ」で風を装ってるだけではないのかと。とても怖いところです、が。

とは言え、それでも言ってみたい。いまいちはっきりしないかもしれないが、「時間が積もったがゆえの何かしら」にも価値のあるものはある、あるんだと。

***

晩秋である(テイク3、仕切り直し)

必要最低限のコストで、望みうるリターンを得ること。そんな方法論は「生産性を高める」と賛美される。それは端的にエコだから。限られた資源を、それがお金であれ時間であれ何であれ、効果的に使うことは、人間心理としてヘルシーなのだろう。

ただその一方で、こればっかりはどうしたって、そんなに「生産的」には求められ得ないよなぁ、というものが多分あって、そんなひとつが、「時間の堆積」によってこそ出てくるナニかではないだろうか。

その時が訪れるまで、いわば「機が熟するまで」必要な間を稼いできたからこそたどり着ける境地、がある。

それをいくつかしたためたい。

元カノの場合(2年半)

これまでで一番長くお付き合いした相手がいて、その期間は2年半。それは大学時分の頃で、まだ自我も情緒も不安定に揺れてた僕を、彼女は眺めて、そして去った。よい部分も、そうでない部分も、沢山感じていたのだと思うが、決して多くは語らない人だった。

いつしか再会した時、彼女から見て、僕の“望ましくない変化”を訴えるがため、すこし茶化し目に、控えめに指摘した、ひとセリフ。

「どうしちゃったんだい?」

とても、効きました。

美容師の場合(当時3年ほど)

大学の最寄り駅にあった美容院。初訪以後15年以上に亘り、その美容院のお世話になっていて、今となっては、思考停止した飼育動物のように、僕はそこに通い続けている。慣れというのは恐ろしい。

が、まだそれよりも前、そのカットやらをしてくれる担当の女性に対して、薄い薄い恋心をもって接していた頃があった。当時で、通いだして3年程度が経った頃だったろうか。

今となっては、次回予約を入れることもなく、行けるタイミングで行くが、当時の僕は若かった。「次回はいつにしますか?」の質問に対して、いついつぐらいとは単純に言えない程度に、こじらせていた。

「最近、ちょっとベルトの上あたりに肉がついてきちゃったので、これが無くなったら来ます」

恥ずかしい。なんともハズい返答であるが、ここでどうでしょうか。普通の関係の美容師さんなら、こんな風に返すのではないだろうか。

「あー!○○さんだったら、すぐに痩せれますよ!」

というような。

そうですかねー、そうですよー、じゃあ来月か再来月ぐらいまでに痩せるってのはどうですかー、そうですねー、頑張って下さいー、がんばりますー。それではお会計と次回予約をお願いします、と。

彼女は違った。このお肉が無くなった頃に来ます、と言った僕に対して、

「いつになることやら」

この返しであった。僕は思った。すぐに痩せて来たるから待っとけボケ!と。

コンビニ店員の場合(2年+5年ほど)

東京で一人暮らしをしていた頃のマンション、その目の前10歩ほどの距離にファミマがあった。

当時の僕は、表通りにある、深夜2時まで営業している中華料理屋に、週に2~3回は通い、餃子とハイボールを頼んでほろ酔いとなり、このファミマには、少なくとも週5ぐらいで通っていた。家を出入りする時に、何はなくともこのファミマに立ち寄った。

そのマンションで2年ほど住んだ後に、僕は仕事をやめて、引っ越した。

朝や昼ならいざ知らず、夜のコンビニの店員さんは固定化されている。そこで良く見た店員さんの彼はオーナーだったのかわからないが、いつも一人で、大量の品出しをして翌朝に備えながら、夜の番を担い続けていた。

僕はそこでタリーズの缶コーヒーを買ったり、ハイボールと貝ヒモを買ったりして家に帰った。彼はいつも「あ、どうも」と軽く会釈を交わして、あとは寡黙に捌いてくれる。そんな記憶がある。

***

今週の水曜日。

僕にとって東京は、住む場所ではなく、定期的に訪れる場所に変わったが、過去に住んだ町には愛着があり、ひょんな機会に立ち寄ることがある。ここに住んでたのも5年前か~。宿をその町に定め、付近のエリアに到着したのはもう23時を過ぎていた。晩ごはん、晩ごはん。

感染症も落ち着いたこの頃の東京では、深夜2時までやっていた中華料理屋も、深夜2時までの通常営業に戻っていたので、店を出てくるサラリーマンと入れ替わりざまに入店する。

いらっしゃいませと、迎えてくれたのは、おお、彼は彼でまた5年前にも時々見ていた兄ちゃんではないか。赤鬼のイラストのような、変わらぬ出で立ちであった。お好きな席へどうぞ。声のトーンなども同じだなと思った。餃子とハイボールともう一品を頼んだ。僕のことはもう覚えてないようだったが、名物の餃子は変わらずうまかった。

その後、一旦宿に戻ったものの、歯ブラシなどが必要なことを思い出して、通い慣れたファミマへゆく。昔の流れの通りである。

彼はいた。品出し作業を黙々とこなしていた。

少しだけ様子を伺ってから、ハイボールと貝ヒモを持って、レジに向かう。ちょうどいい歯ブラシはなかった。

「あっ、どうも」レジの彼は僕に気がつく。どうもお久しぶりです。お元気ですか。元気です。最近は大阪じゃなくてこっちなんですか。そうですね。時々東京に来ることが出てきました。そうなんですね。

「じゃあまた、会えますね」

(以上)




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