ひとりホテルで迎えるバースデイ
Mr.Childrenの『Drawing』という曲に、絵に描いても時間が経ったら、何かが色褪せてしまうから、今に漂うこの素晴らしくて煩わしい気持ちは、真空パックに詰めておけたらよいのにな、的な歌詞がある。
いきなりの飛躍で恐縮だけれど、アートに類するものは、そんな特別な感情をどうにかして後に残るよう、閉じ込めようとしたものではないだろうか。生まれて死ぬまでの、もうこれが最初で最後というような生々しい感情を、それでも時が経つにつれて変わってしまう前に、どうにか残そうとした態度だったのではないだろうか。
その姿勢は深いところで「真剣に求めること」や「よく生きること」に繋がってそうな気がする。
これまで書いてこなかったこと
これまでの1年間と少しぐらい、僕は週に一度(を目標に)ちまちまと書き続けてきたが、巷を賑わす感染症については特に何も書いていない。
それが何故かと言えば、何かの役に立つことを言えそうになかった、というのが大きくまずあって、となると何か具体的で“必然的な理由”もなしに、それに触れるのはどこか「卑しい」感じがしたことに尽きる。
お前には関係ないだろう、語れる言葉もないだろう、どうでもいいけど邪魔だけはすなよ、と。
人の不幸に群がった流行り病への波乗りよりも、重要なテーマや問題があるハズだった。自分語りをしがちな以上は、そのリアリティには拘らないと。具体的で直接的に関係のない事柄に対しては、何も言えることはなかった。
一転、濃厚接触者になりまして
具体的で直接的な状況になりました。
今は都内のホテルに引きこもり、自主隔離措置を取りつつ、今晩人生初のPCR検査を受ける予定である。
この検査タイミングも(無症状の場合は特に)ややトリッキーで、体内で多少の増殖が起きていないと検出されないが、感染後に体内で増えて最終的に発症するまでの、いわゆる潜伏期間も人によってまちまち(1日~2週間と幅がある)らしく、めくら滅法の感もあるが、最頻値としての5~6日を目安に今日を選んだ。
それが現状の簡単な報告である。
というわけで、ここからの文章で伝えたいメッセージは、基本的には以下の2つになる。個人的にわかっていたようで、わかっていなかったこと。
➊ 感染したくて感染する人はいないし、誰より苦しむのは本人であること
➋ 当事者になって初めて知る・味わう、連帯や支援があること
***
~少々脱線します~
以前、僕の親戚の一人に感染者が出たときには、少し残酷な気分でもって、「まぁその子なら驚かへんわ(きっと、ろくにまともな感染対策もしやんと飲み歩いて、自分は大丈夫的な無根拠で生意気な姿勢にバチがあたったんじゃないの?)」と思っていた。正直に言って。
「責めてはいけない」というモラルを発動すべきと感じると同時に、えらいミスしよったわ、というような冷淡な感情がなかったというと嘘になる。自分はきちんと安全対策が出来ている一方で、きちんとできない人間が問題を大きくするのを、あーあ、と上から見ているような態度だった。
しょうもないとは思うけれど。
自分の立場が変わると、見え方も変わった。
自己肯定バイアスと言われればそれまでだが、「そうじゃなかったかもしれない」可能性も感じるようになったし、当時の僕には、まずその相手に対する“上から目線”が前提にあって、それに即して、知り得た情報と想像が、その態度を正当化するよう象られていたのだなとも思った。
それはフェアではなかった。
僕自身が“陽性者”になるかどうかは、今日の検査次第なのでわからないが、仮に、陽性者になったとした時に、それが責められうるかな?と考えると、控えめながら納得はする。その感覚はかつての僕の感情にもあったから。「アホが問題を大きくしよる」と。
感染が再拡大傾向にあった東京にわざわざ出てきて、会いたい人に会って、その結果濃厚接触したのは事実で、そこに甘さがあったのは否定できない。僕もそのアホ側の一人だったのだろう。
ただひとつ。自己弁護が許されるなら。
誰しもに、家族や友人や彼氏や彼女やパートナーと言った、重要な人間同士の連鎖が繋がっている。そのどこかの誰かの何かのタイミングで、油断とウイルスが侵入することを、長期間に亘って完全に避けることは難しいし、非人間的だというのが現実なんじゃないかと、今は思う。
もしめちゃくちゃシンプルに言うならば、彼氏や彼女が会ってキスをする。それを1年我慢できるだろうか?
「ちょっとムズくない?」と思う。
今はむしろ、ある一定のアンラッキーも含め感染してしまうこと自体より、その後にどう対処するかの方が、大事なのかなと思うようになった。
~脱線終了~
あまり語られない気がすること
人がコロナに感染した時に、えらいミスしよったな、みたいに思うような人ばかりではない。むしろ、何か出来ることがあったら協力するよ、という人が大勢いる。そんな(当たり前の)事実を、僕は知らなかった。
だから以前の僕自身が感じもしていた印象と、実際に身の回りで起きている現実とのズレについて記しておきたいと思う。
まずは、感染者本人について。
➊ 感染したくて感染する人はいないし、誰より苦しむのは本人であること
彼ら彼女らに起こることを、一部を少し想像にも頼りつつ書けば、まずは、疑いの症状(微熱など)が出てきたときの不快と不安のないまぜになったものを経験してから、検査で診断が確定する。誰かからの被害を受けたというショックと、誰かに加害をしてしまったかもという不安が同居する。
感染時には、未知なる症状(発熱、嘔吐、喉の痛み、腹痛、その他)の療養をしながら、保健所所員からの「積極的疫学調査」の聞き込みの連絡も来るので、その受け答えをする。
その調査は、感染経路の把握を目的とし、発症前後の接触について、つまり誰から感染し得たか、そして誰に感染させ得たか可能性のある人をByNameでリストアップする作業であるが、それが一通り済めば、今後の自分以降の感染リスクをゼロにするべく、症状に耐えつつ粛々と過ごす期間を過ごす。
症状と現在の住環境に応じて、自宅療養/ホテル療養/入院措置が選択され、保健所及び療養を管理しているところの健康観察下(自宅の場合はシステムを使った健康状態のフォローが入る)になるようだ。が、しかし実際には入院病床や、専用のホテルの部屋が手薄になっていることもあり、今の今段階では、自宅療養のケースも多いようだ。
***
なったことのない人間が「甘いんだよね」というのは簡単でも、そこには「なったらわかる」ものがある。仮に甘かったとしても、それが彼らの彼女らの苦しみを妥当と結論することは決してない。
僕が今回見えているところだけからしても、不運としか言いようがないように見えた。だから、人一倍つらいであろう本人からの、気遣いや迷惑を詫びるセリフは胸が痛い。僕がもし感染していたなら、逆に一緒に過ごせるね、などと思う。以前に比べたら、あまりに身内に甘い言い草だとは思うけれど。
➋ 当事者になって初めて知る・味わう、連帯や支援があること
次に、周りにいる「濃厚接触者」に関して
僕は正直言って怖気づいた。ビビった。相手が陽性であると知ってからの距離感は、いざ潜水する前の緊張感で、取り急ぎのお薬と食材を渡すために一度立ち寄っただけ。その時点で僕も既に濃厚接触者だったが、気をつけてきちんとした対処をとれば、そう簡単には感染らない。大丈夫と言い聞かせつつ、平静を装った。
“1m以内で15分以上のマスクなしの会話”レベルが濃厚接触の定義であり、その濃厚接触者でも、実際の二次感染の割合は「1%程度」(1)だったハズと反芻した。
※追記 7/24
富山での追跡調査では、条件別に異なるが総合して「約11%弱」という調査結果もあった(2)
(1) 台湾での確定症例(100例)の追跡調査(濃厚接触者2,761例)(参考)
(2) 富山での確定症例(99例)の追跡調査(濃厚接触者530例)(参考)
そんなビビリの僕がいる一方で、似たような環境(同様に濃厚接触者)ながら、もっとしなやかに強くて、優しく振る舞える人もいる。感染者の家のリビングで平気に寝こけてしまうのは正気かな?と心配になるほどだけど、検査結果は陰性らしかった。既に一度ワクチンを受けているのが奏功しているのかもしれないが、覚悟の差のようなものを感じる。きちんと気をつけたら大丈夫。私は元気もりもりだからなんでも言ってねと。
最後に、もう少し遠くの「オンライン」の関係者に関して
必要なものがあったら何でも言え!すぐに送るぞといったコメントと共に、多分具体的な物資が届いている頃だと思う。保健所からも、食料などが送られているそうな(勿論、だから間違っても出歩くなよ、というメッセージであることは想像に難くないが)
みんな、、、やさしいっす。
何をどう記すのがよいのかもわからないまま、自分はホテルに引き籠もり、つらつら書いたが、言いたいことはそれぐらい。
感染したあの人達は十分に立派だし、それをきちんと気遣いサポートできる人たちもとても立派です。
この何かしらの特異な状況で感じる気持ちを、僕なりの真空パックにして、残しておきます。
さて、検査に行く準備をします。
(以上)
よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。