秒針が痙攣するような日々にあって
奈良県の地元、いつも来る喫茶店がある。
「お好きな席へどうぞー」
促され、適当に2名掛けの席に座ると、目の前にカウンター席が見える。その横並びのカウンター5席は、ここでは常連のおっさんが座るようだ。
そこに4人並んだおっさん達は、40代後半から50代に差し掛かったぐらい。服装はバラバラだが、皆タバコを吸う。銘柄まではわからない。
僕の注文をとってくれたバイトの女の子が仕事を終え、カウンターの左端、最後の1席に座った。すると常連のおっさん連中は体の角度を傾けて、あれやこれや話しかける。
「女の子にいいもん食わしたるわ、言うて、最後にほな帰るわ、て言われるのが俺たちのパターンや」
おっさん連中が一緒に笑う。
こちらからは、女の子の表情は見えない。恐らくいつもの感じなのだろう。深いエンジ色のネイルが目に入る。その右手に彼女もタバコを吸う。銘柄まではわからない。
さて、一日一恥。
まさまさのターンです。
時間の流れが、ズレ始める30歳
30歳を前後する頃、「あれっ」と気付くことが出てきた。それは、複数のコミュニティが、見えない病気に侵されるように、同時進行で力を失っていったこと。
LINEグループが死んでゆく。
連絡網ないし掲示板の体をかろうじて残すものもあったが、それらを含めた多くが、似たようなタイミングで、同じように会話がなくなっていった。
発話をする人が次第に固定化されて、いつしかその人も、弾力の無さに心が離れたか口数が減り、やがて誰も喋らなくなる。そんなことが、同時多発的に起きた。
でも多分、きっとこれは、単純なこと。
それぞれの人生が、就職や結婚からの経過年数に応じて、より具体的に進展し、集中してゆく中で、付き合う人間も適時ほどかれて、その時その時で、より重要な誰かへと、新たに結び直されただけのことだろう。
そんな人生の変化は、優先順位の変化で、つまるところ、時間配分の変化であった。そうなれば、昔のままではいられないことも出てくる。
***
僕が友人代表としてスピーチをし、今や一児のパパになったアイツは、僕をランチに誘う。ランチでもどう?と言う。
(そんな小一時間の片手間で?)
曖昧な理由をつけ、僕はその申し出を断る。
今はちょっと調子が悪いとか、対人恐怖症になったとか、そんなに先の予定は読めないとか、なんだとか。
(時々会ってる、という事実だけなら、必要ない)
「限られた余った時間で対応する」ことが、彼の最大限の努力であること、わかっていても、僕はそれをかんたんに受け入れられない。
(ランチ、ランチて。しょうもない)
『お前は、みんなが中学上がってプレステして遊んでんのに、いつまでも「鬼ごっこやろうや!」て言うてんのと同じやぞ』
僕のそんな態度を、別の友人はこう評した。
『人は変わるもんやから、その時々で、同じ人間との付き合いも、変わっていくもんなんちゃうか』
そんなことを言うた。彼もまた今やちょっぴり訳ありの既婚者で、訳を知れるだけの苦い経験を踏まえて話してくれてるのだろう。
(でも、嫌なんよな。鬼ごっこおもろかったやん!て思ってまうから)
『お前は、、、難しい』
彼のセリフが、頭に残る。
時間はコトバ
時間はひとつのコトバではないかと思う。
時間の使い方は、コトバの使い方とよく似ていて、もしそれを共通に持てないならば、一緒に会話をすることさえも難しくなる。
「24~48時間以内に返事がないと、我慢できない」
1週間ほど前、旅先の台北で知り合って以来、断続的に連絡をしていた子からMessengerで届いたメッセージは長文で、批判的だった。
「キャッチボールである会話には、しかるべきテンポが必要です。私が投げたボールをキャッチして、断りもなく家に帰るのはやめて欲しい。せめて、勝手に帰る前に、次にいつ戻ってくるかを教えてくれないと待ちきれない。だから、あなたが返事に必要な時間を決めてくれる?」と言った。
(そういうことなら)
それを見た僕は、端的に要点を数行、箇条書きにして返した。情緒もムードもへったくれもない、死んだ文章を送りつけた。あなたの設定した、締切に間に合うことだけを目指した、最も効率のよい文章を送った。
「一番早い返事がこれです」
皮肉を込めつつ、明るく返信した。
僕にとって必要な、言われたことを反芻し、自分の身に置き換えて、理解が正しいかを質問しつつ、わからないところはわかるまで残して、、そんな風にコトバを紡いで返すには、締め切りのない「手紙の時間」が必要だった。
(こんなものに意味があると思う?)
『お前は、、、難しい』
メッセージを送った後、アイツのセリフが、少しリフレインした。
秒針が痙攣するような日々にあって
喫茶店。
僕の時間(人生)は、人の時間(人生)より遅い気がする。
まだ結婚はしてないし、定職にも就いてない。ついでに言うと家もない(実家はある)
そんな無職とフリーランスの間を、電池の切れかけた時計の秒針のように、痙攣したように過ごしている。
でも、そういうばかりでも仕方がないから。
9月のカフェの店員以来、ひとつ進んでいる話があって、今月にでも、またお仕事を受けるかもしれない。
今日そのお仕事先に、希望条件のメッセージを送った。
あたらしい「時間」に少し、おののきながら。
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午後8時半、店じまいの時間。
いつの間にか、常連客も皆帰り、僕一人になっていた。
電動自転車はスイスイと、僕を次のマクドに運んだ。
夜風が少し肌寒い。
(以上)
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