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知らざぁ言って聞かせやしょう
気付けば年の瀬、クリスマス。
飛ぶように過ぎる日々にあっても、その刹那、刹那に切れ目なく、触れては刺激を受けるあれやこれやの嵐の中、飛ぶように時は過ぎ去って
気付けば年の瀬、クリスマス。
人間は、昔より長生きするようになったけど、今の新たな刺激の応酬を前にしては、一つのことを楽しめる時間は、うっかり短くもなるのだろう。
さもありなん、が、であればこそ。
簡単にはなくならないもの、変わらないものは何かと考えてみれば、それは多分、一つの偶然的な、人智のControlを越えた、人々のすれ違いが紡ぐ物語ではなかろうか。
今日の午後、コインランドリーで1週間分ぐらいの洗濯物を回している間、ナカチェン(Nakacsen)というカフェにお邪魔した。
中なんとかさんと、チェンなんとかさんとから命名されたそのお店は、東京は新高円寺の都道沿いにある。
***
二人は最初 ”文章で出会った” と聞いた。
何年前のことかは定かではないが、二人はそれぞれ、アメブロでブログを書いていた。当時、日本人のカフェ店員と、ハンガリー人の留学生であった。コメントをしたのが最初で、、、と。そんな出会いが、世の中に、目の前にあるという。
そう言えば、このnoteという媒体にも、何かしらのリアルな交流の場があるらしいことを目にもするし、噂にも聞く。でも、もっと直接的に、もっと確実なものは、今この瞬間にも目前をさらりと通り過ぎる、見えないあなたに違いない。
僕の文章に、たとえば、それだけの十分な品と艶と愛嬌があれば、或いはそんなこともあるのかしらん。大東京。物書きドリーム。エド・シーラン。
最初にブログ上の文章として出会った二人は、今は夫婦でカフェを経営している。
そんなクリスマスに似つかわしい、夢のある話を聞いた。
時を戻そう
記憶の中で、一番寿命が長いものは何か。
思い出の中、やはり付き合った「人間自体」のことは、それほど忘れない。父よ、母よ。細かな会話のひとつひとつは忘れても、あの人この人その本人を、そうは忘れはしないだろう。
では残る記憶に、思い出されるのは、何か。
僕はまず、立ち上がる雰囲気を思い出す。その人が纏うムードのようなものがまずあるように思う。
もう少し気を傾けると、同瞬、その名は像を為して、顔が浮かぶ。その表情や姿勢が視える。じゃあ顔を知らない人は?
おお不思議。アイコンが浮かぶ。アイコンって自分が思ってるより大事なのかもしれない。
さて次は、何だろう。その浮かんだイメージは、何かを喋るだろうか。その人の名刺代わりの名セリフか、パンチラインか、ダジャレもあるか。
いや、具体的なコトバよりは、やはり先のムードが雄弁なままである。
優しい、強い、面白い、面白い風。
明るい、暗い、楽しい、楽しい風。
そんな、その人らしいムードこそが、簡単には忘れ得ぬ、思い出である。
***
偶然に導かれた、人智を超えた、すれ違い。
それは日々の瞬間に無数にあって、たとえば仮に、日々触れる文章だけをとってみても、誰かの書いた文章読んだ時にも、自分が何かを書いた時にも、それは確実にあったと思う。
飛ぶように過ぐる日々を記憶に留めるは、その日その日の「誰かとのすれ違い」をなるべく濃ゆく持てるかどうかにかかっていたのだろう。
それをどれほどきちんと、捉えられていたろうか。
ナカチェンの若き店主は、ハンガリー人の彼女(現奥さん)が書く日本語の中にある、見た目やリズム、に惹かれたと話してくれた。
翻ってどうか。あんまり上手に出来なかったか。
この「一日一恥」のマガジンでこれまで26本。
いいや、これから何が出来るかだろう。
そうね。まずは自己紹介。
どうもお世話になります、まさまさです。
知らざぁ言って聞かせやしょう。
(以上)
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