10分後の世界
とりあえず、まずは3回。自然の流れで行くこと。間違っても、時期尚早のタイミングでグイグイ押すことのないように。気持ち悪いで。絶対やめや。
友人の助言に粛々と従った、2020年の夏。最初に感じたトキメキは、未だにしぶとく生きていて、何かしらのアクションを要求しているように感じた。
出会いは夏の日。少しだけ言葉を交わして、いいなと思った。アイスコーヒーの氷がカラリと音を立てるように、ふっと心に触れて、そのまま残った。
揺れる枝葉に透ける黄緑。遠雷あって震える夜空。自然はいつも似つかわしくて無理がない。彼女にもそんな自然体の華があった。そして全てはマスク越しの印象で、淡いイスラミストの恋だった。
あとは結末まで。届くかどうか。
***
最初に会った場所は、上高地行きのバスターミナルで、つまりは、上高地に行きたい人が集まる場所である。彼女はある日、そこで働いていた。
その印象がとても良かったことを友人に話すと、かくの如くの助言を得た。
とりあえず、まずは3回。自然の流れで行くこと。
さて、自然の流れ。念じてターミナルへ向かう2打席目、あえなく空振り。現実はそれほど甘くない。上高地をひとり楽しむ。
何の、自然の流れ。念じてターミナルへ向かう3打席目、あえなく空振り。現実が全然甘くない。川沿いの遊歩道を歩いていたら、向こうから猿の群れが歩いてきた。一匹づつすれ違う時に一瞬目が合うドキドキは、表参道で女の子とすれ違うそれとよく似ている気がした。上高地をひとり楽しむ。
自然の流れ、無理かも。期待せずに向かったターミナル4打席目。
この日は、最初から数えて一月半が経ったシルバーウィーク。残暑の厳しい東京から再び遊びに来てくれた友人ファミリーを連れたアレンジで、ターミナルには時刻表ギリギリに到着した。
まずは皆を先に下ろし、うちの一人に全員分のチケットの購入を頼みつつ、駐車場の空きを探して車を停める。
この連休中のターミナルは、かつて見ぬほどの盛況で、人々はまだかまだかと列をなし、対するバスもこの日のためにトレーニングを積んできました、とばかりに通常ダイヤもかなぐり捨てて、乗客をせっせと運んでいた。
列の皆と合流して乗車時刻までの僅かの間、もしかして、と建物内を覗いてみたら、あっ、と2回目の邂逅をする。
2回目は会釈ぐらいちゃう。そこまで積極的な興味を示さないぐらいの方がむしろいいぐらいやと思う。
うっかり。相手も覚えていてくれたことに気を良くして、会釈を忘れて言葉が出る。繁忙の中でも変わらない涼しいようなムードが彼女にはある。
今から出発すること、もしかしてと思って覗いてみたこと、前回教えて貰った上高地散策のアドバイスがとても役に立ったことなどをさささっと言う。それじゃ行ってきます。何度も来てる上高地が楽しい。
再転、自然の流れ。念じてターミナルへ向かう5打席目。あえなく空振り。
そう簡単に会えるものではない。だんだん自分の期待をコントロールするのも上手になってくる。ちなみに、”敢えなく”と”会えなく”が掛かっている。
そうや。ジョギングを趣味にして、ターミナルを折り返し地点にしちゃえば「自然の流れ訪問数」を稼げるのではないか、という名案をひらめいたが、ひらめいただけ。実行されないアイデアに意味はない。
この日は上高地には行かず、なんちゃってみたいな顔をして帰る。
6度目の正直
3回目になったら、ようやくちょっと世間話とかあって、連絡先交換とかの流れちゃう。
お待たせ。
6打席目のターミナルは、一週間前の土曜日のこと。奥飛騨でワーケーションをやってみよう的な友人を迎えに行く流れで、わざと少し早く到着して時間を作り、ターミナルまで足を伸ばす。
友人の到着場所が、ここら一体の交通の拠点で、そこから山の中に開かれたターミナルまで、歩いて10分ほどの距離がある。温泉宿を抜け、橋を渡り、階段を登る。すると世界は急にアルプスの緑に包まれ、違う世界の入り口に来たような気持ちになる。
夏には、絵の具で塗ったようなしっとり感のある緑色だった木々も、今や水分が抜け、色が薄くなったように見える。最後の階段を登りつつ、コホンと咳払いをする。建物が目に入る。
何かあったっけ、と考えて。あっ、と思って立ち止まる。iPhoneのカメラを起動して自撮りに切り替え、簡単に自分の顔や全体的な見た目を点検する。まぁよしとする。いざ。
***
「すごい頻度で会いますね」
と言われて、そうですね、と返す。その言葉には、ネガティブな響きはなさそうに感じた。
ちなみにこっちは6回中の3回目やから50%か。と心の中で思う。いつもここではないんですか?と尋ねる。いつもここではないことは、残りの50%で知っているけれど。
あ、今日、明日、明後日のどこかで、友人を上高地に連れて行ってあげようかと思ってるんですけど、天気的にいつが良さそうですか、などと尋ねる。友人を迎えに来たついでの確認の流れを演出する。
お天気は月曜日が良さそう。紅葉的にはこれから見頃というところで、今後2週間ぐらいは持つのかなとのことだった。ほな今日はやめといて、友人とお天気と相談して決めます、と結論する。
・・・
「実は私来月で辞めることになって。ここも今日が最後なんです」
話が突然変わって、びっくりする。危ないとこやで!と答える。多分返答は間違っているんだろうけど、危ないところだったから。
「連絡先を教えて欲しいです!」
適切な間やタイミングではなかったに違いない。ただの反射。立ち話をする僕たちから少し離れて2人ほど登山好きそうな兄ちゃん達が座っていたことも思い出す。でももう言ってしまった。どうしようもない。
「ええ、全然」
一瞬の間を継いだセリフには、これまでの自然さからすれば、僅かの綻びがあるようにも感じられて、僕には解釈が難しい。
とりあえずは言葉通り、そのまま受け取ればOKってことかな、と安堵して、一旦は事態の安定を、会話の平常運転への切り替えが必要な気がした。ここは何がしかの理由を述べるべきところか。
えっと。
時々友人が遊びに来ること。折角来てくれた彼らに、観光ガイド的なこともしてあげたいが、必ずしも詳しくないこと。そんな折に、本職のアドバイスが貰えたらとても助かること。
100%の事実を述べる。こないだも、高山のリス園と平湯温泉のクマ牧場のどっちがいいのかわからなくって笑。そんな嘘のない言い訳を述べる。
「実際に動物と近くで触れ合えるのはリス園なので、子供とかがいるなら、リス園の方が楽しいかも」
ああ、そうなんですね。そっかー、リスかー。などと話す。
友人が歩いて10分の拠点の方に着いたと連絡が入る。悪いがちょっと待ってくれ。今ものすごい大事なリスの話をしてんねや。
そうこうする間も、彼女は通常業務を担っていて、お客さんの案内やバス発着の連絡などをする。その合間に雑談に応じてくれる。
ここのお仕事おやめになってから次はどうするんですか、と聞く。
「私、高山を出ようと思って。東京に行きます」
そんなセリフと展開に「僕は泣いちっち」という昭和歌謡が頭をめぐる。そっか。東京行くんですね。東京へは転職とかですか、など、差し出がましくも質問を重ねる。
「特に決まってはないんですけど、◯◯のところに行こうかと思って」
なんという、率直で間違いのない、ひとこと。
そっか、そっか。なるほど。それは素敵ですね。東京、いいところですよ。きっと楽しめるんじゃないかと思います。新しいステージ……いいですね!などと言う。
その可能性は考えてなかった。言われてみたら十分にありえる話だし、自分にばかり都合よく考えていたなと思った。そっかそっか。そりゃそうよね。なるほどなぁと思った。これで幕引きよ。No regret。
最後、そろそろ裏に引っ込んでしまいますけど、の一言に、あ、僕も友人を迎えに行かないと、など返して、名刺を渡す。これ、あのよかったら連絡を下さい。色々アドバイスとか、、頂けると助かります、と。
「またどこかで」
別れ際の彼女の最後の一言に、ぜひ!と答えて、ターミナルを後にする。旅の最後みたいだなと思った。
ほんの少し早歩きで、拠点へ向かう。階段を降りて、橋を渡り、温泉宿を抜ける。10分後の日常に戻る。
最終打席
もう残された打席はない。もう偶然も味方しない。十分に幸運に恵まれて、ここまでたどり着けた。
多分「今後に繋がる率」だけを考えたなら、このnoteも愚策かも知れない。何かの拍子で、渡した名刺からここにたどり着く可能性もないこともない。こともない。ちょっとだけある。と思う。多分。
その上でもし逆の立場だったら、これを読んだらちょっと引いてしまう気もする。でも一応このnoteを書ききるまでがすべて。これが最後の打席です。お目こぼしあれ。勝手ながら応援しています。
最後に我が身に問う。人事は尽くせたか。結末までは届いたか。
(以上)
写真:上高地、明神池
参考:守屋浩『僕はないちっち』
よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。