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四分六のいい加減

さて、水曜日は「リトルまさまさのこなくそ日記」です。
このマガジンでは、イマ・ココの思索の旅をテーマに、生煮えであろうと、ひょいひょいと可憐なアイディアを書いていきます。

こちら、定型文です。

本日は浅草の鳥貴族からお届けしています。浅草には鳥貴族が2店舗あり、「浅草店」より、今回の「浅草六区店」の方が綺麗です。

なお、この一人で鳥貴族に行くことを「一人貴族」と呼んでいます。どうぞご自由にお使い下さい。

さて今回は、割とシンプルにまとまる気がしている。助かった!長く書けばいいというもんじゃない。短くかつリッチに伝えるのが腕の見せ所である。

とやっていたハズが難航しました。もしアメリカの東海岸なら、木曜日が始まったところなので、言わば「ほぼ」水曜日中の終了ギリギリでの更新となりました。セフセフ!

さて、これまでの流れをまとめると、

先行きの見えない道をゆくのなら、計画的であるよりは、もっと探索的に、自転車操業で、牛歩に次ぐ牛歩でやっていこう。そんな未知先案内には、巨人の肩乗せ屋を味方につけて、戦略的な習慣でもって臨みたい。それでも焦る時にはフィボナッチ数列を眺めて、ごきげんを保つのさ。

こうなります。なんとも奇っ怪な文章である。今後、このマガジンを更新してゆくと、上記のこれまでの流れの説明パートは「寿限無」みたいになるのかもしれない。一応、文章としてまとめるとこうなるよ、ということですが、今回の内容には特に触らないので、細かいことはお気になさるな!

もしご興味があれば、前回のnoteをご覧あれ!(ご無理のなきよう)

では行きましょう。今回は題して、四分六(シブロク)のいい加減です。

「ちょうどいい」割合、シブロク

実家で親父と晩酌すると、時々「焼酎の水割りを作ってくれ」と頼まれる。おうわかった。と答えつつ、わからないことがある。

それは焼酎と水の割合である。どれぐらいの濃さがええんやっけ?

親父は「シブロクにしてくれるか」と答える。呑兵衛の方はご存知だろう。焼酎が4で水が6の、4:6の比率のことを、四分六(シブロク)と言うようだ。これが一番うまいんや、と。恐らく一般的な水割りよりは「ちょい」濃い目ぐらいではなかろうか。

確かに10:0のストレートは濃すぎて美味しく飲めないし、0:10では水になる。その間のどこかに、その人にベストな「いい加減」がある。

はて、これはどこかで。。。

「拗らせ」の定義、その他

俗に言う「拗(こじ)らせる」という現象にも、同じことが言えそうだ。

「人生がわかるのは逆境の時よ」というココ・シャネルの名言を引用せずとも、いい時は、いい。いい時は、いいんです。特に何かを変えるという必要もない。基本的にそのまま進めばよいので「価値観の再構築」は必要ない。イケイケどんどん、ガンガンいこうぜの一択になる。

一方、何だかこのままではどうもダメそうで、今まで抱きしめてた価値観や考え方を一部手放してでも、変化を取らざるを得なくなるのは、うまくいってない時であろう。困難と戸惑いの季節であり、怪我中のリハビリ期間であり、もう一個なにかひねり出せたことにする。

そしてそんな風に「何かがうまくいってない」と感じられる時には、その状況に対し、2つの対照的な態度がある。

①「自分は悪くない(相手/状況が良くない)」と他者の責任にする
②「自分が悪い(相手/状況のせいではない)」と自分の責任にする

情緒の落ち着いている時、人は大体この間のバランスを取るはずだ。なぜなら、ストレートの焼酎よりも、ただの水よりも、「水割りが美味しい」ことを経験的に知っているからだ。もちろん、比喩として。

「拗らせる」という状況は、このバランスが崩れてしまい、片一方にぐっと偏っていることではないかと思う。

前者であれば、屁理屈こねての自己正当化の強弁であったり、後者であれば、どうせ全部僕が私がという卑屈中の卑屈であったりしようか。もちろん「芸風としてはアリ」だが、そこが「最も確からしい(真実に近い)」とは考えづらい。

個人的には「どうしようもなく極端に振り切ってしまう」のは、ある種の個性であり、才能であり、大事にすべき芸風だと思う。それはもちろんアリなのだけれど「最も真実に近いっぽい」ところからはズレてしまうだろう、というだけのお話である。

例を引きましょう。

「どうしてアナタは彼女がいないの?できないの?」と聞かれたとしよう。

この時の答えとして、
①解答例:正直、いいと思えるハードルを越えてくる人がおらんのよね
②解答例:僕みたいなもんを好きになるとか、飼い犬が限界でしょ

こんなことを真面目に言い出したなら、なかなかのこじれっぷり。アナタはどちら側に近いだろうか。彼女がいない設定で申し訳ないけれど、あくまでも、比喩として。

なお、少ないサンプルではあるが、ある程度の性差として、男性ほど前者に、女性ほど後者に偏る印象がある。これは、「モラハラ男とメンヘラ女の共依存が散見される」ことからも、説明がつくかなと思いつつ、本題から逸れるので深くは言及しない。

そして、この「拗らせ」が「作られる過程」に目をやれば、そこには「ある集団の平均的な振る舞いからのズレに対する説明」を(主に他者から)過度に執拗に求められた時に、傷つきやすいマイ・ハートを守るための自己防衛的な態度が、硬直化した結果でないかと思う。

自己弁護で戦ううちに、自己正当化が重なり「濃くなりすぎた」か、もう面倒だから、私が駄目ってことでいいやとやってるうちに、自己否定が重なり「薄くなりすぎた」か、ということではなかろうか。

ということで、今回の仮説は「最もいい感じの現状把握は、他責と自責の、シブロクあたりにあるんじゃないかと睨みましたよ」ということだ。

続きは色んなバランスに対し、その偏りの割合を示した上で、シブロクを当てはめて遊ぶ、というお箸休めのコーナーとなっております

閑話休題~バランス遊び~

東京喰種(トーキョーグール)に出てくる、金木(カネキ)が言うこの有名なセリフを紹介しましょう

「この世の不利益はすべて当人の能力不足」

なんと気持ちいいキレと響き。ストロングスタイル、強者の理論である。その割合は、①他責:②自責=0:10の世界観である。全ては自分次第。弱いのが悪い。お前が悪い。

でも最終的に、このセリフを抱きしめていた、登場人物の瓜江(ウリエ)は、逆のことを言う。

「一人でできることなんて何もない。仲間や周りの人間、周囲の環境が合わさって結果を作る。」

少し「責任」の発想からは飛躍があるので拡張すると、物事の結果は、①他責/他者のおかげ:②自責/自分の能力=10:0の世界観。

ここにシブロクを持ち込もう。足して2で割りつつ、若干カネキに寄せる

「一人でできることには限界がある。仲間や周りの人間、周囲の環境なしに結果を求めることは難しい。でもそのうまくいかない理由を、周囲や環境のせいにしても仕方がない。自身の能力不足を見つめないといけない。」

ちょうどいいですかね。箸休めは以上です。

なぜシブロクが「おいしい」のか?

これには明快な理由がある。2つある。

1.) 聞いてられる
2.) オーディエンスを味方につけられる(かも)

というのがそれである。

例によって、先程の「どうしてアナタは彼女がいないの?できないの?」に対するシブロクの答えを考えてみよう。

いやー、「確かに昔と比べて出会いがいくらか減ってきたなーというのはあるんです。たまに素敵だなと思う人と出会っても、既婚者だったりすることも増えましたし、ただやっぱり、僕が最近仕事以外の新しいことに、億劫になってたのが駄目だったなって思います。いつ恋愛が始まってもいいように普段の見た目に気を遣ったりだとか、一人で鳥貴族にばっかり行ってないで、ランチのおいしいお店を開拓したりだとか、そんな日頃の行いがちょっとづつ足りてなかったですかね(今後がんばります)」

どうですか、聞いてられますか?

①他責くん:正直、いいと思えるハードルを越えてくる人がおらんのよね
②自責くん:僕みたいなもんを好きになるとか、飼い犬が限界でしょ

と比べれば、ずっとフェアで、「真面目に」聞く耳を持てる気がする。

うーん、どうも②は嫌いになれない。でもやっぱり、始終この感じやったらしんどいか。「そんなことないって」の引き出しが空になり、「そうかもな」の引き出しが開いてしまう。

さて、ここで聞いている人が、翌月、合コンの幹事をする予定になっていたとしましょうか。どんなヤツを誘いたいだろうか。

①はうざい。②もちょっと心配。うまくいけば、いいかもしれへんないが、ちょっと心配。シブロクは?あら、こいつ、なかなかいいじゃない。なんとなく手助け、応援したくなるような、ならないような。

さて、最後はあちらに統合して締めます

オフロ理論が進みます

「いい加減」といえば、お風呂なので、そのあたりを、どうこれまでの考え方に統合していけるかを考えて、幕とします。

ちなみに「オフロ理論」とは、OFROの頭文字をとった、何かしらを向上させてゆくサイクルがあるんじゃない、という奇説のことです。

Output:まずはアウトプットをして
Feedback:
- ①自己発見:既知のラインを「お手本」に学び、自力検証
- ②他者評価:他力によるありがたい指摘(巨人の肩乗せ屋も探す)
Restructuring:フィードバックを元に、自らをシブロクで再構築し
Opportunity:次なる機会を獲得し、(上に戻る)

フェアな状況把握が、フィードバックをどう取り入れるか、に効いてくる。きちんと受け止めるけれど、100%鵜呑みにもしない、そんな「いい加減」が再構築には必要になるのだろう。といったところでしょうか。

おあとがよろしいようで。

(以上)

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Masato | まさまさ牛歩の旅
よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。