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子育て・美容・ペット業界には、終わりもなければ正解もないが、そこに痺れる憧れる

わけのわからないタイトルで失礼します。今回は勢い任せに、30分で仕上げてみるというタイムトライアル。思いついた瞬間書かないと間に合わない。一応ゴールまでの道筋は見えているハズ。では行きましょう。

結果、二時間半ぐらいかかりました。遅筆です。

請われるままに、舞いこそすれども

きっと人は、己の選択と結果を振り返る生き物で、「どういう時に、どんな選択をしたことが、どういった結果に繋がったか」をデータとして蓄積し、なるべくよい人生になるよう、途方もない繰り返しの中で学習を繰り返す。そうプログラムされて、これまで万年単位の時間をDNAレベルで生き延びてきた。そんな生命体ではなかろうか。

自分の、共同体の、社会の、経験から学ぶこと

本を読む、ニュースを見る、人と話す、メシを食う、自然に浸る、何をするにつけても、そんな行為のあちらこちらに生へのフィードバックが働いて、それを「意味」として捉えているような気がする。

この「意味」というのが、なかなか乙なもんで、まさにその「意味」がわかっているようで、わからない。即効性のものもあれば遅効性のものもある。何かに良いと思ったものが他方で悪かったりもする。或いは、そこから何をどう学んでよいのかわからないような、そんな経験の全部が深い森の腐葉土のように堆積して、その後の人生の土壌になることもあったりもしそうだ。何せ計算は立たない。全ては解釈次第でもある。

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格好の例が「子育て」ではなかろうか。

例えば、将来のために知育をと、我が子にアレやコレやを習わせて、おもちゃを沢山買い与え、旅行にも連れて行って、子供の成長にとって何かしらのよい刺激となりますように。これらの行為を(A)とする。

他方(A)をしない分、その空いた時間で子供をひたすら自由に遊ばせる。この行為を(B)とする。この両者のどちらがより「よい結果」に繋がるかなんてのも、わからない。

(A)を経た方が、例えば「ピアノがひける」子にはなるかもしれないが、(B)を経た方が、遊びの根幹となる「想像力がより鍛えられる」かもしれない。正解はない。そして(A)を選べば(B)は選べず、(B)を選べば(A)を選べない。比較検証は出来ない。

仮にこれがいいらしい、という定説があったとしても、そもそもの遺伝的な性格などの個体差もあるから、どこぞの他の子供でうまくいった話が、我が子にもハマるとは限らないわけで、あてになるやら、ならないのやら。

結果的に全ては、知識と経験と運と直感の即興で進んでいくしかない。自分の経験、仕入れた情報、偶発的な出会い、なんとなくの直感で、子育てにまつわるありとあらゆる意思決定がなされてゆく。

なるべく我が子が元気にすくすく育つために、何かしてやれることはあるかしら。答えなどわからずとも何もしないよりはよいのかな。良きに計らう。とりあえずやってみるか。合わなければ合わないで、と。

その行為を振り返ってみたとて、それをしたから良かったのか、やらなくても変わらなかったのか検証は出来ない。効果(パフォーマンス)の丈が測れないところに、コスパの出しゃばる余地はない。そういうもの。

以上、①効果不明枠「子育て」でありました。

次に、コスパの追いつかない領域としては、美容業界も外せない。

化粧水の原価が何%か気にしている人はどれぐらいいるのだろうか?

例えば、食事なら。他には、あまり複雑でない手工芸品とかも。自分で作り得るものに関しては、なんとなく原材料費を計算してしまう自分がいる。

それらの食べ物や、プロダクトの便益を考えて「これでこの金額かー」と。それを高いと思うか、値ごろと思うか。そんな価値と価格を天秤にかけた「レビュー」が差し挟まれる余地がある。

他方、美容品の最終的なプロダクトが何かと問われれば、それは最早商品を越えた、使用者本人なのだろう。少し肌ツヤが良い気がする私。この効果に対する値打ちはいくらだと思えばいいのか。つまり最終的なプロダクトが私自身だとするのなら、その便益に天井はない。

主成分の水に、原材料として何を足せば、数万円もする化粧水になるのか。それは、自分をいいなと思える自意識の素である。それを考えれば、美容のコストは高ければ高い方がいいのかもしれない。自分が自分のことをより好きになれること。この無限の価値よ。これが②効果無限枠「美容」です。いいですね。

そして最後に登場するのは、ペットである。

ペットはかぞく?

最後になったがペットはすごい。服を着せるあたりから始まり、トリミングから温浴やマッサージなどは当然のこと、ペット用のマッチングアプリすらあるんじゃなかろうか。さすがにないか。

あくまで「家族」であるから、人が喜びうるものは、全て適用対象になる。残飯やって1日に1回散歩させたら、とっても幸せなんてのは、おそらくは昔の価値観だったのだろう。すまないビル(享年17歳)

そして何より、ハッキリ喋らないペットの態度(パフォーマンス評価)は、飼い主の解釈にほぼ委ねられる。

「気持ちよかったの~。かわいくなって嬉しいの~。そうなのそうなの~。よかったね~。楽しかったね~。また行こうね~。いい子いい子~。」である。他意はない。

この解釈を持って、飼い主は自ら注いだお金や愛情を、ペットのリアクションの「かわいさ」などで回収する。何かをしてやれば基本的にペットは文句を言わず、歴史的な生存戦略に支えられた「従順さ」などをリアクションする。それらを通じて、飼い主側は「相思相愛の繋がり」を感じたりもする。

誰かを必要とし、誰かに必要とされる実感。裏切られない承認欲求。この無限の価値。その家族が本当のところどう感じているかは分からずとも「態度で分かる」と。以上。これが③効果不明&効果無限枠「ペット」である。

まとめるとざっくり以下の3種類は、コスパが測れない。コストに対応するパフォーマンスが計測不能ないし青天井、或いはその両方である。

①効果不明枠 子育て(知育)
②効果無限枠 美容
③効果不明&無限枠 ペット

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ハッキリとした値付けの出来ない正解やキリのない領域。正解もない代わりに、明らかなミスもない。「生きるための基礎的なニーズ」ではなく「プラスアルファ」を求める人に対し、その人なりの喜びや幸せを交換する市場。総称して「ハッピー産業」と呼んでいる。

僕はこの「ハッピー産業」が好きで「旅」もここに入ると思っている。相場のない舞台に立ち、魂の言語であるダンスを踊る。ここまで読めたオーディエンスにぺこりとお辞儀をしておしまい。

(以上)

写真:新穂高ロープウェイ 西穂高口 2020年10月

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。