こうなりゃ来世でも謝るか
結論から言えば、僕が悪い。それ以上でも、以下でもない。
旅の途中で一目惚れした。それはそれは、いい偶然だった。旅が終わっても断続的にやりとりが続く。これもよかった。そして時は満ちた。
最後の仕上げに、も一度その子に会いに行った。
そこでいい流れは崩れ去った。結果はざんない「すれ違い」。
あの日のトキメキを抱きしめて、待ちに待った逢瀬のハズが、何が起きたのか揺らぐ確信。まさかの勘違い。何故かもわからず心は動かなかった。
戸惑いながらの悪手、否、キスまでして確かめた。それでも蘇らない。返ってこない熱情。ああ、なんてこと。好きではなかった。どうして。
なんと迷惑な話だろう。
一方の彼女は、どうやら好いてくれていたようだった。意味のない幸運よ。帰国後も、話はもつれる。彼女が占めるハズであった僕の心の「好きな人」のスペースは「重要な人」のそれにラベルを変えたが、好きや否やの態度は曖昧になり、僕の口は鈍くなった。
・・・
繊細なる彼女は、そんなやりとりの中での僕の軽率なる振る舞いや言葉に、ひとつづつ傷ついた。それらに対して、いかに僕に責任感がないか責めた。
「僕が悪かったです」
そう答えた。その後いくらかの意思確認なり、僕の反省の弁やら、今後の方向性についての議論もありつつ、謝罪は受け入れられ、しばらく時が経つ。
何かの発端で、同じ話が始まる。
「その節はすみませんでした。僕が悪かったです」
また何かの拍子にぶり返す。
「僕が悪かったです」
言葉はいつも足りておらず、会話のテンポやリズムも、彼女にとって快適なものではなかったのだろうと思う。そういうことが度々あった。
そして彼女はいなくなった。電子のカーテンの向こうに消えた。
いわゆる、ブロックであった。
***
ある日、ブロックされたことに気づいたのは、届いていたメッセージに返信ができなかったからである。昔の過ちの周辺の記憶がFlash backする。
責任(Responsibility)には、Respond(応答する)が、その意味の下敷きになっているのは、興味深いと思いませんか?
彼女がかねてより、時空を超えて責め続けるのは、僕の「返信が遅い問題」がひとつある。彼女にとって誠実さや相手へのリスペクトは、応答時間の早さに集約される。
「またやってしまった!」と思ったが、もうどうすることも出来なかった。今回ばかりはどうしようもない。
電子のカーテンの向こう側に消えた彼女は、細かい個人情報を知らない僕からすれば、急に人生自体からも消えてしまったようだった。
最早、残された可能性があるとすれば、山崎まさよしが歌うように”One more chance”と街を徘徊するぐらいであり、僕にはもう、その情熱も残っていなかった。確か現住所、パリやし。
もう、どうしようもないんやな。
残念に思ったとしても、もう手も足も出ない。仕方ない。
そして、忘れた。
***
そんな風に、一度途切れた連絡が、復活したのは先週のこと。
不意に向こうからメッセージが届いた。
突然のことだったが「なぜ?」には触れずに、久しぶり~の感じで、互いの近況の差分アップデートだとかをする。いつかの楽しげな雰囲気さえ漂う。いやぁよかった。。。
と思っていたのも束の間。
全く何の脈絡もないように(少なくとも僕からは)感じられるところから、ターンテーブルきゅるきゅる。歴史が繰り返される。
ハイド氏の登場である。
ジキル博士を返せー。
ハイド氏は僕の昔の過ちを事細かにあげつらう。あの日、あの時、なぜ君はこういうことをしたのか、言ったのか。何という記憶力なのだろう。でも、その記憶の鮮明さが、傷の深さを物語る。
記憶の中で、何回も何回も繰り返し再生して、
再生するたびに傷ついたのだろう。
傷つけられた人が声を上げる。僕は詫びる。その詫びに対して、許しを与えるかどうかは、傷つけられた側のジャッジである。傷が消えていないなら、何度でも責めうるし、その度に僕の過ちも復活する。何度でも。
「重ね重ね、僕が悪かったと思っています」
怒りの気炎冷めやらぬ彼女は、なぜまた久しぶりにまたメッセージをしようと思ったかを述べた。つらつらと。
Still, thank you for everything.
Goodbye.
で締められたメッセージに、僕は固まって、またしても返事が出来ない。
(以上)