巨人の肩乗せ屋を探せ
さて、水曜日は「リトルまさまさのこなくそ日記」です。
このマガジンでは、イマ・ココの思索の旅をテーマに、生煮えであろうと、ひょいひょいと可憐なアイディアを書いていきます。
こちら、定型文です
もはや、水曜日でもなんでもないように見えますが、アメリカ東海岸なら、まだ木曜日が始業したとこなので、ギリギリセーフということにして、と。
これまでの流れをまとめると、
先行きの見えない道をゆくのなら、計画的であるよりは、もっと探索的に、自転車操業的な感じで、牛歩に次ぐ牛歩でやっていこう。そしてごきげんを保つのさ。それでも焦る時には、フィボナッチ。
こうなります。最後の一文が初見で意味不明なのが心苦しいけれど、内容はシンプル。わかりやすい「変化」ってもんはすぐには出ないのが自然であり、新しい小さなことがひとつひとつ積み上がった結果、とあるタイミングからようやく目に見えて立ち上がってくるものだろう。そんな「変化の骨格」を、フィボナッチ数列(1,1,2,3,5,8,13,21,34...)に眺めて、リラックスしようやないかと。特に最初のうちは、ノーサインでもグッドサインだと信じようやないかと。そんなところである。
もしご興味があれば、前回のnoteをご参照あれ!(ご無理のないように)
継続は力なり(巨人の肩乗り編)
「継続される情熱こそが、才能である」とは羽生善治の名台詞であるが、前回からの流れを汲みつつ、今回の論点は、この新しいひとつを積み上げる「継続」に関する検討になってしまった。
非常に難航しました。うっかりしていました。
やる前から当たりをつけるのもズルいのだが、この検討の大筋の着地点は「習慣」になりそうだと睨んでいる。習慣は強い。良い習慣ができれば意志やエネルギーの消費を少なくして、望ましい行為を積み重ねることが出来る。大変「コスパの良いやり方」である。
ただし、この「習慣の効用」を得るための一番の難題は、とりもなおさず、その何かしらの行為が習慣化されるまでの道のりが、必ずしも易しくないことな訳だが、その打開策として謳われているものの中では「ハートの強さを前提としないアプローチ」が個人的にはイケてる感じがする。「揺れる想い」ではなく「仕組み」に頼ると。その仕組みに乗って淡々とやると。
「確固たる志である」という意見もあるかもしれない。頭が下がります。
上記の様な「意志やモチベーションに頼らない」具体的なアプローチの一つが「小さな習慣」であり、この習慣化したい行動のかたまりを、限りなく小さくして、そのとてもじゃないけど簡単すぎて失敗できないことを続ける、100戦100勝する、というやり方である。
例えば、習慣の定番テーマ「ダイエットのためのエクササイズ」であれば、「週に3回ジムに通う」ではなく「毎日スクワット1回」を目標にして続けることを奨励する。これなら「よしやるか!」と気合いを出すこともなく、思ったと同時に終わって、毎回、目標達成できる。(実際には、慣性の法則が働くため、2回目以降のスクワットも続けてしまうことが多くなる)
そして、この「毎回、目標達成出来る」ことが自分の意識に魔法をかけて、もっとやろうというポジティブなサイクルを生み出し、立ち止まらずに進み続ける推進力を与える。とまあざっくり言うとこういうことらしい。
※補遺
・この習慣化したい行動は、何かしら望ましいこと「ポジティブなこと」でないと効果が限定される模様
・目標以上(スクワット2回以上)やってしまう効果は見込まれるものの、そこでうっかり目標を大きくしないことが大事。「バカバカしいほど簡単」だと自分が感じているサイズが適正サイズとのこと
(参考)『小さな習慣』より
これはとても面白いし、いい方法に感じる。自分の頭で考えていないものは出来が良くていい。ついでに言うと、わかりやすくて、説明もしやすい。何だかとても羨ましい。だがしかし、ここはリトルまさまさのこなくそ日記。可憐な生煮えアイディアでこそ勝負したい。
なるほど「何かを習慣化し、小さなステップを積み重ねていくことで、自分の出来る範囲を拡張してゆく」か。
わかる。君は強い。多分それが正着手であろうとは思う。でも何だろうか、その正しさの裏で、何かを忘れているような感覚がある。それだけじゃないのではなかろうか感。
ああ、そうか。
「それって、ほんまにワシがやらにゃあかんかえ?」
これだ。「生産性とは適材適所、課題と得意のマッチング問題」でもある。一人で生きられる世の中でもないのなら、相対的に得意なところに集中し、アウトプットの価値交換をした方が、全体的な生産高は多くなる。その方がみんなハッピーで豊かになれそうな気もする。
ああ、今回はちょっと悲しい話になってしまいそうな気配。
でも多分、ここが踏ん張りどころ。
さて、始まりました。アイディアの生煮えひょいひょいです。
何を「習慣」にすべきか
習慣とは「ほぼノーコストで繰り返される一連のパターン化された行動」と定義してみる。
良い習慣もあれば、悪い習慣もあるだろうが、その良し悪しはここでは議論の対象としない。何をもって良いとするかは、その人次第としよう。
この習慣の特長としては、繰り返しによる強化が起こるため、その領分において非常に「練度が高くなる≒得意になる」ことが挙げられる。3歳から毎日ピアノを弾く人みたいなもんである。桁外れにうまいに違いない。
ここに仮説を提示しよう。
「新しい習慣」として意味のある領域は、もはやそれほど多くない。
まずは以下2点の前提を検討したい。
①自分にとっての「好きなこと」の一部は、既に習慣化されている
②自分にとっての「新しい習慣」も、誰かにとっては既に習慣化された「好きなこと」である可能性がある。
つまり理想的には、「まだ習慣化されていない、自分の好きなことで、かつ誰かと大きく被らないもの」が(おどれがやったったらええんちゃうか)という、深堀りが楽しみなエリアになる。一方それ以外は、習慣化する意味合いが薄い。獲得コストに対する実入りは少ないのではないかと思う。
マップにして見てみる。
「新しい習慣」の領域マッピング
①好きなだけ
ここは美しい。その行為をすると自分が喜びを感じることがわかったので、今までやってきてなかったけれど、もっとやってみたいんです。もちろん、結果だけなら、昔からやってきたような、うまい人も大勢あるでしょうが、人と比べてどうということはありません。ああ、こういう人になりたい。そういう動機で、新たな習慣を持ちたい。
でももし、「好き」の度合いが下がってきて、結果がより気になるのなら、アウトソースした方が良いものが手に入るエリアでもある。僕で言うと、最近イラストが書きたいのだけれど、ただ「良いイラスト」が欲しいのなら、ビジュアライズする習慣を身につけるより、そういうのが好きな人にコンセプトを伝えてお願いした方が簡単に良いものが手に入るだろう。
②致し方なし
ここは自分でやらざるを得ないこと。別に好きじゃないけど、代替手段もないし、なるべく上手に出来るようになりたいぜ、と。
電車通勤、事務処理系一般、食事制限なども含まれるか。新しい習慣を取り入れた、と言えるものかはわからない。仮に出来たとしても、自分的に「どうでもいい習慣」になりそうだ。新宿駅では前から何両目に乗ると、小田急への乗り換えがスムーズだ、とか。
③ここ掘れワンワン
ここが至高であり、一番のLuxuryと言っても過言ではなく、ここ以外「新しい習慣」にしなくてもいいんじゃないかと思う領域。「好きで、自分しか出来ず、まだ習慣化されていない」ものたち。
例えば、それぞれを好きな場合に限りであるが、
・運動全般(体調管理をしたり)
・子育て(新しくパパになったり)
・アート関連(感性を磨いたり)
・読み書き関連(自己理解や表現を考えたり)
・ミートアップ関連(人と会ったり)
・マイナー趣味関連(人生の奥行きを見つめたり)
あたりが思いつくところ。
この領域は、今後の習慣化による「練度の伸びしろ≒上達」が期待出来て、かつ、未開の可能性の荒野でもある。その結果「何が出るか」はわからないし、すぐには効果は出ないかもしれないが、少なくとも、自分が好きなことが上達するのなら損はない。そういう領域になるだろう。
※危険 OBゾーン
好き嫌いのY軸は、主観の問題なので、人によっては逆にもなる。つまり、自分は苦手だが、他に好きでとても得意な人もいるこの領域を、自分の新しい習慣に取り入れるのはちょっとどうかと。僕にとっては、漬物の糠床作り、などが挙げられるのではなかろうか。
巨人の肩乗せ屋を見つける
前章が長くなったので、一旦まとめると、
・習慣は強い(コスパが良い)
・習慣化には、小さなステップを継続するアプローチが効果的そう
・ただし、新たに習慣化する対象は、多少ヒネって考えたい。主観と客観。好き嫌いと差別化などの観点からも評価したい。
これだけのことだ。どエラく当たり前だ。そんな風に、習慣の力で持って、「新しいひとつ」を積み重ねる。それで少しづつ、新しい領域へと伸長してゆける(と信じることが大事そう)というのが現状のところ。
ただ、この自分にとって切り拓いた気がする「新しい領域」が「そんなん前から言われてるやんか」となるのが、次なる心配の種である。
上で「自分しか出来ない」と書いてみたものの、人のやることは何事にも、(前に考えた人という意味で)先行研究や下敷きがあるらしい。僕の課題である「自分なり」のリミッターは、単純に知らないという理由で、歴史が解決済みの課題に苦しみ、へなちょこな車輪を再発明する傾向がある気がする。どうもこの「色々調べる」という行為が苦手である。はっきり言うて面倒くさいのだ。何をどこまで調べていいのか終わりも見えんし、もう適当に自分で考えてみるか!となりがちだ。
そんなことを前職の後輩と話したら、
「そういう時は、その分野に明るい人に聞くのが早いですよ」と言った。
その領域の「既知のライン」がどこにあるのかは、中の人にとっては、見知った土地を説明するように簡単なことみたいで、誰のあの本、誰のこの本と概形を与えてくれますよ、とのことだった。
ああ、賢い。なるほど、そうか。
オフロ理論も改良してみる。
Output:まずはアウトプットをして
Feedback:
- ①自己発見:既知のラインを「お手本」に学び、自力検証
- ②他者評価:他力によるありがたい指摘(巨人の肩乗せ屋も探す)
Restructuring:そのフィードバックを元に、自らを再構築し、
Opportunity:次なる機会を獲得し、(上に戻る)
上記、フィードバック②の他者評価に、その分野の中の人を含めちゃおう。そんな「巨人の肩乗せ屋」を捕まえて、直の指摘を貰うもよし、①の自己発見に役立つような、あの人のこの本、この人のあの本と「お手本」を教えて貰うもよし、というところだろう。
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さて、週1更新でもフラフラの様相を呈しているけれど、次回はもう少し、上手に書けますように。
(以上)