Guda11 2024年・個人的10大ニュース その3 「冬を恐れた女」(マットスカダー・シリーズ第2作)(1976)再読
情報というのは、ある日突然やってくるものだ。
もちろん、日々アンテナを張っているからこそ拾えるのかもしれない。
朝日新聞の書評を読んでいたときだったか、あるいはそのついでだったか、Amazonでローレンス・ブロックの名前を検索してみた。
すると、なんと「マット・スカダー」シリーズの最終作がリリースされているではないか。
この最終作は、主人公マットが一人称で物語を語るという形式で、メタフィクション的な趣もあるという。
「これは紙の本で読みたい」と思い、早速注文。
少しずつ読み始めたが、数十年にわたるシリーズの締めくくりだと思うと、読む手が進むのがもったいなくて、残り数十ページのところでじらしている。
シリーズとの付き合いは長いが、登場人物やストーリーをすべて明確に覚えているわけではない。
それでも、「長年隣にいた人が、自分の口で自分のことを語ってくれる」という語り口には心が動かされる。
なんだか、自分の人生とも重なって、しみじみとしながら読み進めている。
1976年から2023年まで続いたこのシリーズも、ついに終焉を迎えた。
それを機に、最初の一冊『過去からの弔鐘』を再読することにした。
横浜旅行の飛行機の中で読み始めると、懐かしいマットの姿がそこにいた。
マットは、依頼者から受け取った報酬の10分の1を教会のミサで募金箱に入れる。「10分の1税」と自分に課している。
司法と宗教的な正義の間を歩く姿は、日本人の感覚とは相いれない部分もある。
そのギャップが生み出す怖さと、物語全体に漂う虚無感。
それでも彼は歩みを止めない。
静謐で力強い筆致に引き込まれる。
正月には、第二作『冬を恐れた女』を読み始めた。読み進める中で、終盤のマットの独白が胸に突き刺さる。
マットは依頼人の妻と寝る。
殺害シーンが詳細に記載されるわけではないが、小説の中で人はどんどん死んでゆき、静謐な筆致のなかには虚無のようなものさえ見え隠れしはじめ、
それでもマットは歩き続ける。自分の仕事をやり続ける。
その通りだ。
出会って別れて自分は進歩した気がする時だってある。でも本質は何も変わっていない。
我々はやっぱりその時の空気とかそんなもので踊っているだけなのかもしれない。
でもそれでいいじゃないかそう思う時だってある。わかんない。わかんない。
いつの時も、いくら歳をとっても。でも狡猾に小狡く立ち回る時もある。同じことが再び起こったときに同じ過ちを犯さない位の事はね。
でもそれと反して同じ過ちをもう一度犯そうと思うことだってある。
そして、いつの間にか季節は冬になっているのだった。