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新春 2018
一年の計は元旦にありと言うけれど、その伝でいうなら、今年は、肩の力を抜いてふわっと走り抜ける年になるのかもしれない。
年末に、挨拶を送りたい人々の顔を思い浮かべながらリストアップしたはよいものの、結局年賀状の印刷のタイミングを逸してしまった。
noteも毎日書くぞと思っていたが、まあ一文字もかかないまま三日が過ぎようとしている。
ネタとして覚えておこうと思った初夢も、なにかは見たけどスコッと忘れてしまった。
新年の抱負は、ゆるふわに思うことはあるものの、手帳にメモする労もとらぬまま、なんにも固められていない。
一言でいうとまあダメな滑り出しなのだが、そんな自分をわたしは許す。これは、ひとつには小さい人ふたりと共に実家に戻っているためである。
いつもは顔を会わせない肉親がいるために、日中は自分の時間がない。おむつが外れたばかりのヨーヨーのトイレを気にして、離乳食始めたばかりのあーちゃんのお腹減った泣きやお昼寝や人見知りに対応していたら、あっという間にお日様が西に沈む。日頃、保育園なかりせばどんだけ仕事などできないかってことが身に染みる。
そしていつもであれば、彼らをねかせつけてから深夜に起き出して考えたり書いたりしているのだが、冷え込みの厳しい木造建築では、目が覚めても部屋を移るのが億劫で、ついそのまま夜を寝潰してしまう。
寒いくらいで書けないなんてその程度の意思かと思われそうだけど、古い木造の平屋の実家は、この季節、暖房を消すと氷室のように寒いんだ。リズムも狂うし勝手も違うし。
三賀日も残すとこ30分という今になってようやく、暖かい布団にもぐったまま、スマホの画面からこれを書いている。目に良くない。が、一回くらい大丈夫かな、風邪引くよりはいいなって。そこを頑張るくらいには書いておきたい。
しかし、ゆるふわなままに明文化する今年の抱負っぽい思いとしては、元来欲張りなので徒然に思い付いてしまうやりたいことの中から、本当に大事なことだけを残して他は潔く削ぎおとし、焦らず自分のペースでできることを、粛々と進めていきたい。
本来は並べて選んで削った後の具体的な行動なり目標を言うのが格好いいんだろうけど、どうも今年は、歩きながら考えながら手を動かすことになりそうだ。
そんななかでも、noteを書くことは。すこしやり方を変えて続けていくだろうと思う。
これは自己実現などというものではない。
やらねば!と思い定めているわけでもない。
誰かに書いてと頼まれているわけでもない。
ただ、やりたいこと。
そして、自分が幼い頃に駆け回って遊んだ地元の八幡宮で引いた御神籤は、十年ぶりくらいの大吉だった。
時には愛ゆえに思うようにならないこともあるけれど、焦らず自らを信じて行けば幸先よしってことで。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。