何が地球を回すのか?
「レリゴー」が時のアイコンになり、自由に生きることの素晴らしさの歌が流行ったのはちょうど3年前である。
あの歌がみんなを魅了したのは、それをうたう女王がもう十分に他者への思いやりをもち、自己を抑える「大人の機能」を基礎にもっていたからだった。
けども、映画のお話そのものは、歌の感情とは裏腹に、彼女が自分を解放しきったことで思わぬ惨劇が国を襲い、最終的には「愛こそ世界のすべて」みたいなオチだった。
一国のリーダーに「レリゴー」されるとやっぱり困る!
トランプ氏のパリ協定離脱のニュースに、そう思った。
米国第一主義って、やりやがったな。
わたしも気候変動のメカニズムとかわかっているわけではないんだけれど。
ちゃんと調べたら、協定が掲げる制御ロジックってあんまり意味なくない?ってものなのかもしれないのだけれど。
それでも、世界各国の代表がみんなで知恵を絞って地球をよくしていこうっていうお題目に「いいもん、我が国の(おいらの支持者の)ご機嫌さえよければ」というのは。子供かと。
最近、自分と自分の支持者のためだけにハンドルをきってしまう一国のリーダーが多くない?
映画みたいに、甚大な影響が出る前に何かに気がついて、ちょうどよくパワーをコントロールするところに落ち着いてくれればいいんだけどな。
と憂えたところで、一冊おすすめ書籍「ヒルビリー・エレジー」副題は”アメリカの繁栄から取り残された白人たち”
書籍自体はトランプ氏当選よりも少し前に出版されているもので、著者の自伝的な内容なのだが、だからこそ、ヒルビリー(田舎者)、つまりはトランプを支持する取り残された人たちの絶望が、情緖が、手に取るようにわかる後追いベストセラーに(米国で)なっている。つるっと読めて、うーんと思う。
世界は、試行錯誤しながらもより良い方向に向かっている。人間は総体として、ちょっとずつ賢くなっていって行く。...と、信じたいけれど。
写真はアフリカ・ケニアのアンボセリ国立公園。雨季と乾季があるなか、わたしが訪れた2011年の乾季には、見渡す限りの乾いた大地に、小さなトルネードがたくさん走り回っていた。面白がっていたら、ガイドからは「以前はこんなトルネードはなかった。トルネードなんて嫌だよ。こいつらのせいで雨季を待ちきれない動物たちが餓死し、大きな象の群れがいなくなった」ときいた。地球の温暖化に伴って年々のように干魃が激しさを増しているんだって。環境問題に対するわたしの反応も、所詮はそういった断片的な体験に基づく直感でしかないのだが。
あらためて、レリゴーを英語歌詞で、トランプ氏が歌ってると思ってきくと怖いよ!