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時は金なり、体は資本

という第一原則で暮らしています。最近のわたし。

ちまたで話題の例の「ポケモンGO」にちょっと触れてみました。インストールしたら早速、オフィスのなかにモンスターがいたので、こうかな?ってスワイプして一匹捕まえました。でも、我が暮らしの第一原則を鑑み、うむっ、これはなめことイングレスの融合だ、やめた!と決めて、早速、アンインストールしました。だから、ほんとにちょっと。

本日夕方の六本木のオフィス近辺は、土地柄、歩きながら携帯画面見ている人が異様に多くてバズってるなあって感じでした。でも、家の近くの商店街は夕方の忙しいかあちゃんたちがいそいそしていて、スマホを眺めながら歩いている人はいませんでした。なので、これはやっぱり局地的盛り上がりかもと思いかけていたのですが、先ほど帰宅した旦那に知ってる?ってきいたら「知ってる、超やりたいけど、ゲームはしないと決めているからやってない」とのお答えで、旦那は常に、Center of mass に近い感性を持っているひとなので、そうかそうか、やっぱりこれ来てるのか。時間さえあればみんなやっちゃうものなのね、と、見直しました。

位置情報ゲームは、ある程度やると「歩き疲れて」やめる人もいるらしいですが、最近「Fitbit」を導入して、それが基礎体力に直結すると実感しているわたしとしては、たくさん歩くこと自体はとても良いことだと思います。ゲームが促進する世界の人の累計運動量をとったら「Wii Fit」や「Xboxキネクト」なんかは一瞬で追い抜いちゃうんじゃないかな。でも、スマホの小さい画面をみながらだと、肩が凝ったり目が疲れたりという別の問題が出てきそう。

となると、伊藤計劃が「虐殺器官」で描いたレベルのバーチャルリアリティが実現したらいいのか。こちらは引用することで人格を疑われかねない残酷な描写が多い作品なので、苦手な人にはお勧めできません、が、高評価されているだけあって、こういうイメージを起想させる力があるSFです。

別の引用で言うと、インターネットの生みの親のVint Cerf氏が「現在、われわれが携帯電話をもって歩かないとネットにつながらないというのは、電気の無い時代に手燭を持って歩かねばならなかったような不便」ということを何かの折に話していましたが、案外こいういう「ゲームを楽しみたい」的な、どうでもいいエネルギーが束になって仮想現実の技術を前進させるのかなあ、なんて、思いました。

とはいっても、目下のわたしにとっては、ヨーヨー(2歳)と一緒にカブトムシとかザリガニとかを捕まえに行く方が先決課題です。

※ 写真は、西表島にて、ロッジの庭でバーベキューした後のゴミを夜中に食べに来ていたヤシガニくん。モンスター感満点でした。捕まえるどころか、遭遇時に思わず「ギャッ」と声が出たけど!

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