「さん」付けブームについて思うこと
Bar Bossa の林さんが、創作の中でも会社員が互いに「くん」付けだったり呼び捨てだったりするのは昭和のしるしになっていくのだろうか、という趣旨のコラムを書かれていました。たしかに男も女も「さん」付けって風があちこちで吹いているようです。令和のポリコレトレンド?
これを機に、外資系に勤めたことしかない私の、ちょっと特殊?な体験とゆるい考察を棚卸します。
2000年に新卒で入ったアップル日本法人では、最初に人事から「役職は関係なく、みんな“さん”付けで呼び合う文化です」と言われました。つまり社長も部長も「〇〇さん」と呼んでいいよと。ただ、実態はまだまだ昭和な世界で、部下に対して呼び捨てをする上司も多かったし、年次の近い同僚同士は〇〇くんとか〇〇ちゃんとか、ニックネームが主流でした。
2003年頃に直営のアップル・ストア銀座店ができたのですが、それは日本法人をすっとばして本社が直接ハンズオンで立ち上げたんです。だから、当時の一期生スタッフは全員がクパチーノで1ヶ月の研修を受けてから現場に投入されました。西海岸のリテール文化の洗礼を受けた彼らは「下の名前でカジュアルに呼び合う」のが基本で、同じアップルでも、企業相手の日本法人と小売店ストアでは別会社どころか異国ほどの隔たりがありました。お客さまのフォローでメールが飛び交うことは頻繁にあり、面識のない若いスタッフから「Hi Nobita, (中略)...Cheers, Shizuka」的なメールを受け取った年配の部長が、怒りこそしないけど「なんだ、こいつ」と目を白黒させていたのを覚えています。
2006年に移ったトレンドマイクロも、日本本社ながら創業者も社長も外国人で、やはり役職者に対しての呼称は「〇〇さん」だったと記憶しています。
ここで、外資系あるある問題として、ジョブレベルと紐づく英語のグローバルタイトルは分かりにくく、かたや営業職は対外的にハクをつけるために若干インフレ気味の部課長名刺を持つというのがありました。役職は仕事をやりやすくするためのものと考えれば仕方ないんですけど、呼称にくっつけるにはちょっとややこしい。
配慮ある上司は部下に対しても男女問わず「〇〇さん」と呼びかけていました。自分も管理職の肩書付きがつくようになったあたりから、(「〇〇さん」と呼びましょうと言う規範があるにも関わらず)部下に対してわざわざ「〇〇くん」「〇〇」などと呼びかける人っていうのは実は本質的に人心掌握ができていないんじゃないかと認識するようになった気がします。
「呼び名マウンティング」っていうか。マウンティングって、実質的にその人の力量が明らかな場では全く必要のないものですからね。
そして2011年にグーグルに移ると、そこはカラフルでカジュアルでフラットな西海岸カルチャーで、格段に外国人比率が高い世界でした。そうなると基本はファーストネームあるいは短いニックネームで呼び合う文化です。日本人の偉い人に対してさえ、”ファーストネーム(あるいはニックネーム)+さん”がメインストリーム。
対外交渉を担う営業職だったらソト向けに「〇〇部長…」と呼ぶこともあったのかもしれませんが、FP&Aなんか完全にシンガポールの一部だったので、肩書付きで上司を呼ぶのって、何かの冗談くらいでしかなかったです。
外国人の同僚との会話では互いにファーストネーム呼び捨てが基本ですが、外国人だらけの会議に日本人1人と言う場合、まだそこまでお互いによく知らない相手が「日本人は“san”付けがリスペクトを表す」という知識を持っていると、わざわざ「…Maki-san!」とつけてくれることもありました。そういう配慮は嫌な気分はしないですけど、短い方が便利だからMakiでいいよ、って言ったりとかしてました。
逆もありました。日本人の多い会議のなかに1人でも外国籍の社員が交じっていたら、その人だけ呼び捨てというのもなんか変な感じで、あえて「…Carry-san!」と呼びかけたり。
しかもさらに物事をややこしくすることには、あえて外国人も呼びやすい短い呼称を社内名として登録している人も少なからずいてね。メールアドレスの@より前にそれを使って、社内データベースで検索して出てくる名前の設定もそうしてしまえば、戸籍上の名前など誰も気にしません。
たとえば、あるプロジェクトでフロアの違う人と協業することになった時に「Hi Maki-san, (中略)…Al」って英語のメールがきて、社員データベースでチェックしてAlphonsoだったら、私はその人をアルフォンソだと認識するわけです。それで初顔合わせで「あっ、アジア人なんだ」と思っても、流暢に英語で喋られると、シンガポール人かな?アメリカ系韓国人かな?って思います。それでずっと「Al」って呼んでいて、数ヶ月たってからようやく相手が「剛田武」という名の生粋の日本人だとわかった、みたいなこともありました。
逆に、Takeshi Godaって日本人名で登録しているから日本人だと思っていたけど、会ってみたら金髪碧眼。実は海外育ちで日本語も喋れないけど日本で仕事する用の名前だって言われて「ドテッ」てなるとか。
そういや「ドテッ」て表現も、チョー昭和ですね。
まあ、そいういうカオスの中の均衡がありつつも、稀にドメスティックな業界から転職してきた日本人男性から急に「ねっ、Maki」と呼び捨てされたりすると、そのなかに名称マウンティングというか女性社員と心の距離を詰めようとするにおいをかぎとって(うわ、ちょっとやだ)って思ったりとか…でも、もしかしたら、その人は早く外資のカルチャーに馴染もうと思って背伸びしていただけなのかもしれない。ごめんなさい、そのきもちわるさは私のアンコンシャスバイアスだったかもしれません。
まあなにがいいたいかというと、初対面同士は信頼関係ができるまでは、やっぱりある程度の距離感の探り合いがありますよね。そこで、さまざまな価値観や個性を持つ人たちが同じ目的に向けて協業しなければならない会社組織においては、属性問わぬ「さん」付け呼称は程よく配慮があって嫌な感じを与えないから便利なんです。
外資系はドライだからそうというのではありません。人間はエモーショナルで理不尽ですぐに不適切な関係にもなりやすい存在だからこそ、お互いまじめくさって「さん」呼びするのが、ほどよい距離感を保つ日本語なのです。
いま、日本企業において上下問わず「さん」づけ旋風が吹き荒れている?のは、確かに新しいコンプライアンス手法、ハラスメント対策の文脈なんだろうとは思います。
が、それなら同時に、オン・オフの切り替えが苦手な日本人はそのスイッチも強化していかないと息が詰まると思います。
だってほら、洋ドラとか見てても、いろいろ青春白書とか、政治のドロドロとか愛憎スキャンダルとか、日本のドラマなんて比じゃないレベルの大騒ぎでしょ。あれはファーストネームで親しげに呼び合う文化が、本来あるべきプロトコルからの逸脱(つまり人間らしさ)を助長しているのかも…しれません。
だから、まあ冒頭の林さんの記事に戻りますが、私は、創作の中からも親しい呼称がなくなることはないと思います。オフィスの中では「さん」づけだった社内恋愛の二人が、一歩外に出ると親しみを込めた名前で呼びあうとか、そういうのがサラリーマンのリアルなんじゃないかな。
案外、世の中がもう一回転したら「さん」づけのおしゃれっぽさが薄れてきて、社員が人間性を殺し合うのがよいかどうかみたいな議論が新しく出てきたりして、あるいは、日本企業でも外国人役員比率が高くなるに伴い「互いによそよそしいさんづけじゃなくて、上下問わずファーストネームの呼び捨てがイケてる組織の証」ってトレンドが次に来るかもしれないですね?
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