クレイジーだもの。 - ブロンフェルブレンナー
最近のわたしの子育ての悩みは、4歳のヨーヨーが(おそらく保育園でいろんなお友達に触れる影響で)「おい」とか「しらねえよ」とか、あまり使ってほしくない言葉を覚えて使い始めていること。おしり探偵の「しつれいこかせていただきます」の真似も困るんだけど、それ以上に本気で嫌だ。色々接し方を試しても、なかなかやめてくれなくて困っている。
1歳のあーちゃんが、テンションが上がると「キィャアーーーー!!」と高い声で絶叫するのも…こちらはまあブームが去るまでとは思えるけれど、ヨーヨーにはなかった個性でびっくりしている
連休の終わりの深夜に、残りご飯で小さなおにぎりを作りながらそんなことを考えていて、自分が4歳のときは、どんな風に世界をみていたっけと辿ろうとしても微塵も思い出せなくて、手の打ちようがないことに悲しくなってきたのだが、そこでふと思い出したのが、キャリコン学者リストにいる、モスクワ生まれ(6歳から米国に移住したので、ほぼアメリカ人)のブロンフェルブレンナー博士。
子供の発達というのは、生まれ落ちた社会のいくつかのレベルの環境要因から影響を受けながら形成されるという生態学的システム理論(ecological systems theory)を展開した。そのシステムとは;
①マイクロシステム:自分が直接関わる、両親や兄弟、家族、学校、ご近所さんなど
②メゾシステム:複数のマイクロシステム要素間の関係(例えば、家庭と学校先生、親と地域の草野球チーム、友達と参加する文化センターや神社の催しとか…日本語Blogだとこのシステムを単純化して間違えて解説しているものも散見されるので要注意。)
③エクソシステム:直接かかわらなくても影響を受けるコミュニティ的な要素(産業構造、マスメディア、政治、親の職業など)
④マクロシステム :もっと大きな流れ(国、文化、法律、時代の価値観やイデオロギー的なもの)
後にその枠組みに、その個人のライフイベントを考慮した時間軸であるクロノシステムが追加されて、4+1のシステムである。図にすると以下:
この考え方は、1965年から続く米国のヘッド・スタート・プログラム(低所得層の子供たちも就学前に最低限、アルファベットが読めて10まで数えられるようにという米国の取り組み)の礎にもなったらしい。
ちなみに、ヨーヨーもYoutubeでお世話になっているセサミ・ストリートもそのヘッド・スタート施策の一環として始まったんだよ。
そのブロンフェルブレンナー博士がいいことを言っている。曰く、
「正常な発達のために、子供は、理屈ではない感情的関係にある1人以上の大人との共働を、徐々に複雑になっていくものとして経験していく必要がある。どんなときも、誰かが、その子に夢中でなければならない。それが一番大事だ。(In order to develop normally, a child requires progressively more complex joint activity with one or more adults who have an irrational emotional relationship with the child. Somebody's got to be crazy about that kid. That's number one. First, last and always.)」
わたしの中には、どこにいても、誰といても、一定の音量で響き続ける淡々としたささやき声がある。「人のことは分からない」というのである。
それは、自分が極端に変わった子であった幼少時から、不思議ちゃんと呼ばれる思春期を経て、宇宙人と呼ばれる社会人新人時代を抜け、遅ればせに人並みの社会性を身につけてここに至るクロノシステムのどこからか、わたしの奥底に流れるようになった旋律である。
いつもは「人は人、私は私」と考えている。悲観するわけでも、投げやりにでもなく、事実として、むしろ明るく、そこに可能性さえ開かれている感覚で、自分の子供と言えども基本的には分からないものだと思っている。
けども、わたしはヨーヨーとあーちゃんにクレイジーなのだ。
だから、理屈ではなくイライラするし、悲しくなるわけよ。
それ自体は、大事なことなのだよ。
非合理的な感情は仕方ない。子供との関係が徐々にチャレンジングになってきているというのも、発達段階としては当たり前。
そう思えたら少し息継ぎができたので、この身に余るクレイジーな情熱を子供にどう暴露させるかということは、思考停止せずに工夫し続けたいなと改めて思えた。これは…腹筋、強くなるわ。