それを看過することは悪事への加担である
ということを繰り返し習った。Googleのコンプライアンス研修で。
誰かが誰かを傷つけるような間違った言動をしているのを目撃したのに、それを放置するのは、悪事への加担であると。
積極的に干渉しなければならないと。
たとえば、女性の同僚が昇進した時に、男性の同僚が他の同僚に「彼女は”ダイバーシティ枠”で出世したからさ」と言っているのが聞こえてきたら、その場で「それは不適切ですよ」と教えなければならない。
ごめん。その時、私は黙っていた。
あまりに突然に、あまりに無邪気に、普通の会話の中でその言葉が繰り出されたため、一瞬「えっ」と思ったけど、その言葉が出る背景を瞬時に何パターンか想像できてしまって、私に向けて言われたものではないし、とか逡巡して、咄嗟に反応しそびれた。
もしかしたら、その昇進を決めた上司に、大本営から本当に「女性を昇進させろ」という指令が降っていたのかもしれない。(当時、日本オフィスは他国に比べ極端に女性管理者比率が低いことが問題になっていた。)
もしかしたら、「なんで彼女が?」とアンフェアに感じる他の部下を宥めるために、上司は実際にそういう言い訳を口走ったのかもしれない。
もしかしたら、その彼は、彼女に仕事で足を引っ張られたような経験があって性別関係なく「あいつ、嫌い」だったのかもしれない。
しかし、いかなる理由があったとしても、それは問題発言だった。
私がその場で「その発言はフェアじゃないよ」と指摘しなかったことで、彼は同じことを他でも言うかもしれない。いや、言っていた可能性が高い。
その手の小さな棘は、放置すると組織を蝕む。ダニに噛まれた後みたいにどんどん痒さがひどくなり、炎症がひろがり、掻き壊して感染症になる。
ちゃんと指摘することが彼のためでもあったはずなのだが、その本質的な善行に対する報いは、指摘した瞬間に私が「うわ、めんどくさいやつ」と思われ、彼らにとってなんでも気楽に話せる同僚ではなくなってしまうということなのだ。間違ったカルチャーの圧力ってやつ。
そう、私は悪事に加担したことがあるのだ。研修、受けてたのに。
辞める会社なんだから言っとくべきだった。
こんなに長くクヨクヨするくらいなら、言っとくべきだった。はあ。
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なぜ今宵、それを思い出したかというと、
最近あるイベントについて、あきらかにアンフェアで良くない、すぐに指摘して間違いを糺さねば現在進行形で傷つけられている人たちがいることを聞き及んだのである。それが本当なら大間違いだと思うのである。
しかし、それは私の一次情報ではない。自分が直接の被害者ではない又聞きのネタに義憤を感じ、裏を取りにいって真実を特定して書くのはジャーナリストの仕事だと思うのである。
さらに、それを聞いたこととしてブログに書くこともできなくはないけれど、正論であるが故に、この手のネタは直接顔も知らぬ実行者を特定し処刑台に追い上げ火をつけないと気が済まないタイプの人たちの好物だろうなあという警戒がはたらくのである。炎上ライターになりたくないのである。
私はまた、悪事に加担しかけているのだろうか?
希求する Call to Action は組織の価値観のアップデートなんだけれども、それを穏やかに進める方法はないものだろうか。
それとも、痛い目を見ないと奢った人は変われないものなのだろうか。