もうすぐ3歳のあーちゃんは、毎朝6時前にパチッと目覚める。
「ママ、起きて、あっち(リビング)に行こう」とわたしを揺する。
それが夜明け前だったら私は「まだ暗いからもうちょっと寝てようよ」と応じないが、彼女は一緒に二度寝することなくじっと起きて待っていて、カーテンの隙間から朝日の光が差し込んできたら「もう”オレンジ”になったよ、起きよう」とまた促す。
おかげで、自宅籠り生活がもう一月以上になるのに、私の起床時間は乱れない。
厳密には、日の出時間に引っ張られて早くなってるかも。それに、実は子供たちと8時過ぎに就寝してから夜中に一度目覚め、2~3時間何かした後にまた寝て朝あーちゃんと一緒に起きるという分断睡眠が定着してる。
とにかく、朝はあーちゃんと一緒に起きて、顔を洗い、うがいをして、コップ一杯の水を飲む。彼女を着替えさせ、窓をあけ、空気を入れ替える。
それはまあ、他の母ちゃんたちもやってる一連の朝の儀式かもしれないと思うが、もうひとつ、私がその流れに加えている動作を紹介したい。
それは、玄関でお香を炊くこと。
最初は、屋久島旅行で「屋久杉のお香」をお土産に買ってきたのを、いつまでも放置していても仕方ないから使わねばと思ったところから始めた。
それで、毎朝の空気の入れ替えのタイミングで玄関で香を炊くことを始めたら、10年前くらいにエベレスト街道にトレッキングに行った時、標高3,440mのナムチェバザールのロッジの庭先の窯で、毎朝、信心深い仏教徒のシェルパ族の母ちゃんたちがよい香りの木の葉を焚き燻(いぶ)していたなあという、そのなんとも言えず気持ちの冴える香りと、澄んだ空気に溶け昇る白い煙のことを思い出した。
香を炊くというのは、本来、厄除け・祈りの動作なのだ。
お香に火をつけるついでに、玄関の気になる汚れをちょっと掃いたり拭いたり靴を整えたり。そうやって住処の隅っこに気を配るのって実はすごくいいかもと思い始めて、屋久杉香が尽きてからも商店街の仏具屋でお線香を買い足し、その習慣を続けるようになって、今に至る。
顔洗い・うがいをして、一杯の水を飲む。窓を開け、玄関の扉も少し開けて風の通り道を作って香を炊く。
自分のための紅茶を淹れて家族の朝食もできる頃には、お香は燃え尽き、静かな匂いは風にさらわれ、部屋の空気は清浄になっている。