渋谷ノスタルジア
20代の後半、独身の最後の5年間ほど、わたしは渋谷に住んでいました。渋谷といっても代々木公園に近い神山町。当時の勤務先は初台だったので、基本的にはNHKの西門前から繁華街から逆の方向へバス通勤でしたが、新宿やほかの街に立ち寄る日には、センター街の雑踏から東急文化村の横の裏通りに抜けて帰ることもありました。
大学進学で上京してきたばかりの1996年(なんと20年も前)にはじめて渋谷のスクランブル交差点に立った時には「うわ〜、こんなところ無理!大学卒業したら絶対田舎に帰る」って思ったのに。いつの間にか、そこに住んでいました。
センター街のあたり
マークシティーが「おとなの街」をキャッチにがんばりはじめたあたりから徐々に上品路線になってきているのですが、昔の渋谷は今よりずっとガチャガチャしていました。お世辞にも綺麗とはいえないけれど、良くも悪くもエネルギーの渦巻く街でした。
水商売のお姉さんやお兄さん、ナンパを何かの修行だと思ってる大学生、美容院とか芸能事務所とか言うけどその正体は不明のスカウト、手相の勉強中だという宗教の迷い人、幻想画を売り込むのに必死な地下画廊の番人とか、油断していたら10メートルごとにありとあらゆる胡乱な人種に声をかけられるのですが、そこを日常的に歩いていると「声をかけられないコツ」が身につきました。
説明は難しいのですが、視点を遠くに投げて、先方がこちらを見つけるより先に彼らを見つけ、スルスル、ジグザク歩くのです。時にはちょうどよい盾になる他の歩行者集団に目星をつけて、敵との距離感を図りながら対角線をすり抜ける技なんかも使います。
音と光と雑多な匂いが氾濫する夜の渋谷を歩いている時は、自分が、巨大な水槽の底を、色とりどりの熱帯魚たちに気づかれないように素早く歩く、小さな透明のエビになったような気分でした。
一方、朝まで遊んだ白っぽい明け方には、始発待ちでエネルギーを使い果たして駅に向かう人の流れに逆って、町の奥へと歩いて帰ることもありました。
安居酒屋から出されたゴミが山のように積まれた道端には、時々、自分の吐瀉物とともに酔っぱらいが伸びていました。原型が分からないほど厚化粧をした女子高生が、だからパンツは見られても恥ずかしくないのよとばかりに座りこんでいる姿もありました。その傍らを堂々と闊歩するカラスやドバトたちこそが、脱力した渋谷の朝の支配者のようでした。
当時のわたしは今に比べてだいぶ刹那的な人生観を持っていたのですが、どこから生じたものか「自分の背中には、目に見えない大きな翼がある」という妄想を気に入っていました。
わたしとすれ違ってそれに触れた人にはちょっとだけ良いことが起きるという設定なんです。疲れ顔の人がいたら、すれ違いざまに心の中でファサッ!と翼をひろげて「幸あれ」と触れてあげます。渋谷にはそのような通行人がいくらでもいたので、妄想天使としてはなかなか仕事のしがいがありました。そうです、暇潰しの妄想です。
まっとうな社会人としてふるまえるよう表面を鍛え上げていた裏で、本質的にはわたしは変人でした。
このはなし、一度だけ、酔っ払ってうっかり会社の同僚に話したら抱腹絶倒大爆笑をされたので封印していたのですが、もう時効だよね。
でも、そんなわたしでも、稀に自分が落ち込んでいる時にそこを歩くと、いろいろネガティブなものが洪水のように流れ込んできて余計に心が乾く感じがありました。渋谷の雑踏はわたしの精神状態を増幅します。だから、自分が疲れているときは代々木公園の駅から帰ったりバスを使ったりして、そっちを歩かないようにしていました。
神山町のあたり
わたしが住んでいたのは富ヶ谷の交差点の近くで、エントランスを出て右に出れば東急本店通りの裏道、左に出ればすぐにコンビニがあってNHKの西門前のバス停、という中洲のようなところに建っているマンションでした。
裏の遊歩道は日中は明るく静かな道でしたが、日が落ちると街灯も薄暗く人通りも少なくなりました。深夜に誰かが一方的に怒鳴られ殴られている音が聞こえてきて警察に通報したり、朝降りていったらエントランスのガラスが割れて血が飛び散ってていたりという物騒なことも、たまにありました。
妻にDVしてワインボトルで殴り殺されたエリートサラリーマンの下半身が発見されたのもその道沿いの廃屋でした。事件の時には、二人組の警察がうちにも聞き込みに来ました。わたしは暗い時刻には必ず表通りを歩くので、何の役にも立てませんでしたが。
そんなところに住んでいた割に、基本的には臆病で慎重だったのです。
でも、その遊歩道も、最近、息子を代々木公園に連れて行った帰りに家族で通ったら、なんだか随分様変わりしていました。
アクアリウム専門店とか、こだわりのカフェとか、オシャレっぽいお寿司屋さんとか、新しいお店がいろいろできちゃって。
当時...そう、もう10年以上前...はまさに「裏道」で、特徴的なお店といえば、時々巨大な着ぐるみ(ガチャピンとか)が軒先に干してある光子館くらいだったのに。じんわりと、明るい方向に開発が進んでいるんだなあと感じました。
でも、その道沿いでわたしが一番好きだったお店は今も変わらずそこにあります。最初はAppleの先輩に教えてもらった、いまや老舗のワインバー、Bar Bossaです。
おいしいワインがグラスで飲めて、暗めの照明も空調もボサノバのBGMも全てが程よく、客層が落ち着いているから一人で行ってもナンパされる心配がないところが好きでした。
当時のわたしは誰かとの会話を求めているわけではなく、仕事で遅くなって、帰宅する前にちょっと美味しいワインで頭を空っぽにしたいなあという日に、よく、ふらっと行っていました。オーナーの林さんは必要以上には話しかけてこないけれど、黙っていてもウェルカムな感じが、ただ酩酊したかった当時のわたしには居心地がよかったのです。
引越しや転職や結婚などがあって足を運べなくなっていたのですが、第一子出産後のお酒解禁祝いで、職場のママ友と一緒に8年ぶりくらいにお店に行ったら、林さんはなんと「お久しぶりですね」と覚えてくださっていました。
自分が何をしてる人間かを話したこともないし、お酒に弱くて2杯も飲めばふわふわして帰ってしまうからさほど売上に貢献もしない客だったろうと思うのに。何年も行けていなかったのに、少し嬉しかったです。
そんなわけで、第二子出産がおわったあとの外飲み解禁祝いにもそこに行きたいと思っているのです。1年以上先になってしまいますが、めまぐるしく変わりゆく風景の中でも、Bar Bossaがそこにある限りは、自分の心の一部もそこにあり続ける気がします。渋谷は、わたしの好きな街であり続けるだろうと思うのです。