戦争を止めるには
先日のアフガン報道を受けて「飛び立つ飛行機にしがみついた方がマシって思っちゃうくらいの恐怖って、どんだけだろう」と旦那と話していたら、ヨーヨーに「なんの話をしているの」と訊かれた。
「戦争の話よ。」と私がいうと、「戦争って何?」と。
「国と国、民族と民族が憎み合って喧嘩をすることだよ。」というと、
「むかしの話?」と訊く。
「悲しいことに、今なの。世界のどこかで、今日も人が殺し合いをしているんだよ。」というと、「ぼく、日本人でよかった」と。
(コロナウイルスの次は戦争を教える現世かな)と内心タメイキをついたのだが、最近のヨーヨーはそれではおわらない。何か、そういうことを彼なりに考え続けていて、ふっと浮上してきたタイミングで続きの質問をしてくるのだ。
あんのじょう、昨日一緒に道を歩いている時に、不意に続きの質問をされた。
「なんで人は戦争をするんだろう?」
「嫌なことされて、やりかえして、またやりかえしてがひどくなっていって、いつの間にか殺し合いになっちゃうのよ。」
「いやだなあ、僕はひどいことしてくる奴がいても、戦争になるまえに止めようって言いたいな。」
「そうだねえ、それができるといいね。でも、ひどいことされたら・・・例えば、家族を殺されたりしたら、そこでやり返さずにいるのはなかなか大変だよ。戦争を止めるのって強さが必要なんだよ・・・」
今回の悲劇はアメリカの弱体化が顕在化した事件でもある。近代史的に彼の地に火種をくべてきたのもアメリカなので、何が正義なのかはわからない。正義なんてそもそも、ない。しかし、タリバンの支持基盤の裏には中国の影が見え隠れしている。世界の勢力図が動く。
私が子供の頃は、ゴルバチョフのペレストロイカやベルリンの壁の崩壊のニュースに、親世代はそういうことを感じていたのだろうか。それってまだ明るい気分を孕む風だったのではという気がするのは、日本が資本主義勢のはしくれだからか。
そこでちょっと、非暴力不服従のガンジーの話をしようか、でも説明長くなるなあ・・・と思ったところで、私はいいネタを思いついた!
「ほら、”風の谷のナウシカ”見たでしょ。」
「うん」
「ナウシカは戦争をとめたでしょう、トルメキアとペジテの」
「どうやって?」
「自分が犠牲になって、王蟲の暴走を止めた」
「ああ・・・」
「あれね、一回命を投げ出して死んだでしょ。戦争を止めるってそれくらい奇跡的なことだから、体も心もめっちゃ強くないとできない」
「わかった、勇敢!」
「そう、勇気がいるよね。」
「そういえばナウシカも、お父さんを殺されてたね」
「そうそう、その時は、ユパが戦争になるのを止めたよ」
「ユパってだれだっけ?」
「変な帽子のおじさん。怒ってトルメキアの兵隊を殺そうとしたナウシカのまえに飛んで入って、自分の腕で刃物を止めたでしょ。カッ!て。」
「ああ、あれね」
「あれって強いからできた。ユパは腐海一の剣士だったからそれができたんだよ。すごい・・・痛かったと思うけど」
「うん・・・」
「戦争を止めるって、それくらい強くないと難しい」
「それに、勇敢。」
「そう。強くて、勇気もいる」
「うん・・・」
ヨーヨーは丸いおでこで、また何やら考えていた。妙に勇敢フォーカスなのは、小さい時に機関車トーマスが好きだった(あのお話しでは、とにかく勇敢と勤勉が讃えられる)からかもしれない。
また明日あたりに、続きの質問をされそうな気がする。
夏休みの宿題で、なんか話し合ってポスター書かせなきゃいけないんだけど「もったいないをなくそう」とか「街をきれいにしよう」とかの提示されたお題より先に「戦争を止めよう」の話し合いになってしまった。
自分が小学校1年生の時とは明らかに違う。
そういえば思い出したんだけど、私は小学校3年生か4年生くらいの夏休みの課題で「自然を大事にしよう」のポスターを描いたのだよね。だけどそれは「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」というアニメ映画に衝撃を受けたあとで、豊かな緑の中でくつろぐうさぎを描いたのだ。
あれは・・・残酷な描写もあるが、良い作品であったと思う。私が当時見たのは1978年版だが、2018年にリメイクされたものがNetflixでも公開されているようだ。
見せてみようかな・・・いや、怖がるかな・・・。